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マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

フンボルト大学

2011年03月16日 | ハ行
           潮木 守一

 ドイツの首都、ベルリンの目抜き通りにあるフンボルト大学は先ごろ、今年(2003年)秋からの新入生受け入れを停止すると発表した。

 事の起こりは政府の大学予算カットにある。大学入学試験のある日本とは違って、高等学校の卒業資格を持った者は、どこの大学でも、どこの学部[例外はある]でも進学することができる。このことは、ドイツの憲法に明記されている。だから、新入生受け入れを停止すれば、大学側が憲法違反に問われないとも限らない。

 さらにその上、今回の予算削減策に応ずるためには、教職員の新規採用を一時停止しなければならず、ことによっては教授ポストを35%削減する必要があろう、と大学側は見解を発表した。

 フンボルト大学が予算カットを受けるのは今回が初めてではない。すでに1995年ごろから、数回にわたってその予算は削られてきた。その結果、1995年当時373人あった教授ポストは、2003年には305人まで削減され、教授1人あたり学生数は、1995年の71人から、今や110人という想像を絶する状態に立ち至っている(ちなみに日本では18人)。

 もともと教室の収容力が2万人程度しかないのに、実際はその2倍近い3万8000人もの学生がひしめき、その学習条件、教育条件は、極度に悪化している。しかしこれはフンボルト大学だけのことではない。ドイツの多くの大学が同様な問題を抱えている。

 フンボルト大学は、その正門の両脇にフンボルト兄弟の銅像が立っているごとで有名である。予算カットが始まると、それに対する抗議の目的で、1996年にこの2人の銅像の両眼、両耳が、黒帯で覆われた。この時の目隠しされたフンボルト像は、今でもフンボルト大学の公式ホームページに掲げられている。

 もともと、このフンボルト大学は1810年、ベルリン大学という名称で誕生した。この大学の設立構想に大きな影響力を発揮したのが、政治家、哲学者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトと自然科学者アレキサンダー・フォン・フンボルトである。この大学の正門にこの兄弟の銅像が立っているのは、このためである。

 彼らがこの新大学の構想を練る頃、世界では科学上の新発見が相次ぐとともに、アメリカの独立、フランス革命と、人類史を揺るがすような大変動がおこっていた。彼らはこうした時代の激動を前にして、人間の最後の拠り所は、人間自身の知性だけだと悟った。だからベルリン大学の基本理念は「知性の使い方を訓練する」ことだった。「啓蒙」、これがその時代の合言葉だった。この言葉のもともとの意味は「目を開く」ということである。そう主張した彼らの銅像が、200年を経て、黒帯で目隠しされることとなった。

 彼らの構想は、当時沈滞の極致にあったドイツの大学を蘇らせた。その影響はベルリンを越え、ドイツを越え、ヨーロッパを越えて世界に広まっていった。この新構想大学は19世紀末には、世界の大学のモデルとなった。最盛期にはヨーロッパ屈指の大学として名声を高め、世界中からは多くの留学生を引き寄せた。

 遥か極東の日本からも、森鴎外、北里柴三郎をはじめ、多くの学者が留学した。1901年にノーベル賞が設定されてから、ナチズムが政権を握るまでの約30年間、ノーベル賞の3分の1はドイツ人学者の手に落ち、このベルリン大学だけで、29人のノーベル賞受賞者が生まれたという。こうした赫々たる栄光に満ちた大学が、今や新入生に対して門戸を閉ざそうとしている。

 事の起こりは、大学予算の大幅削減にあったが、政府も理由なしに大学予算を削ろうとしたのではない。今や先進諸国を襲う景気後退の波の中で、他国と同様、ドイツの政府歳入も大幅に減少した。ところが今や、人口の高齢化を迎え、年金支出、医療支出ともに急増している。こうしたなかで、政府もまた予算の抜本的な見直しを行わざるを得なくなった(ちなみにドイツの大学はそのほとんどが州予算でまかなわれる国立大学である)。

 長年、授業料無料という、うらやむべき制度をドイツはとってきたが、それとてももはや維持できない段階に達している。これまでも、何回も授業料徴収の動きがあったが、これもまた憲法上、教育は無償と規定されているため、実現しないまま今日に至っている。

 振り返ってみれば、国立大学という機構は、近代国家の登場とともに登場し、近代国家の発展とともに発展してきた。国家は国立大学の教育研究の成果に期待をかけ、国立大学も国家の投入する資金に期待をかけてきた。ところが近代国家という仕組みが揺らぎ始めるとともに、資金源をもっばら国家に依存する国立大学も揺らぎ始めた。

 現在日本で議論されている国立大学の法人化問題も、もともとは国家公務員の削減問題が発端であり、その原因はほかでもない国家財政の悪化にある。つまり、今やいずれの国でも国立大学は、国家とは別の資金源を探し出さねばならなくなった。最近の議論では、それは市場だというのが有力な意見であるが、そう結論づける前に、我々は市場という機構、国家という機構の利害得失を、丹念に吟味しなければならない。それは各国に共通する課題である。

 (朝日、2003年07月07日)

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