根木勢介 さんの記事・・・長崎事情:その④アルメイダ2-2
先日は、安芸市・岩崎弥太郎生家で観光ガイドでした。
弥太郎生家には、ふたつ蔵が、ありますが、添付の写真はその屋根の「鬼瓦」です。
鬼瓦の左右がクチバシのようになっていて、高知県下では他に見ない鬼瓦の
カタチです。
近くの人のはなしでは、「八咫烏(やたがらす)」の鬼瓦だそうです。
和歌山から来た人が、この鬼瓦を見て開口一番、
『うち(和歌山)にもある』
と喜んだそうです。
その和歌山の人によると、「熊野神社」にもあるそうです。
八咫烏の鬼瓦について、ご存知の方は、情報をお寄せください。
さて、「ルイス・アルメイダ」についての話です。
■長崎県の歴史:瀬野精一郎ほか著・山川出版 129pより
・コラム欄:アルメイダ より
長崎県の各地にキリスト教の種子(たね)を蒔き、育てた人物が
ポルトガル人神父ルイス・アルメイダである。1525年リスボンの
ユダヤ人家庭に生まれた新信徒で、医学を学び、1546年ポルトガル国王室
から外科医の免許状を得ている。1548年商人としてインドのゴアに渡り
1552年に来日した。
イエスズ会の宣教師たちの活動に心を動かされた彼は、山口にトルレス神父を
訪ね、豊後府内でガーゴ神父から霊的指導を受けた。日本の悪習の間引
(まび)きに心を痛め、1555年私財を投じて育児院を建てた。
翌年イエズス会の修道士となり、財産を同会に寄進したが、この金は
ポルトガル船搭載の生糸に投資され、同会の貴重な財産をうみだした。
また、府内に病院を建ててみずから治療にあたり、日本人の外科医養成にも
つとめた。
彼は、長崎の各地に布教の礎をきずいた。1562年の横瀬浦が最初であり、
トルレスの指図により平戸にかわるポルトガル船の入港地として開港した。
横瀬浦焼亡後、ポルトガル船は福田、長崎の新港地に入港した。
彼は、1567年初めて長崎に布教を行い、これはキリシタンの町長崎の
発端となった。
島原半島へのキリスト教布教も1563年彼によってはじめられた。
島原、ついで口ノ津に教会ができた。
口ノ津は短期間でキリシタンの町となり、島原半島のキリシタン布教の
拠点となっていく。
五島への布教も1566年彼によってはじめられた。「日本史」の著者
フロイスが指摘するように、「彼は日本人達から格別に愛され慕われるように
天分を授け」られていた。
商人から聖職者への大きな回心は、日本および長崎の初期布教のために
彼に予定されていたかのようである。
◎アルメイダが、「なぜ日本人に受け入られていったのか」は、このコラム
ではよくわからない。
次回は、司馬遼太郎さんの「手にかかる」とどのようになるか、見てみます。
根木勢介 携帯:090-2825-2069
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