私は初老男である。
1月は・・・・「行く」
2月は・・・・「逃げる」
と言われる。
本当にそうだなぁ。って思う。
ちなみに、3月は「去る」と言う。
私は数10年間「交通違反」を犯したことが無い。
ゆえに免許証は「ゴールド」である。
だから更新は5年に一度である。
先週、その更新された免許証を受け取りに行った。
以前は免許証の写真は、その更新手続きをする場所で撮影されていた。
しかし、今は写真は持参すればそれを使うことができる。
前回の2012年からは、自分で写真を持っていくことにした。
おかげでこの5年間は、それ以前の自分の写真に対する「残念感」はいくらか薄く過ごすことができた。
今回も、もちろん自分で写真を持参したので「それほどひどくはないだろう」とタカをくくっていたのだが。
「酷い・・・・・・・・」
たしかに写真を用意した時、嫌な予感はしたのだがその時で一番の出来であるものを選んで持って行ったのだが・・・・。
「使用済みの免許証は、穴をあけて持って帰れますがどうしますか?」
事務員のお姉さんが言う。
「持って帰ります」
考えてみれば、こうしたことないと自分の免許証をちゃんと見ることは無い。
特に違反や事故を起こさない限りは、財布の中で眠っているのが普通だ。
5年前の免許証と出来てきた今の免許証。
51歳の写真は、上手に撮れていたせいもあるが「輝き」があった。
対して今の56歳の写真には「初老」というより「陰翳のひどい老人」に見えた。
人生のおいて、たしかに50代初めから半ばというのは「一番過酷な年月」であろう。
そして、自分がこの5年の中で経験したことは、予想した通りの「過酷さ」であった。
「人間は見た目がすべてである」とわたしもこのブログでUpしたことがあるが、そのことを証明するように自分の免許証を見ている。
このことを受け入れるのは、かなりツライがこれも人生。
気に恐ろしきは「5年の年月」ということか・・・・・。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、年月を超えた自分を持ち続けますように。
May
年齢相応の「見た目」というのは、なかなか手に入らない物なのかなぁ?