外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

「EDISON」を個人的に追悼する

2012-12-04 00:09:32 | イタリア
閉店セール風景(全て30%引き、と看板に書いてある)




「EDISON(エディソン)」というのは、電球を発明したアメリカ人ではなくて、フィレンツェのレプッブリカ広場にあった人気書店の話である。
店内はさほど広くはなかったが、地下1階、1階、2階、そしてロフトのような最上階があるという縦長の構造で、全体的に「なんかセンスがよくて知的」な空気が濃厚にただよっていた。
アート関係の本が置かれた2階部分にはカフェもあって、飲み物(エスプレッソもビールもワインもお茶もよりどりみどり。パニーノやドルチェもある)を飲みながら売り物の本をゆっくり読めるようになっていた。
私はあまり参加したことがないが、朗読会や講演会などの催しも頻繁に行われていたようである。
要するに、現代のフィレンツェ文化の一角を担う重要な存在だったといえよう。

そのエディソン書店が去る11月末にお亡くなりになった。
インターネットの普及に伴い、高いお金を払ってわざわざ紙の本を買う人が減り続けているうえ、イタリアのこの不況である。
レプッブリカ広場周辺の建物の家賃は天文学的な金額だと聞くし、つぶれない方が不思議なくらいだ。
閉店後の店舗にはアップルのチェーン店が入る予定だが、フィレンツェ文化(ひいてはイタリア文化)の低迷を憂える人々が、この書店の救済のための署名運動を起こしており、地元の政治家も動き出したようなので、この先どうなるかはまだ不明である。

かつてよくこの書店にお世話になった人間のひとりとして、ここで私は個人的にエディソンを追悼してみたいと思う。

私にとってエディソン書店とは、「待ち合わせ場所」だった。
本を買ったことは数える程しかないが(だって本って高いんだもん)、友達との待ち合わせに利用した回数は数知れない。
そういう人は多いと思う。・・・エディソンがそのファンの多さにもかかわらず、つぶれてしまった理由はこの辺にあるのだろう。
お気の毒なことである。

エディソンが待ち合わせ場所として優れていた点は、
(1) 街の中心にある
(2) 有名なので誰でも知っている
(3) 店内の随所に座るスペースがある
(4) 本を読みながら待てるので退屈しない
(5) 2階のカフェで待ち合わせて、ゆっくり座って何か飲みながらお喋りすることもできる
などであろうか。
イタリアのバールは立ち飲みが基本で、椅子に座ると高い料金を払わなければいけないことが多いのだが、エディソンのカフェは座り料金を取らなかったので安くついた。
しかも何時間いても文句を言われないのだ。

しかし美しい花にはトゲがあると相場が決まっている。
エディソン書店は「ナンパじいさんの待機場所」でもあったのだ。しかも彼らは日本人女性専門である。
日本人女性がナンパに引っかかりやすいせいなのか、それとも優しくておしとやかだから人気があるのか(それはそのとおりだと我ながら思うけど、ふふふふふふふ)、あるいは、実は日本人専門だけではなく、中国人専門、ペルー人専門、ベネズエラ人専門などのナンパ男性も存在するのか、詳細は不明である。
とにかくエディソンのカフェで日本人の女友達とお茶をしていると、どこからともなくその手のヒトが現れて、そばに座って会話に乱入しようと試みるのだった。
これが若くて可愛い男の子なら嬉しいのだが、みんなどうみても年金受給資格を持っていそうで、しかも相当うらぶれた外見なのが残念だった。
まあ相手は老人だし、特に害があるわけでもないので、私は暇なときはある程度相手をしてあげて、電話番号を聞かれたら断るようにしていた。
しゃべるのが面倒なときは、つーんと無視したが。

エディソンが閉店してしまった今、彼らはどこに行ったのだろう。
少しだけ心配だ。

・・・あれ、私はエディソンを追悼していたはずなのに、なんでナンパじいさんの心配をしているのだろう?



最終日のイベントのひとつ、ジャズの生演奏をバックにした朗読会の風景




閉店セールで私が買った本2冊と、最終日のイベントのチラシ
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