むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

大山城(群馬県)

2018年11月07日 08時13分15秒 | 百名城以外の城
大山城おおやまじょう
別名
構造山城
築城者野宮淡路守信勝
築城年代不明
指定史跡
場所富岡市神農原 地図

大山城は宮崎城や神農原城の対岸にある鏑川の断崖上にあります。
この周辺には上信越自動車道で削られてしまった城址など五つの城址が並ぶ
軍事的に重要な地帯であったことが偲ばれる場所でもあります。
城主は野宮淡路守信勝から28代まで続き、天正18年豊臣秀吉勢に抵抗し国峰城が落城とともに衰退。
後に茂木姓を名乗り茂木氏の祖となりました。


駐車場

上信越自動車道の橋脚の袂に数台分の駐車スペースがあるので
駐車場なわけではないのですがこちらに車を停めて川に沿って進みます。


入口

ガードレールの切れ目から侵入します。



この川に沿って進むと看板が見えて来ます。


入口看板

道路から見えた看板がこれです。



ちゃんと整備されています。
城址主郭まで判りやすい道が付けられています。


虎口

北側からの侵入は鏑川と断崖により侵入は不可能なので
こちらの侵入路が大手道となります。


横堀

横堀が続くこの帯郭はロープが張られていて、侵入禁止?という雰囲気だった(表示は無い)ので
今回この先へは行っていません。


竪堀

四の郭の東側に付けられた竪堀を虎口から見上げています。
この竪堀、山崎一氏の縄張図にはちゃんと表示されている堀です。



階段が付けられいますが、当時はこの堀を経て、主郭、二の郭、三の郭へと
出入りしていました。


四の郭

虎口の真上にある小ぶりの郭。
虎口を守るためのに横矢を掛ける郭であろう。


三の郭

東側にある三の郭。
郭の更に東側は沢になっていて間には武者走りが備えられています。


宮崎城祉

対岸に見える中学校が見えます。
この中学校が宮崎城で、その左手の尾根が神農原城になり、宮崎城、神農原城と睨み合っています。


竪堀

主郭と三の郭の間にある竪堀です。
大きめの竪堀で東側からの侵入や攻撃に備えられています。


二の郭

菱形に広がる二の郭は、主郭より少し高い位置にあります。
主郭と二の郭の間には堀切があり、先に見たロープを張られた横堀のある帯郭と繋がっていて
大事な通路になっていました。


主郭

二の郭より一段低い場所に位置する主郭は、城内でも最も広く一番奥地に築かれています。
北と西は鏑川の自然の要害と断崖で守られています。



奥に見える土塁の上が二の郭で、手前に広がっているのが主郭。


鏑川

主郭西側の断崖から下を覗き込むと川が見えます。
このような所に足を滑らせたらひとたまりもありません^^;


主郭土塁

主郭南側の土塁です。
この土塁の向こう側は堀切で、その堀切から二の郭の外側をぐるりと巡って
大手道へ出ることが出来ます。



橋脚を仰ぎ見ながら帰ることに。
無計画に偶然寄った城址ですが、なかなか良い城跡でした。大満足です。



斜面の道に付けられたロープには手すりとして使えるように
持ちやすい親切に瘤が作られています。
これに掴まりながら降りて来ました。


大山城は予定外の登城でした。
この辺りにはいくつか城址があったんだよねと言いながら上信越自動車道に沿って
キョロキョロしながら車を走らせていたら、偶然看板がちらりと見えて、
「ちょっと待ったあー!!」と車をバックさせて確認に行くと
やっぱり城址と書いてあるよと、早速攻城しました。
こんな人気のなさそうな場所なのに、しっかり整備された城址があるとは、驚きました。

この城址が整備されていたのは絶滅危惧植物が自生しているためでした。
キンラン、ギンラン、ササバギンランを絶滅から守るための保護活動がされているからで、
これらの植物がある場所にはロープが張られているので踏んだり荒らしたりしないように
注意しながら散策しました。
保護活動のおかげで城址も守られて一石二鳥のようです。



平成30年10月21日登城


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編
宮坂武男
戎光祥出版
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