【王城】おうじょう
【別名】平将門王城
【構造】居館
【築城者】平将門
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】千葉県柏崎市大井 地図
将門記の王城の地とは此の地なり
将門記に云く王城を下総の国の亭南に建つべしと
この地より眼下手賀沼を望めば大井の津が一望でき
北に筑波山を拝し西に富士山を奉拝し関八州を手中にできる。
この地こそ王城建設にふさわしい所であります
かつて奈良時代には相馬郡に六郷が置かれました
手賀沼南岸には大井郷と古溝郷が配され、手賀沼北岸には布佐郷、倉麻郷、意部郷、余部郷が置かれました
また同時代には東海道が京の大津から下総国府を通り大井より布施に渡り戸頭に出、常陸の国 石岡まで整備されました。
このように都市機能が整備なされた所に将門は相馬の都を建てることに決定しました。
平将門の事件を描いた「将門記」に、平将門が「下総国の亭南」に「王城」を建設したことや、
大井津のことが記載されていますが、大井津がこの地にある大井と推定されています。
令和3年12月30日登城
【別名】平将門王城
【構造】居館
【築城者】平将門
【築城年代】不明
【指定史跡】ー
【場所】千葉県柏崎市大井 地図
将門記の王城の地とは此の地なり
将門記に云く王城を下総の国の亭南に建つべしと
この地より眼下手賀沼を望めば大井の津が一望でき
北に筑波山を拝し西に富士山を奉拝し関八州を手中にできる。
この地こそ王城建設にふさわしい所であります
かつて奈良時代には相馬郡に六郷が置かれました
手賀沼南岸には大井郷と古溝郷が配され、手賀沼北岸には布佐郷、倉麻郷、意部郷、余部郷が置かれました
また同時代には東海道が京の大津から下総国府を通り大井より布施に渡り戸頭に出、常陸の国 石岡まで整備されました。
このように都市機能が整備なされた所に将門は相馬の都を建てることに決定しました。
平将門の事件を描いた「将門記」に、平将門が「下総国の亭南」に「王城」を建設したことや、
大井津のことが記載されていますが、大井津がこの地にある大井と推定されています。
令和3年12月30日登城
将門は東北の多賀国府(多賀城)とも結びつきがあるとの伝承もあり、坂東8ヶ国を支配下に治め、国司を任命して東国独立国家を開府したとあります。そして王城(皇居)を下総国の亭南に定めたということなので諸説ありますが王を意識しての行動と思われます。(個人の感想)
生まれが100名城のある奈良県高取なので城に興味があります。
王城というと最近は関ヶ原で新たに見つかった城を想起しますが、将門関連でも存在するのですね。
王城を名乗るということはやはり将門は関東の王を意識していたんでしょうね?