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根木勢介 さんの記事・・・吉田茂:その⑦娘和子の証言・金庫番2-2

2012-12-30 | 根木勢介 さんの記事
根木勢介 さんの記事・・・吉田茂:その⑦娘和子の証言・金庫番2-2
 
 
 今日は、久しぶりに「雨」の心配をせずにすむ一日になりました。
四国では、雨は当分いらないですね。
 
 
◆大久保利通(ここでは、茂の奥さんである雪子の祖父)のこと:
 
【海音寺潮五郎】
 ・・・。彼(大久保利通)はほとんど薩摩外に出ていないのです。斉彬の
 生前、西郷(隆盛)がちょっと熊本に連れ出て、熊本藩の家老長岡監物と
 西郷の友人津田山三郎とに会わせたことがありますが、そのほかには
 国外に出たことはないのです。
 他の連中は度々江戸、京、大坂に出ているんです。
 有馬は何べんも江戸へ行っているし、吉井友実は大坂藩邸詰めになっているし
 、有村俊斎すら何度も江戸に出ています。
 だのに、国許を離れない大久保の方が、天下の形勢にも通じており、
 なかまにもえらいと見られていたのです。
 よほど頭もよく、統制力もあったのですね。
【司馬遼太郎】
 才腕の人としては、日本史上最高の政治家といえるかも知れませんですね。
 西郷の場合、哲人、思想家という本質がある。
 別に西郷は思想書を著したわけではなく、その書簡などもほとんど時勢に
 関することで、思想そのものは書いていない。
 江藤淳氏はおもしろいことを言っているのですが、「西郷隆盛という思想がある」
 と。
 当時の日本人もそう思っていたし、今のわれわれも、西郷というのは、文字で
 なくてその生涯を原稿用紙にして、行動とたたずまいでもって思想を書いた人だ
 という感じですね。
 西郷さんならこういうだろうとか、いちいち人間の生き方についての根底の課題が
 出てくる存在ですけれども、そこへゆくと大久保利通にはそれがない。
 大久保にあるのは、稀有の、天才的といっていいマキュベリズムの才能なんですね。
 マキュベリズムは革命の前期、これは、例えば吉田松陰のような、詩人気質の
 人物が多くは出て来ますが、その時期には必要なくとも、革命の仕上げ期には要る。
 それに革命成功後の政権樹立後にも要る。
 革命も煮詰まって来るともはや、息詰まる陰謀と敵の陰謀封じの工作々々の連続  
 ですから、
 大久保はそれをやった。しかも破壊屋というだけでなく、政権樹立後の体制つくり
 をも主導的にやった。
 一人の人間にそれだけの才能がよくも宿っていたものだと思うほどです。
 ですから西郷がえらいか、大久保が偉いかというけれども、このふたりは
 全く体質の違った結局別の人ですね。
 別の人でありながら実によく組み合っていて、投手と捕手の関係のように二人で
 みごとな機能を果たした。
 あれほどの人物が、互いに近所で生まれて幼な友達だったということは奇蹟ですね。
【海音寺】
 奇蹟ですね。薩摩は当時武力的には日本一の雄藩ですから、幕府を倒したのは
 主として薩摩の力をいわなければなりませんが、その薩摩の中軸となった二人が
 同じ町内に生まれ合わせ、あんなに双方かわっているのに最も仲がよくて、最も
 しっくりした連携をとって働いたということは、日本歴史の大奇蹟ですね。
(日本歴史を点検する:海音寺潮五郎・司馬遼太郎の対談集 111Pより)
 
 
<吉田茂の金庫番2-2・安斎正助>
■父吉田茂:麻生和子著 光文社知恵の森文庫254pより
・富士山
 ・・・。
 昭和四十二年の十月二十日は、とてもきれいに晴れた秋の日でした。
しばらく前から父は床についていましたが、その日は体調がよかったらしく
、冨士を見たいといいました。
看護婦さんに手伝ってもらってベッドから椅子に移し、窓に寄せると、遠くに
はっとするほど美しい富士山が見えました。
「きれいだね、冨士は」
という父と、しばらくのあいだいっしょに富士山を眺めて過ごしました。
その日、調子のよさそうな父を残して私が渋谷の家に戻る途中、父は息を
ひきとりました。
眠るように静かな最期だったそうです。八十九歳でした。
亡くなった母も私もカトリックでしたから、父も最後には洗礼を受けると
約束していました。
そうして、まんまと天国泥棒をしようというのです。
けれども父は、なんでも来いでしたから、高天原からもおよびが来るでしょうし、
極楽からも天国からもおよびが来てしまって、どこへ行っていいんだか
わからないやと困ったかもしれません。
父が亡くなったあと、安斎は自分の家族のことを妙に心配しているようでした。
主人(麻生多賀吉)が決まったお金を分けると、ひじょうに安心したというふうで
したのでそのまま父の死の後始末に追われていたところ、一年目に安斎は大磯の
家の松葉を掃き集め自分の身もいっしょに火をつけてしまいました。
殉死というのでしょうか。
ひとりではなにもできない父のそばへ行って身の回りの世話を焼こうと思って
くれたのかもしれません。
・・・。
 
※安斎正助
 
 
●次回は、「小りん(こりん)」さんについてでも。
 
根木勢介  携帯:090-2825-2069
 

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