まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

なぜ私は血のつながらない親子ものが好きなのか?

2015-10-17 16:06:43 | 哲学・倫理学ファック
いよいよ明日は映画 『at Home』 でてつがくカフェです。



監督、脚本家、プロデューサーの皆さまをお迎えしてどんな哲学対話が繰り広げられるのか、

今から楽しみでしょうがないのですが、それにしても自分はなぜこの手の物語に惹かれるのか、

明日の本番前に頭のなかを整理しておきたいと思い、

自分の過去のブログ記事を読み返してみました。

するとどうやら2つの源泉があるらしいということに気づきました。

ひとつはこれです。

  「2世嫌い」

要するに血のつながりそのものが嫌いなのですね。

自分自身が親から受け継いだものがほとんどないプロレタリアートの出なので、

血のつながりによって才能や財産や権力を受け継いでいる人たちに対して、

妬みというか嫌悪感のようなものを抱いているのでしょう。

そのため必然的に血のつながった家族というものを敵視してしまうのかもしれません。

別に私自身は血のつながった家族と何か確執があるというわけでもないのですが…。

もうひとつはこれです。

  「血は水よりも濃いのか? 再論」

難しい言葉で言うと近代的機能主義ですね。

血のつながりによって家族 「であること」 よりも、

家族の機能をきちんと果たすことによって家族を 「すること」 のほうが重要である、

とみなす価値観です。

これは本能ではなく文化、遺伝ではなく伝達・教育が人間にとって重要だ、

といういつもの話と結びついています。

さらにこちらをご覧ください。

  「『そして父になる』」

ここでは家族として共に時間を過ごすことが大事だとも書きました。

これは例の話の蒸し返しであるとも言えるでしょう。

  「愛とは時間である」

こう考えてみると、私が血のつながらない親子の話が好きだというのは、

けっこう私の思想や感情の根幹部分に由来しているのかもしれません。

『at Home』 に惹かれるのは必然だったと言えるでしょう。

明日は映画と哲学対話を心ゆくまで楽しみたいと思います。

ぜひ多くの皆さんのご来場をお待ち申し上げております。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿