【刀根山城】とねやまじょう
【別名】刀根山古砦・刀根山城砦
【構造】丘城
【築城者】織田信長
【築城年代】1578(天正6年)
【指定史跡】ー
【場所】大阪府豊中市刀根山元町5−36 地図
刀根山城は、織田信長が伊丹城の荒木村重を討つため、美濃三人衆と呼ばれる
稲葉彦六(伊予守)・氏家左京亮(常陸介)・安藤平左衛門(伊賀)・芥川(茨木の国人)を
刀根山に配置し城砦を造らせました。
信長は本願寺攻撃の最前線にある村重が、本願寺に内通しているという噂を聞き、
天正7年4月に、稲葉・芥川は河原取出(池田)、氏家は四角屋敷・安藤は加茂岸に前進し、
村重を包囲し、一進一退の一年に及ぶ持久戦となりました。その後村重は近衆を連れて尼崎城へ逃れています。
信長は、この戦いでの最前線の重要な拠点のひとつとして刀根山城を築いたと推定できます。
常楽寺
この辺りは山と名が付くだけあって、高低差があります。
住宅地になっているため、遺構は残っていないようですが、主郭となるのはどうやらこの辺りということらしい。
しかし、この常楽寺の北側お隣もまた正安寺というお寺があります。
主郭に二つの別のお寺とは、これいかに?
刀根山御坊由来
常楽寺境内の隅にある刀根山御坊由来の石碑には、
織田信長により刀根山城が築かれたことが記された碑があります。
常楽寺の建立は池田市で、刀根山城が廃城になった後の移転の説と刀根山城と同時期の建立の説があり、
正安寺は常楽寺より前から刀根山にあったという説もあり
主郭(推定)であろう場所に二つのお寺の存在が謎過ぎて興味が持たれるところです。
これはもう少し文献を探して調べてみたいところです。
いろいろな文献を見ても、決定的な縄張りの特定が出来ていないようですが、
刀根山の語源は「殿山」の説もあり、周囲の地名などから見ても、
城または砦あったということは間違いないようです。
令和5年7月16日登城
今回の参考本
【別名】刀根山古砦・刀根山城砦
【構造】丘城
【築城者】織田信長
【築城年代】1578(天正6年)
【指定史跡】ー
【場所】大阪府豊中市刀根山元町5−36 地図
刀根山城は、織田信長が伊丹城の荒木村重を討つため、美濃三人衆と呼ばれる
稲葉彦六(伊予守)・氏家左京亮(常陸介)・安藤平左衛門(伊賀)・芥川(茨木の国人)を
刀根山に配置し城砦を造らせました。
信長は本願寺攻撃の最前線にある村重が、本願寺に内通しているという噂を聞き、
天正7年4月に、稲葉・芥川は河原取出(池田)、氏家は四角屋敷・安藤は加茂岸に前進し、
村重を包囲し、一進一退の一年に及ぶ持久戦となりました。その後村重は近衆を連れて尼崎城へ逃れています。
信長は、この戦いでの最前線の重要な拠点のひとつとして刀根山城を築いたと推定できます。
常楽寺
この辺りは山と名が付くだけあって、高低差があります。
住宅地になっているため、遺構は残っていないようですが、主郭となるのはどうやらこの辺りということらしい。
しかし、この常楽寺の北側お隣もまた正安寺というお寺があります。
主郭に二つの別のお寺とは、これいかに?
刀根山御坊由来
常楽寺境内の隅にある刀根山御坊由来の石碑には、
織田信長により刀根山城が築かれたことが記された碑があります。
常楽寺の建立は池田市で、刀根山城が廃城になった後の移転の説と刀根山城と同時期の建立の説があり、
正安寺は常楽寺より前から刀根山にあったという説もあり
主郭(推定)であろう場所に二つのお寺の存在が謎過ぎて興味が持たれるところです。
これはもう少し文献を探して調べてみたいところです。
いろいろな文献を見ても、決定的な縄張りの特定が出来ていないようですが、
刀根山の語源は「殿山」の説もあり、周囲の地名などから見ても、
城または砦あったということは間違いないようです。
令和5年7月16日登城
今回の参考本