mimi-fuku通信

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マリア・カラス/ カラス・アッソルータ :オペラ・ファン必見番組。

2009-05-02 20:00:00 | オペラ・バレエ・舞台


 ウイークエンドシアター:ドキュメンタリー
 「カラス・アッソルータ/究極のマリア・カラス」

 放送局 :NHK-BShi(ハイビジョン)
 放送日 :2009年5月2日(土)
 放送時間 :深夜1時31分~3時09分(放送終了)
 
*この番組は、2009年11月15日に放送された番組の再放送です。
 
 <mimifukuより一言。>

 今年(2008年)の6月23日に放送され、2度の再放送があった、
 「ハイビジョン特集:マリア・カラス/歌に生き、愛に生き。」に続いて、
 今年放送される2つ目のマリア・カラスのドキュメンタリー特番です。

 NHKの番組ホームページからは、内容を把握することはできませんが、
 前回放送された<恋する女性:マリア・カラス>とは、
 アプローチが異なる番組制作であろうと感じます。
 オペラ・ファンとして言わせていただければ、
 あのように辛い内容の<晩年の1ページ>をクローズアップした、
 偏った番組(歌に生き、恋に生き)だけをご覧になられた視聴者の方が、
 マリア・カラスを知ったつもりにならないように祈るばかりです。
 
 マリア・カラスは、紛れもなく不世出の大歌手であり、
 マリア・カラスほど、ディーバの称号を欲しいままにした歌手はいません。

 その我儘伝説が一人歩きして様々な捉え方をされるきらいもありますが、
 その卓越した歌唱技術でベルカント・オペラに新たな息吹を吹き込んだことや、
 ドイツ・オペラと比較し軽いイメージが持たれやすいイタリア・オペラを、
 誰よりも劇的にドラマチックな歌唱法で、「恋の切なさ」や、
 「激しい情熱」を表現できた歌手は時代背景を考えても、
 今後二度と出ることがないでしょう。
 
 今回の番組は、
 フランスで2007年(去年)に制作された『マリア・カラスのドキュメンタリー映画』、
 との事ですが今からワクワクします。
 願わくばマリア・カラスの歌手としての本質を浮き彫りにした、
 番組制作であることを希望しています。

 どのような内容であれ、オペラ・ファンは必見です。


  <放送後の感想。mimifuku的評説。>

 満足のいく内容だった。
 この番組を見ることができただけで、
 今月分の受信料を支払う価値があったと感じる。
 限られた時間の中でバランスよく配置されたマリア・カラスのヒストリーは、
 これまで私が知っていたCD音源や映像記録の断片的な記録の糸を、
 見事につないでくれた。

 芸術家としてのマリア・カラスと、
 カラス自身が語るアイドルとしてのゴシップに満ちたマリア・カラスの人生を、
 脚色することなく残されている限られた映像や写真、音源を収集し、
 年表仕立てに紹介したドキュメンタリーに込められたマリア・カラスの真実に、
 大きく感銘を受けた。
 この番組を見ずして6月に放送された、
 <ハイビジョン特集:マリア・カラス/歌に生き、愛に生き。>を見ても、
 不世出のプロ歌手であり最良の芸術家(妥協を許さない完璧主義者)としての、
 カラスの本質に迫ることはできないだろう。
 また残された数少ない映像を拝見しながら、
 1950年代の映像技術では望遠能力も乏しかったと考えられ、
 もう10年間遅く生まれるか、ピークの時代を保ってくれていたらと夢想した。

 この番組を見られた方の感想を聞いた見ることのできなかった人達は、
 再放送の可能性を信じて番組表をチェックする日々が続くだろう。
 私の中では今年放送されたクラシック番組の中でも間違いなく、
 Best3に入る番組として記憶に残った。

 <番組ダイジェスト:マリア・カラス・ヒストリー>

 1923年、ギリシャからアメリカへ移民したカルゲロプーロス家(ギリシャ名:カラスの名は、移民後のアメリカでの改名)の次女としてニューヨークで生まれたマリア・カラスの生い立ちを書き残すにも番組から感じた情報量が多すぎて言葉に残すことは困難だ。
 番組で紹介された、母がカラスに託した自分の夢と、母親なりの幼少の頃の英才教育。
 11歳の時のアメリカのラジオ・コンテストの入賞と12歳時のカラスの歌声の貴重な音源の公開。(プッチーニ「ある晴れた日に」)
 1937年にギリシャに帰国後の出会いと音楽学校での日々と、17歳の健康的に太っていた青春時代のカラスの肖像。
 戦時下の占領されたギリシャでの活動と終戦後の反発。

 1947年のベローナ大劇場でのイタリア・デビューは、セラフィン指揮の「ジョコンダ」。
 その公演で、後に結婚する28歳も年上の実業家:ジョバンニ・メネギーニとの出会い。
 1948年:フィレンツェ音楽祭での「ノルマ」の大成功と、
 翌年、ベネチアでのダブル・プログラムのストーリーは圧巻。
 主役としての「ワルキューレ」と、主役降板の代役を務めた「清教徒」での集中力(急病での降板からわずか一週間で仕上げる。)
 2つの役を同時にこなしたカラスに対する賛辞は世界を駆け巡る。
 さらにロッシーニ・オペラ等、超絶技巧を要求される多くの演目をことごとく完璧に仕上げ、
 1951年:待望のミラノでのデビューは、「シチリア島の夕べの祈り」。 

 この頃のカラスの問題は、100kgを超える体重。
 カラスは、1953年頃に1年半ほどの期間に40kgのダイエットに成功。
 技量・容姿ともに比類なきディーバへの道を歩み、ファションリーダーとしての役割や時代のアイドルとして。
 さらに、ただ歌うだけのオペラ歌手から、見られることを意識した舞台女優としてのカラス・ブランドをも確立。
 1954年ごろ映画監督のルキノ・ヴィスコンティと演習や、その際のインタビュー映像は興味深い。

 1953~8年頃のカラスは、ミラノ・スカラ座の女王として君臨。
 その頃の音源は、貴重な歴史遺産として、今の世にもオペラ・バイブルとしての価値は変わらず再販され続けている。

 1958年頃から、あまりに巨大になりすぎたカラスの名声に影を落とす多くの出来事が、次々と起きる。
 カラスに、止め処もなく無心をする絶縁した母の執拗な攻撃。
 完璧主義なカラスが起こしたキャンセル事件への波紋。
 1958年のパリ公演でのオナシスとの出会い。

 1965年のロイヤル・コペントガーデン歌劇場での不調によるキャンセル事件に、カラスは舞台女優
としての体力の限界を感じた。
 その後のオナシスとの恋や、大学での教鞭、自殺未遂等の晩年も多くの映像を交えながら精緻に紹介。
 カラスの遺灰は、エーゲ海に眠った。

 最後にマリア・カラスの言葉を2つ紹介する。

 
「同じことを何度も繰り返すことを芸術とは言わない。」

 「人はアイドル(幻想)を作り、簡単にそのアイドルを壊すのです。」

 
 
<番組内容:ホームページより転載。>

 伝説的なソプラノ歌手、マリア・カラスの芸術と人生を蘇らせたドキュメンタリー映画。
 歌手であり、一人の女性であったマリア・カラスの、ときにオペラそのものを凌ぐ ドラマティックな人生の物語を、過去のフッテージを交えて再現する。

 ナレーター: 窪田 等

 [ 制作:2007年, フランス (Swan Productions / ARTE France) ]


 <関連記事>
 *ハイビジョン特集:マリア・カラス/歌に生き、愛に生き。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/0342d124689d55896f856bea80f5f0b9

 *カラス・アッソルータ@ミラノスカラ座(2007:.9:16の記事)
  ~イタリア関心空間:アヤコさんの日記 ~
  http://www.kanshin.jp/italia/index.php3?mode=diary&id=7244&date=2007-09

 *TARO'S CAFE: 続々・オペラ名歌手201(2005:5:17の記事)
  http://taroscafe.cocolog-nifty.com/taroscafe/2005/05/201_c415.html
 TARO'Sさんの記事転載:
 
アッソルータというのは英語のアブソルートに相当するイタリア語で、
 「絶対的・完璧な」というような意味。
 マリア・カラスはドラマティックな声であるにもかかわらず、
 完璧なコロラトゥーラをこなしたことで、
 唯一無二ともいえる絶対的な賞賛を得ていたわけで、
 「プリマドンナ・アッソルータ」と称されていたと言うのは有名です。

 

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