【岩崎城】いわさきじょう
【別名】ー
【構造】平山城
【築城者】織田信秀
【築城年代】1528年ー1531年(享禄年間)
【指定史跡】ー
【場所】愛知県日進市米野木町市場
地図
岩崎城は、信長の父である織田信秀によって享禄年間(1528から1531)頃に築城されました。
1538年(天文7年)頃に丹羽氏清が本郷城からこの地に移り、
その後、丹羽氏が4代(約60年間)に渡り居城しました。
1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いでは、丹羽氏は徳川方に属し、
羽柴方の行軍を阻止しようとして落城した「岩崎城の戦い」が知られています。
この戦いで、一族を犠牲にしながらも戦功をたてたことで徳川氏に認められ、
1600年(慶長5年)三河伊保に一万石の大名として転封したことで岩崎城は廃城となりました。
岩崎城跡入口
県道217号線(岩藤名古屋線)に岩崎城跡入口があります。
岩崎城址公園駐車場は、この入口の真裏の方向にあるのでそちらの駐車場を利用します。
駐車場
こちらの駐車場も城域にあるためすぐに遺構が見られて立地良し。
案内図
駐車場にある岩崎城址公園の案内図です。
だいぶ公園としての整備の手が入っていますが、堀や土塁といった遺構は
まだ残っているようです。
駐車場脇にある鬱蒼とした小道の方が興味深々ですが、
この道もかつては堀であったようです。
まずは舗装路から本丸を目指して登って行くと、二の丸が見えて来ました。
二の丸庭園
二の丸には周囲を囲むように土塁が構築されています。
馬出的な二の丸は、現在庭園になっています。
この庭園のモデルは名古屋城三の丸を参考にして日進市を表現したようです。
勘助の井
二の丸庭園にある勘助の井です。
勘助というのは、岩崎城の城主の子に代々受け継がれていた名前で
山本勘助のことではないらしい。
わりと勘助井戸なるものを見かけるので、私は山本勘助監修なのかと勘違いしてました(^^;
土橋跡
現在はこのような橋が架かっていますが、本来は土橋になっていた場所です。
空堀
橋の上から見た空堀です。
Vの字に掘られた薬研堀だったものを、後に箱堀に改修されているところも
発掘調査で判明してとのことです。
櫓台
橋を渡りきると、右手に小山が見えます。
この小山は櫓台になっていたようで、登ってみることが出来ます。
山の神と表忠義碑
頂上には小牧・長久手の戦いにおいて、岩崎城の攻防戦を後世に伝えるため建立された石碑があります。
木々や建物で眺めは良くないので櫓台の実感はありません。
井戸
発掘調査により、素掘りの井戸があったことが確認されています。
名古屋市蓬左文庫にある岩崎城絵図にも同じ位置に井戸が描かれています。
更に奥の方には隅櫓跡があります。
隅櫓跡
建物遺構の中で唯一礎石を使った建物跡で、その礎石の配置から建物の大きさも推測されています。
現在見えている礎石は復元されたもので、実際のものは発掘調査後地中に埋め戻されています。
岩崎城歴史記念館
入場は無料なので、ぜひお立ち寄りください。
丹羽氏重銅像
岩崎城歴史記念館に入ると、ロビーに丹羽氏重の騎馬像があります。
三代目城主氏勝の子で小牧・長久手の戦いで加藤景常とともに岩崎城を守り、
討たれています。
攻城団チラシ
攻城団チラシがあるはずなので、探していたのですがみつからず、
受付で聞いたら残り僅かなところをみつけて頂き、なんとかゲットすることが出来ました。
御城印と、岩崎城検定なるものの過去問が気になり購入しました。
展望塔岩崎城
昭和62年に地元住民の寄付により展望塔岩崎城が完成しました。
地元住民のシンボルとして、市民に親しまれています。
中は展望台の付いた資料館になっています。
入口
展望塔岩崎城の入口です。
こちらも岩崎城に関しての資料などが展示されています。
地形模型
この模型は蓬左文庫にある岩崎城絵図を立体化したものです。
廻り縁付きで一周出来ます。
隅櫓がこのような役割をはたしていたのでしょうかね。
主郭の規模としてはこんな感じです。
トイレ
展望塔岩崎城トイレはこのように門の脇の石垣の中にさりげなくあります。
最初はトイレとは気付かず、気が付いたらなんだかおもしろい。
県道の入口から登って来ると、こちらに辿り着きます。
こちらから入城する方がなんだかお城に来た感ありますよね。
とはいえ、郭の破壊があったというのはこの辺りのことでしょうか。
では、ここで引き返して本丸の散策の続きを再開したいと思います。
古城之碑
この石碑の付近が、御座の間であったと推定され、この立石は古くからあったとされています。
そのため、妙仙寺の和尚がこの立石に「丹羽勘助 古城之跡」と刻み、
討死した城兵の慰霊祭が営まれています。
古墳
古墳の入口です。
岩崎城の発掘調査の際発見された古墳で、6世紀前半の円墳です。
元々は円墳だったようですが上の部分が無くなっています。
遺存状態があまりよくなかったらしく、周辺地域の遺構を参考に横穴式石室を復元してみたようです。
空堀の中を通って、西の丸方面へ行くと駐車場へ戻ることが出来ます。
今回は別の用事があって近くまで来たついでに登城しました。
私的にはどちらがついでの用事かわかりませんが。
令和4年10月30日登城
今回の参考本