【沢良宜城】さわらぎじょう
【別名】ー
【構造】平城
【築城者】不明
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】大阪府茨木市美沢町14−32 地図
室町幕府三代将軍足利義満は、子の義持に将軍職を譲って
6年目にあたる1399年(応永6年)、堺港へ進出してきた大内義弘を攻めました。
沢良宜城主藤井三位は義持将軍から「御馬廻り免状」をもらい、出陣しています。
当時の沢良宜勢は約三千坪の城を中心に相当な力を持っていたようです。
しかし、沢良宜城は応仁の乱の頃には廃城になったと伝わります。
美沢公園
美沢公園に沢良宜城の城址碑と案内看板が設置されています。
山田13城のひとつとされている城ですが、詳細は解っていません。
馬場
沢良宜城跡の東側に隣接する、細長く伸びた沢良宜神社の境内は、
かつて城の乗馬訓練に使用されたという馬場があったとされています。
船頭の樋
城の東側に天然の堀としていた茨木川の名残が見られます。
昭和に入って度々ある茨木川の氾濫に悩まされてきた住人と
その市町村が河川改修を訴え、昭和24年に廃川となり現在は元茨木川緑地となっています。
廃川となった場所にあった橋や樋の場所がこのように残されています。
時間に余裕があったらこちらも合わせて散策されるのもお勧めです。
令和5年7月16日登城
【別名】ー
【構造】平城
【築城者】不明
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】大阪府茨木市美沢町14−32 地図
室町幕府三代将軍足利義満は、子の義持に将軍職を譲って
6年目にあたる1399年(応永6年)、堺港へ進出してきた大内義弘を攻めました。
沢良宜城主藤井三位は義持将軍から「御馬廻り免状」をもらい、出陣しています。
当時の沢良宜勢は約三千坪の城を中心に相当な力を持っていたようです。
しかし、沢良宜城は応仁の乱の頃には廃城になったと伝わります。
美沢公園
美沢公園に沢良宜城の城址碑と案内看板が設置されています。
山田13城のひとつとされている城ですが、詳細は解っていません。
馬場
沢良宜城跡の東側に隣接する、細長く伸びた沢良宜神社の境内は、
かつて城の乗馬訓練に使用されたという馬場があったとされています。
船頭の樋
城の東側に天然の堀としていた茨木川の名残が見られます。
昭和に入って度々ある茨木川の氾濫に悩まされてきた住人と
その市町村が河川改修を訴え、昭和24年に廃川となり現在は元茨木川緑地となっています。
廃川となった場所にあった橋や樋の場所がこのように残されています。
時間に余裕があったらこちらも合わせて散策されるのもお勧めです。
令和5年7月16日登城