【天神城】てんじんじょう
【別名】ー
【構造】崖端
【築城者】沼田顕泰
【築城年代】1557年(弘治3年)
【指定史跡】ー
【場所】群馬県利根郡川場村天神 地図
【御城印】あり
沼田城主沼田顕泰が三男朝憲に家督を譲り、末子平八郎を連れて
1557年(弘治3年)に隠居城として築城された天神城へ移ったと伝わります。
しかし、顕泰(長尾派)の嫡子である朝憲(北条派)を殺害したことで対立し、川場合戦が勃発。
多勢に無勢で顕泰は平八郎を連れて会津の蘆名氏を頼り落ちて行きました。
会津に落ちた顕泰は、その後長尾景虎を頼りに越後へ移り沼田城を奪還し再び沼田城主として入城しています。
富士山横塚線を走っていると天神地区に入ったところで城址への案内の矢印看板を発見!
某マップではここで曲がれと言ってくれないので駐車場へは案内してもらえず本丸下で行き止まってしまいます。
矢印看板に従って進みます。
舗装路へ行きたいでしょうが、看板どおりに砂利道へ。
駐車場
行き止まりに駐車場がありまいた。
駐車場の草が刈ってあったので、どうやら城址見学者ウェルカムということですね(^-^)
登城路もきれいに草刈りがされていてありがたいです。
土橋
細尾根のような道を進んで行きます。
虎口
いよいよ本丸のようです。
案内看板も見えています。
烽火台?とも思えるような小振りな曲輪ですが
城址碑と案内看板が設置されたしっかり管理された城址のようです。
城址碑
後から分かったことですが、やはり城址碑の裏に何か書いてあったようですね。
私も裏を覗き込んでみたのですが草木があって断念しました。
多分花が咲く樹なので刈らずに残してあったのでしょう。
ちゃんと、百合?なんかも残して草刈りされてあったので、
気を使いながら草刈り作業をされていたんだなあと思います。
川場かるた
城址碑の隣には「川場かるた」があります。
群馬県では上毛かるたというのが有名ですが、県内には多くの郷土かるたが存在しています。
各地の文化がわかるかるたになっているのでお城を巡っていると、
たまにかるたの札の場所に遭遇することがあります。
案内看板
案内看板とパンフレットがあります。
パンフレットは川場村の観光マップで、城址のパンフレットではありませんでした。
三方が崖地になっていて、徐々に削れて狭くなってきているようです。
眺望
眺望と言っても周囲に木があり、正面にはやまがあって良い眺めとはいきませんが
一応周囲の田んぼを見下ろすことが出来ます。
明治初期までは1反(約300坪)あったようですが…ひょっとしたらそのうち
自然に無くなってしまうのでは?と心配になる面積です。
帰り道、ここもどんどん削られているのであろうか…。
道もなくなっちゃいそう。
ここも曲輪だったのかな。
遠景
木々にかくれてしまっていますが、写真の中央に天神城があります。
よ~く見ると看板の裏側が写っているのですが、みつけられるかな😁
御城印が販売になっているというお城ということで訪ねてみました。
駐車場もあり、草刈りもされていてとても気軽に寄れる城址でした。
こんなにコンパクトながら、城址碑や看板もあり手入れされている状態を見ると地元愛を感じます。
令和4年5月29日登城
今回の参考本
【別名】ー
【構造】崖端
【築城者】沼田顕泰
【築城年代】1557年(弘治3年)
【指定史跡】ー
【場所】群馬県利根郡川場村天神 地図
【御城印】あり
沼田城主沼田顕泰が三男朝憲に家督を譲り、末子平八郎を連れて
1557年(弘治3年)に隠居城として築城された天神城へ移ったと伝わります。
しかし、顕泰(長尾派)の嫡子である朝憲(北条派)を殺害したことで対立し、川場合戦が勃発。
多勢に無勢で顕泰は平八郎を連れて会津の蘆名氏を頼り落ちて行きました。
会津に落ちた顕泰は、その後長尾景虎を頼りに越後へ移り沼田城を奪還し再び沼田城主として入城しています。
富士山横塚線を走っていると天神地区に入ったところで城址への案内の矢印看板を発見!
某マップではここで曲がれと言ってくれないので駐車場へは案内してもらえず本丸下で行き止まってしまいます。
矢印看板に従って進みます。
舗装路へ行きたいでしょうが、看板どおりに砂利道へ。
駐車場
行き止まりに駐車場がありまいた。
駐車場の草が刈ってあったので、どうやら城址見学者ウェルカムということですね(^-^)
登城路もきれいに草刈りがされていてありがたいです。
土橋
細尾根のような道を進んで行きます。
虎口
いよいよ本丸のようです。
案内看板も見えています。
烽火台?とも思えるような小振りな曲輪ですが
城址碑と案内看板が設置されたしっかり管理された城址のようです。
城址碑
後から分かったことですが、やはり城址碑の裏に何か書いてあったようですね。
私も裏を覗き込んでみたのですが草木があって断念しました。
多分花が咲く樹なので刈らずに残してあったのでしょう。
ちゃんと、百合?なんかも残して草刈りされてあったので、
気を使いながら草刈り作業をされていたんだなあと思います。
川場かるた
城址碑の隣には「川場かるた」があります。
群馬県では上毛かるたというのが有名ですが、県内には多くの郷土かるたが存在しています。
各地の文化がわかるかるたになっているのでお城を巡っていると、
たまにかるたの札の場所に遭遇することがあります。
案内看板
案内看板とパンフレットがあります。
パンフレットは川場村の観光マップで、城址のパンフレットではありませんでした。
三方が崖地になっていて、徐々に削れて狭くなってきているようです。
眺望
眺望と言っても周囲に木があり、正面にはやまがあって良い眺めとはいきませんが
一応周囲の田んぼを見下ろすことが出来ます。
明治初期までは1反(約300坪)あったようですが…ひょっとしたらそのうち
自然に無くなってしまうのでは?と心配になる面積です。
帰り道、ここもどんどん削られているのであろうか…。
道もなくなっちゃいそう。
ここも曲輪だったのかな。
遠景
木々にかくれてしまっていますが、写真の中央に天神城があります。
よ~く見ると看板の裏側が写っているのですが、みつけられるかな😁
御城印が販売になっているというお城ということで訪ねてみました。
駐車場もあり、草刈りもされていてとても気軽に寄れる城址でした。
こんなにコンパクトながら、城址碑や看板もあり手入れされている状態を見ると地元愛を感じます。
令和4年5月29日登城
今回の参考本