むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡る旅と日本城郭検定1級合格を目指してます。近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

お城・史跡めぐり(目次のページ)

2030年11月01日 21時33分39秒 | その他史跡




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※第12回の解答が発表になりました。日本城郭検定のホームページにてご確認下さい。


第13回 日本城郭検定 2018年11月18日(日)開催決定



正直、私は歴史についてぜんぜん詳しくありません。
私が紹介する城址は、「私でも行けるよ」、「こんな場所ですよ」ということが
お伝え出来ればと思って書いていますので訪れる参考にしていただけたら幸いです。  むぎ




私が利用している訪問したお城を記録できるサイトです
 地図は攻城団から許可をいただき使用してます。※ブログの内容について攻城団には一切の責任はありません。




日本百名城塗りつぶし同好会

ブログ内で未登城の城画像はラリー(自動車競技)のお友達であるまゆみさまより協力いただいております。
ブログ内登場のにゃんこは、我が家のアイドル猫「まろんちゃん♀」です。
まろんちゃんのその他の画像は「まろまろの部屋」で見られます。


石垣の名城 完全ガイド (The New Fifties)
千田 嘉博
講談社



7つの魅力でとことん楽しむ! 日本100名城めぐりの旅
萩原 さちこ
学研プラス



今年も出ました!毎日が楽しい「戦国手帳」
戦国手帳 2019年版 (ピーチ)
㈱コミュニティネット
㈱コミュニティネット


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記念公園(新潟県)

2018年09月26日 06時06分13秒 | その他史跡
記念公園きねんこうえん
別名まいづる公園
構造武家屋敷
創建者
創建年代江戸後期
指定史跡市指定文化財国指定重要文化財(旧若林家住宅)
場所記念公園 地図・旧若林家住宅 地図

雅子妃殿下のご祖母・静様の父方の実家にあたる武家住宅・旧嵩岡家住宅の他、旧岩間家住宅、旧藤井家住宅の3棟の武家屋敷が一般公開されています。



まいづる公園

記念公園は、皇太子殿下・皇太子妃雅子様ご成婚を記念した公園で
雅子妃殿下にゆかりがある旧家が移築されている場所です。


表門

舞鶴城(村上城)の石垣をイメージして石垣を取り入れた公園になっています。


旧嵩岡家住宅

江戸後期築の中級武士の住宅で、直屋・寄棟造りの茅葺きの住宅です。


玄関



居室

玄関を入るとすぐに、囲炉裏のある茶の間があります。
客間と居室の区別が無い座敷であることが特徴的です。


塩引き鮭

村上の町屋には、冬が訪れると沢山の鮭が軒下に並ぶそうです。
首吊りを連想させないために鮭の頭は下に向けて吊り下げています。
この日訪れたのは夏なので1尾だけ見本のように吊り下げられていました。
でも普段目にすることのない光景だったので真っ先見に行ってしまいました^^;


旧岩間家住宅

旧岩間家住宅は、直屋・寄棟造りの茅葺き住宅で、
長屋形式だった足軽などの下級武士が住んだ一軒の建物を
1858年(安政5年)に須貝勝太郎の屋敷として一戸建に建て替えられたものです。
その後、昭和23年に岩間氏が取得しました。
下級武家屋敷の遺構として貴重なことから。村上市指定有形文化財に指定されています。


取次の間

玄関からすぐが取次の間です。


次の間と座敷

取次の間の隣に次の間、その奥には座敷があります。


居室

囲炉裏のあるこの部屋は茶の間になります。
他の部屋とは仕切られていて居住空間になっています。
出入りも玄関ではなく土間の方から出入りします。
土間の隣には台所があります。



続・100名城のスタンプを求めておしゃぎり会館の方へ行ってみました。
そこには中級武家屋敷の旧若林家住宅があります。


三の丸記念館

三の丸記念館は、明治40年に村上銀行本店として建築されました。
昭和57年まで現在の第四銀行村上支店の位置で店舗として活用されていました。
外観こそは古風な佇まいですが中は鉄筋コンクリートで出来ています。
この建物を保存展示するために現在の地へ曳家で移動して来ました。


旧若林家住宅

三の丸記念館の隣にある旧若林家住宅は、
村上城下の中級武家屋敷の様子を残すもの貴重な建物として
昭和52年(1977)に国指定重要文化財に指定されています。



家族の生活区画と仕事の区画に分かれ、玄関もそれぞれ別になっています。



日本の古き良き風景を村上城下では観ることが出来ます。


こうしてみると古い日本家屋(武家屋敷)が沢山保存されている地域です。
雪の多い地域なだけにしっかりとした造りだったのでしょう。
時間があれば、城祉だけでなく城下町・武家屋敷を散策して歩くのもまた
楽しいものです。


平成30年7月21日訪問


永徳 塩引鮭 半身 姿造り 4kg前半の半身
株式会社 永徳
株式会社 永徳
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御殿のお月見会(楽山園)

2018年09月25日 08時01分57秒 | イベント・行事
御殿のお月見会~楽山園~
小幡陣屋

織田信長の次男織田信雄が7年の歳月と数万両を投じて築いた御殿跡と大名庭園があります。
十五夜ということで楽山園ではこの日に「御殿のお月見会」が開催されました。
今回で7回目となるお月見会は、今年は祭日と重なり賑わっていました。


庭門

提灯の灯りがお出迎え。


昆明池

幻想的な夜の大名庭園が目の前に広がります。
これを写真に納めたいと意気込んで来ましたが…。
とにかく夜の撮影は苦手で上手に撮れません。(>_<)


梅の茶屋と腰掛茶屋

仕事が終わってから来たのでちょっと出遅れたかな。
「梅の茶屋」と「腰掛茶屋」にはすでに大勢の人がお月見してます。


腰掛茶屋

腰掛茶屋からの眺め。
月は…雲に隠れたり顔を出したりの繰り返しでここからのお月さまは御縁があらず。
園内ではろうそく灯籠約500個が通路や池の縁に灯っている様子が見えます。


中島

腰掛茶屋から中島へ降りて来たところでお月さまが顔を出しました!


泉水

出た出た月が~♪
そして、足元の池の水はとても奇麗で月明かりの中覗き込んで見ると
メダカやカニが見えました


十五夜お月さん

私のデジカメではこれが限界ですかね^^;


お抹茶とお菓子

庭園を散策した後は、凌雲亭で「邦楽の夕べ」が行なわれ心地よい演奏を聴きながら
先着100名(400円)でお抹茶とお月見オリジナルのお菓子で大名気分を味わいました。
「月と庭園とお茶」の組み合わせはなんと贅沢な時間なんだろう…。



このお月見会があることを二日前に知って、雨で中止になってしまうのではないかと
心配していたのですが「晴れ女」の娘が一緒に付き合ってくれたので雨の心配も無く
行って来られました。




はじめて参加したのですが、なんて幻想的で、大名庭園て素晴らしいんだろうって感動しました。
お城に行くと、月見櫓を目にしますがお月見が出来るって贅沢~って思えてしまいました。
こんな贅沢もありですね(*^^)v
さすが織田さんちの庭園だ。
次は紅葉狩りや雪の季節にも庭園を訪れてみようと思います。
めっちゃ、楽しかった。来年もお月見に来よう。
誘ってくれた旦那様に感謝です<(_ _)>
そして…カメラ…グレードアップ出来てたらいいな。
やっぱ一般的なデジカメでは限界があります。いよいよ欲しくなって来たな。眼レフ


平成30年9月24日訪問


城下町小幡 純米吟醸 720ml
聖徳銘醸
聖徳銘醸
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新潟城(新潟県)

2018年09月22日 19時53分12秒 | 百名城以外の城
新潟城にいがたじょう
別名舟山城・白山城
構造平城
築城者新発田重家
築城年代永禄年間
指定史跡市指定史跡
場所新潟市中央区一番堀通町地先  地図

戦国期にあったと伝わる新潟城は、現在の新潟市中央区にあったと推定されます。
現在の白山神社および白山公園にあたります。
遺構はまったく残っていないため、その所在は定かではありません。
しかし、地名にそのヒントが隠されているのではないかと思うような地名がそこにはあるのです。


白山公園

白山公園へやって来ました。
このは白山(はくさん)=城山(しろやま)と読めませんか?
こじつけのように思える読み方ですが城山であることを隠しているように思えてなりません。


白山神社

公園の中にある白山神社。
1585年(天正13年)白山島には上杉景勝と新発田重家が戦った白山城(新潟城)があり
上杉景勝が戦勝の帰途に、鏡と啓を白山神社に寄進し、
必勝祈願のお礼まいりに訪れたという記録が残っています。
城内に白山大神をおまつりし、商人であふれ賑わっていたという記述が管窺武鑑、北國太平記に見られます。
白山神社の本殿は、長岡藩主牧野氏が造営、監督し、現代になって公園を造る際には
白山神社の境内に点在していた神様を本殿にお遷しました。


戊辰の松

1868年(慶応4年)に鳥羽・伏見で始まった戊辰の役は、
やがて全国に広がり新潟の中心部でも激戦が繰り広げられ、
白山神社境内でも砲弾が飛び交いました。
その時の弾痕を大きく留め、皮一枚になって生きていた松が「戊辰の松」と呼ばれ、
1965年(昭和40年)に台風で折れるまでここにあり、往時を偲ばせていました。


中尊寺・奇跡のハス

平安後期の4代藤原泰衡の首桶から採取された蓮の種子を培養し、
平成10年に甦らせ開花させた「中尊寺蓮」「泰衡蓮」とも呼ばれる貴重な古代蓮です。
約800年の眠りから覚めた蓮ということから「奇跡の蓮」と言われています。


楠本正隆像

新潟の文明開化の都市基盤整備政策を行った人物で、
太政官布達の公園設置を先取りし、白山神社境内に公園の造成をした人物です。


美由岐賀岡碑

この碑は明治45年に建てられたもので、明治天皇が御巡幸の折りここで御休憩をされ
信濃川や弥彦山を眺望されました。
そしてこの美由岐賀岡碑の隣には当時の昭和天皇が皇太子時代に地方を見学された際に、
明治天皇も眺望されたこの地を偲んで松をお植えになりました。


獅子山

ここは、獅子山と呼ばれる公園を造る際に盛土された築山で、
白山神社境内にあった狛犬や灯籠を一か所に集められています。


道しるべ

この道しるべは江戸時代に泉屋宗平により奉納されました。
京都へ600km
大坂へ652km
江戸へ380km
松前へ600km
会津へ128km
米沢へ128km
善光寺へ220km
仙台へ300km

新潟市中央から京都と松前が同じ距離とは…そうだったのか。。。


さて、遺構の残らないこの場所は新潟城であるかどうか確定出来てないのですが
なんとな~くここじゃないかなあと思う。
堀の付く地名などは堀があったからに違いないと信じたい。
よって、この公園と神社付近は新潟城があったということでいいんじゃないかな^^;
(希望もこめて)


平成30年7月21日登城


新潟「地理・地名・地図」の謎 (じっぴコンパクト新書)
新潟郷土史研究会
実業之日本社
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織田の御馳走門

2018年09月20日 08時09分54秒 | その他史跡
織田の御馳走門おだのごちそうもん
別名
構造薬医門・四脚門
築門者織田氏
築門年代江戸時代初期
指定史跡町指定史跡
場所甘楽郡甘楽町大字造石105 


織田信長の二男信雄に大和国宇陀郡3万石と上州小幡2万石が与えられ、
1616年(元和2年)に信雄の子信良が福島の仮陣屋に入りましたが、43歳で死去。
嫡男信昌が2歳で相続しましたが、幼い為信雄の四男織田出雲守高長が後見役となりました。
3代信昌は1629年(寛永6年)に福島から小幡への移転し小幡陣屋を築きます。
その福島仮陣屋時代に長岡家が米や塩の補給を行った為そのお礼に建てられたと伝わるのが
この織田の御馳走門です。


織田の御馳走門(薬医門)

門はこの「薬医門」と、奥にもうひとつ「四脚門」があります。
江戸時代初期に築かれたと推定される門の南側には石塁の跡が残り、
城郭の門のような形式をとっていたと考えられています。
柱の材質はクリ材を使用しています。


案内看板

織田氏が福島殿町の仮陣屋に居を構え、小幡に陣屋を築くまでの間、
長岡家が米・塩などの補給によく努めたので、その返礼に建てた門といわれる。
福島の仮陣屋は現在の上州福島駅付近にあったとみられます。

また、上州福島駅付近には1840年(天保11年)から小幡藩が瓦製造を始めた「福島瓦」が
地場産業として定着し、現在に至っています。
この窯元では世界遺産登録された富岡製糸場の建築用煉瓦、屋根瓦を焼成していた地域でもあり
以前主人に連れて行ってもらった笹森稲荷神社の道沿いには瓦店もあります。


民家の中にある織田の御馳走門は手前の薬医門は道路から見ることが出来ますが
奥の四脚門は敷地内にあるため容易には見ることが出来ませんでした。
引き戸式になっていたとはめずらしい。
これはぜひ見てみたいので機会をみつけて見せてもらいに行ってみたいと思います。

平成30年5月27日訪問


城下町小幡 純米吟醸 720ml
聖徳銘醸
聖徳銘醸
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