【丸子城】まるこじょう
【別名】丸子陣場
【構造】平城
【築城者】豊島氏
【築城年代】1478年(文明10年)
【指定史跡】ー
【場所】神奈川県川崎市中原区上丸子 地図
丸子城は、現在の日枝神社から上丸子小学校に付近にかけてあったと伝えられていますが
詳細はわかっておらず、1476年(文明8年)の「長尾景春の乱」の際に、
豊島氏が石神井城や平塚城に籠り、上杉方の太田道灌に攻められると小机城で籠城。
この時豊島氏の残党がこの地に陣場を置いたのが丸子城と伝わります。
日枝神社
社務所に車を停めたので、神社の裏から境内に入ろうとしてしまい
改めて朱色の鳥居のある表へ。
案内看板
川崎市の重要歴史記念物に指定されている古文書についての看板です。
北条氏が発給した二通と徳川奉公人連署奉書が日枝神社に残っているようです。
次は日枝神社の建造物についての看板です。
現在の地図ですが、これを見ても分かるように近くには多摩川が流れており
低い位置にあるので城を築くのには洪水や川の氾濫を懸念するので
ちょっと考えずらい場所だなあと思ったのですが、城というよりは
一時的な陣場であったと考える方が尤もらしい。
二の鳥居です。
日枝神社御由来
木遺塚
木遺は、重たい木や石などを運ぶ際に掛け声のように皆で声を合わせて謡うことを云います。
築城工事が盛んな頃に出来たのではないかという説もありますが、実際のところ
いつごろ誕生したのか定かではありません。
築城家屋普請の地固めの際に使用されたと思われ、
後世に伝わるよう、ここに木遺塚を建立したようです。
神猿
滋賀県大津市の日吉神社の使者としてお仕えしていた神猿です。
魔を去る・人に優る・勝るといった縁起が良いということで祀られている神猿様です。
敬神の碑
拝殿
棟札によると、本殿は1740年(元文5年)5月に建立され、正遷宮が行われています。
この時の大工は、影向寺薬師堂の大工棟梁木嶋長右衛門の次男で
木嶋家の名跡を継いだ木嶋佐右衛門が建てています。
関東大震災で被害を受け、昭和3年に再建していますが、この時位置を少し南へ移しています。
大鷲神社・稲荷神社
招魂の木
招魂の木(おがたまのき)は、霊木として神社の境内によく植えられています。
御神木
樹齢700年余り、かつては3本になっていたが、明治時代に1本、大正時代に1本倒れ、
最後の1本が昭和9年に伐採されました。
中原街道を行き交う人々を見守って来た大杉は、御神木として崇められています。
お城というよりは陣を置いた場所のようです。
それだけに、現地でも城っぽさが感じられませんでした。
令和5年2月26日登城
今回の参考本
【別名】丸子陣場
【構造】平城
【築城者】豊島氏
【築城年代】1478年(文明10年)
【指定史跡】ー
【場所】神奈川県川崎市中原区上丸子 地図
丸子城は、現在の日枝神社から上丸子小学校に付近にかけてあったと伝えられていますが
詳細はわかっておらず、1476年(文明8年)の「長尾景春の乱」の際に、
豊島氏が石神井城や平塚城に籠り、上杉方の太田道灌に攻められると小机城で籠城。
この時豊島氏の残党がこの地に陣場を置いたのが丸子城と伝わります。
日枝神社
社務所に車を停めたので、神社の裏から境内に入ろうとしてしまい
改めて朱色の鳥居のある表へ。
案内看板
川崎市の重要歴史記念物に指定されている古文書についての看板です。
北条氏が発給した二通と徳川奉公人連署奉書が日枝神社に残っているようです。
次は日枝神社の建造物についての看板です。
現在の地図ですが、これを見ても分かるように近くには多摩川が流れており
低い位置にあるので城を築くのには洪水や川の氾濫を懸念するので
ちょっと考えずらい場所だなあと思ったのですが、城というよりは
一時的な陣場であったと考える方が尤もらしい。
二の鳥居です。
日枝神社御由来
木遺塚
木遺は、重たい木や石などを運ぶ際に掛け声のように皆で声を合わせて謡うことを云います。
築城工事が盛んな頃に出来たのではないかという説もありますが、実際のところ
いつごろ誕生したのか定かではありません。
築城家屋普請の地固めの際に使用されたと思われ、
後世に伝わるよう、ここに木遺塚を建立したようです。
神猿
滋賀県大津市の日吉神社の使者としてお仕えしていた神猿です。
魔を去る・人に優る・勝るといった縁起が良いということで祀られている神猿様です。
敬神の碑
拝殿
棟札によると、本殿は1740年(元文5年)5月に建立され、正遷宮が行われています。
この時の大工は、影向寺薬師堂の大工棟梁木嶋長右衛門の次男で
木嶋家の名跡を継いだ木嶋佐右衛門が建てています。
関東大震災で被害を受け、昭和3年に再建していますが、この時位置を少し南へ移しています。
大鷲神社・稲荷神社
招魂の木
招魂の木(おがたまのき)は、霊木として神社の境内によく植えられています。
御神木
樹齢700年余り、かつては3本になっていたが、明治時代に1本、大正時代に1本倒れ、
最後の1本が昭和9年に伐採されました。
中原街道を行き交う人々を見守って来た大杉は、御神木として崇められています。
お城というよりは陣を置いた場所のようです。
それだけに、現地でも城っぽさが感じられませんでした。
令和5年2月26日登城
今回の参考本