福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

実兄死去に際して(6) 兄とともに生きられたことに感謝 冥福を祈る

2015年01月23日 01時22分14秒 | コラム、エッセイ
 ▪️昨年、「互いの死亡時には最小限連絡だけはし合う」と確認
 昨年のお盆、私は墓参りの後、秋田に戻る途中でいつものように兄宅を訪問した。この時の会話が最後になった。
 兄の様子は加齢による体力の低下の様子は認めたが、まだ酸素を吸いながらベットから離れることもできた。もっと弱っているかと思ったが、一昨年の印象と大差ない状況に見えた。短時間の面談の範囲ではボケの症状も感じ取ることは出来なかった。

 交わされた話題の中で、兄嫁は「あと数年は生かしたい。生きててほしい・・」と述べた。私は兄本人の気持ちを確かめた。通常、高齢になると別な返事をするものであるが、「自分としても生きたい・・」と明るい口調で述べた。その時の表情に私は感じ入った。通常は夫婦二人の生活で、ヘルパーの援助はあると言え、不自由な体と呼吸障害を抱えた80歳の病人のケアは大変なはずであるが、兄嫁との生活に満足しているからこそ発すつことができる言葉である。

 最後に二人で並んで写真を撮った。二人とも髭面で満面笑みをたたえており、年齢差など分からない。記念すべき一枚となった。

 約30分後、「来年の再会」を期して兄宅を辞した。最後に互いに病気を抱えている身であるので、「互いの死亡時には最小限連絡だけはし合う」ことだけ確認した。これが最後の別れの言葉になった。

 兄は肺炎を併発したのであろう、1月8日に死去した。

▪️兄とともに生きられたことに感謝 長い間ご苦労様
 兄の死去を機会に弟の私から見た兄の姿、兄に対しての心情を綴ってみた。

 私どもは二人兄弟であり、年齢差が11才あった。この年齢差が二人の結びつきを堅固にしたように思う。さらに、彼が高校三年生、私が小学一年の時に交わした約束は私の立場からみて勝手すぎる約束だ、と思ったこともあるが、二人の間では一度も蒸し返すことはなかった。

 兄の人生は私よりは波乱に満ちていた、と思うが、一度も愚痴らしい話は聞いたことはない。常に明るかった。
 私は、社会的は恵まれた道を過ごしたが、たまたま運が良かっただけ。本心とはかけ離れたコースであったが、自分としては厳しく辛い日々でもあった。壁に当たった時に、挫折しかかった時に、ふと思ったのは語られることのなかった兄の心境であった。比較など到底できないが、私より遥かに厳しかったことだろう、と思い、私は生きるための教科書として参照してきた。兄にとっても私の存在は生涯を通じて小さくなくなかった、と思いたい。

 私が、兄の訃報を聞いたとき最初に思ったのは「私が先に逝く悲しみをあじあわせなくて良かった、これで恩の一つは返せた」、であった。
 兄とともに生きられたことに感謝し、「長い間ご苦労様でした」と霊前に語りかけた。
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