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樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その3 歴史と樹齢

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その3 歴史と樹齢


  




 

 
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  史跡「高知城」に見られる樹木は、高知市教育研究所発行による「高知公園の樹木」によると、広葉樹140種・針葉樹19種・計159種が調査されている。


 


この調査の時点と現在との間に、一部の枯損とその後の植栽で多少の変動が生じていることも考えられるが、古木については大きな変動は無いものとして、上記調査による位置図を基礎として現状の把握に当たった。


 


古い樹木の樹齢については、その判定は極めて困難である。


昔から使用されている成長錐、最近の軟X線、超音波装置等いずれによっても、古木に良く見られる心材部の腐朽があれば、これらの器機・装置の使用は無意味となる。


 


今回の調査における樹齢の把握は、上記の「高知城の歴史」を基礎として、樹木の生立環境・条件を判断し、樹相(樹種と大きさ・樹幹の様相・古さ等)により、歴史との関係を想像し樹齢は調査者の独断により推定した。


 


歴史的事実との照合が可能であり、誤差も大きくは無いものと判断できるものもあるが、多くは推定の範囲に止まることになった。


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「高知城の樹木」の樹齢については、基本的には次の区分を推定の拠り所とした。


 


(1)、明治6年(西暦1873年)高知公園・県立都市公園としての開放時


(2)、享保12年(西暦1727年)の大火災


 


この歴史的事実を基礎とすれば、(1)の区分によれば122年生が境であり、(2)の区分によれば268年生が境となる。


 


(1) の史実は最も新しく、又、樹種等との関連性により判断の比較的容易な部分である。


 


それは、県立都市公園として開放時の造園工事が見られる部分と、イチョウ・ヌマスギ・ヒマラヤスギ等渡来樹種との重なる部分であり、これ等は都市公園としての開放時に植栽されたものと判断することが出来る。


 


(2) の部分以降の築城工事と同時に植栽されたもの、更に、その当時に、又、それ以降に自然発生的に生育したものについては推定が困難である。


 
  



  


さらに、高知城の樹木の中にはこの享保の大火を免れた、最も古い樹齢の樹木も相当生育しているものと見ることが出来るようである。


 


これらの部分に当る樹木については推定樹齢と、実樹齢との間に逆転の誤差が生じる事も無しとは言えない。


 


多くの諸賢のご指摘をお願いしたい。(注:これは1995年に作成したものです)


 


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