福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

実兄死去に際して(3) 兄と比較され常に挫折・悲哀を味わって成長(1)

2015年01月17日 10時52分16秒 | 自己紹介・自伝

 兄と私の間はの関係は歳の離れた兄弟ということで仲も良く、私は兄を尊敬していた。しかし、地域や親戚の中では二人の密約など通用しない話であった。当時、個人より家が、長男が格別に尊重され、年端もいかない次男坊なんて軽い存在であった。
 
▪️挫折(1) 長男は正明 私は影の薄い次男坊
 家族間では兄が大学進学のために家を離れ、私と兄の立場が変わっり何れは私が家業を継ぐことことは理屈としては容易に受け止められたが、母や祖父母にはかなり未練を喉していたと思われる。地域や親戚の方々にはなかなか通用しなかった.彼は何時までも我が家の長男であり、私は影の薄い次男坊のままで、長男の立場を果たさんと意気込んでいた私は自尊心をいたく傷つけられた。

▪️挫折(2)  私立中学で「正明の弟」
 中学は地元の中学校ではなく兄と同じく盛岡市にある私立岩手中学校に進学した。
 この岩手中学は中高一貫校である。11歳違いの兄は同校で学び、優秀な成績で卒業し東北大学に進んだ。兄の友人は東大医学部に進学したこともあって、この高校にとってエポックメーキングな記念すべき年に見なされていた。

 私立学校の教職員は転勤がほとんどなく閉鎖的である。殆どの教師は私は卒業した「福田正明」はまだ記憶に新しく私は「福田正明」の弟としての扱いであった。入学して数日後、私は教頭室に呼ばれた。そこで話されたのは、「正明の弟」として「学校では君に大きく期待している、・・・」と言うことであった。私は兄よりは「鈍」であり頭も良くない。中学に入ってのちもそれだけの成績は示してはいたが、いつも私個人というよりは「正明の弟」として比較されながら見られていることに大きな煩わしさ、不満、プレッシャーに変わっていった。

 中学2年の夏頃、岩手中学の生ぬるい学習環境に嫌気がしはじめ、このまま中高として在籍していては医学部への進学は困難ではないかと感じ始めていた。心の中では中退し盛岡一高に進学する気持を固めた。ちょうどその年に村役場の職員であった父が村長と言い争いが元で突然退職した。私はこの機会を利用、経済的問題が生じたために、という理由をあげて地元の中学に転校した。この話を告げた時の担任の表情は未だに忘れられない。
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