行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2016年10月1日(土)の日記

2016年10月01日 | 日記

予報通り雨で気温も低い。今日は長袖のTシャツを着る。だけど、外へ出ても特に上に羽織るものがいるとは思えなかった。気温は朝から20度程度が続く。20度ぐらいというと快適な気温。それに、雨だから外を歩くと蒸し蒸しすることもある。

洗濯は明日に回して今日は掃除だけやる。

昼飯は行徳駅前へ行ってゆで太郎もりそばと前にもらった無料券がまだ有効期限内なので海老天を1個。

そのあとスーパーで買い物をして帰るが、今シーズン初めてのみかんを買う。

自分が子供のころか20歳前後ぐらいまでは、10月の始めに青いみかんが出てくる感じだったが、今は2週間程度早くなっている。10月初めに買うとかなりオレンジ色が強くなったみかんになってしまうが、今日はまら青のほうが強いみかんを見つけた。

帰って1個食べる。シーズン初のものはみかんに限らずそうだが、口の中に広がる味や香りがなんとも言えない。

雨の日は家の中の整理。引っ越して、新居で生活するための大きい部分は一応、片付いているが、細かなものの整理はこれから。とにかく持ってきたけど、使い道のないものが案外多い。考えてみると、前の家でも使わずに単に置いてあっただけのもの。そういうものを一つずつ要るか要らないか判断しながら整理していく。これはけっこう時間がかかるから、ゆっくりとやっていくことになる。なので、今日はできる範囲だけをやる。

 

夜は引っ越してきたあと、行徳駅近辺を歩いていて気になった店に行ってみる。

行徳駅前一丁目で市川南消防署前の通り沿いにある遊心という店。


ここは引っ越したあと歩いていて見つけ、気になっていた店。特に「遊心」という名前が。

20年近く前、「遊心庵」という店に一度だけ行ったことがある。

今は串揚げの喜多朗になっている場所が1990年代の後半、そんなに長くない期間、遊心庵という店だった。行徳新聞に載ったのを見て行ったような覚えが微かにある。その頃、若い感じの夫婦が2人でやっていた。

その遊心庵は行徳駅南側の商店街の一角に移転し、跡が串揚げの喜多朗になった。移転後の遊心庵には行く機会がなかった。遊心庵も今は閉店し、検索すると食べログに閉店した店として情報だけは残っている。→こちら

店はスナックだった店の造り。午後6時台で他のお客さんもいない時間だったので、テーブル席に案内される。

飲み食いし始めてからだが、マスターと話をする中で遊心庵との関わりを聞いてみる。すると、前は遊心庵をやっていたということだった。ということは自分とは20年近くぶりの再開ということになる。マスターもとっくに若い人ではなく年配の人。自分だって当時は30代後半だったが今は50代の後半だ。

遊心庵は現.喜多朗の場所と移転後の場所と合わせて18年程度やり、そこを閉めてからは4年ぐらい南行徳で龍山という店をやったそうだ。その場所は今はペティーズカフェという店になっている。→食べログの記事

南行徳のイオン(前のダイエー)やヤマダ電機へ行くときに前を通る道だったが、たしかに一時期、異空間ダイニングバー龍山という看板が出ていた。入ったことはなかったが。

そして、マスターは龍山を閉め、今の場所で遊心庵から「庵」を取った遊心という店を開いたそうだ。

なお、龍山だった場所はさらにその前、2007年頃まで中華料理のつかさだったが、牛タンのへそまがりが一時、合流してつかさ店内でへそまがりコーナーとして営業していた時期があった。→2006年9月30日の日記(へそまがりコーナーも短い期間だけで、2ヶ月あまりあと2006年の11月に結局閉店)。 

さて、まずは生ビール。

突き出し(お通し)。

今の遊心もいろいろと遊び心に富んだ店。遊び心に富んでいるといっても店名は「ゆうしん」と読むとのこと。

入ったときカウンターにすでに先客が1人いると思った。

いや、かつての遊心庵のことが頭にあって、当時は夫婦でやっていたから奥さんが座っているのではとも思った。

が、実は人形。マスターによるとラブドールで、お客さんたちからはやよいちゃんと呼ばれているそうだ。

小上がりもあって、そこは昭和レトロ風の空間になっていた。

店内の棚(写真で右のほう)にはアナログレコードも並べられていた。

他のお客さんが来る前、マスターが好きなのをおかけしますよというので、ちょっと見てみる。マスターのほうが自分より数年程度、年上のようなので若い時に聞いていた曲にも微妙な時間差がある。マスターは1970年前後のフォークソングブームの時期がメインで、レコードもその頃のが多かったが、自分は1970年代後半のニューミュージックと呼ばれた時期の曲に思い入れがある。

選んだのは1970年代アイドルから南沙織のアルバム。南沙織は当時のアイドルでも歌唱力は抜群だった。

アナログレコードもあれば、CDプレーヤーもカラオケの機器もあった。

壁に何枚か飾られた絵の一つ。

今井橋近くのうなぎのそめやの親方が描きそうな絵だが、聞いてみるとやはりそうだった。そめやの親方は気に入った店にしかこういうのを描かないらしく、遊心のマスターがこれまでやっていた店にはちょくちょく来てくれていたとのこと。

これだけ見ても、いかにも異空間という感じだが、あとでトイレに入ったときにネームカードが置いてあって、それにも”異空間 遊心”とあった。

さて、飲み食いだけど、銀ダラ煮付け

なかなかおいしい。かつて遊心庵に行ったとき、たしか行徳新聞でマスターの料理の腕のよさについて載っていたのを思い出した。

ビールが終わって次は芋焼酎で

次のつまみは酢どり。酢豚の豚の代わりに鶏肉を使ったもの。

2杯目の芋焼酎は魔界への誘い

最後にガーリックポテトと角ハイボール。

なお、店内にこんな看板があった。10月からは年中無休で営業するとのこと。

まあくれぐれも無理のないように。