おーちゃんぶろぐ。-まっすぐ歩いてる?-

人生は『ロード・ムービー』

喜び悲しみ
ひとコマひとコマ紡ぎ合わせて…
いつしか、ハッピーなエンドロールを。

ずっと、遠い空ばかり観ていた。

2023-01-17 12:17:30 | Weblog
独り残って住宅ローンと3人分の養育費を満了できたので
言っても、最低限の「約束」が一段落しただけのことだが

この30年、父親がどうしたくて何と闘っていたのか
そろそろ記録として遺しておこうと思う。

「言動」そのものは一貫して、これまでも書き記してあるので
そう細かくは書くつもりないけど。


田舎が嫌で一番先に実家を飛び出した7人兄弟末っ子の親父が
母親と、浅草から現在の場所へと越してきたのがおよそ60年前のこと

閉鎖的なその頃の街にも組合にも馴染めず、腕だけで勝負してきた昭和一桁の職人と
幼稚園児から近所の映画館が遊び場だった俺とはまったく「価値観」と「人間性」が真逆で

子どもながらに、大人たちの会話や関係性を視ていて
映画から学ぶそれとは異質で嫌だったので「反面教師」として育った。


両親は俺を床屋にするためにというよりも
便利だから側に置いておきたいが為のレールを敷き

将来やりたい仕事は漠然と描いてはいたし
ここに残ったらマイナスにしかならないのは判っていたから早く親から離れたいと思っていたが

世代的に、責任感だけは強いので
苦労は判っていても「家の中も外も俺の色に全て変えてやるよ」と若気の至りの25歳で実家に戻る。


ただ独身ならまだしも、家族がまたひとりと増えるたび
「絶対に変えなきゃ」とその想いが強まり

エンタテインメントの思考で商売とライフワークを続けてきたが
思っていた数百倍以上の厳しい現実が、年齢を重ねる毎に問題の「内部根底」まで視えてきた。

何度も何度も家族会議を重ねてきたが、親でありキャリアも上の職人2人が聞く耳など持つはずも無く
それでも俺の遣り方で徐々に内外で結果を出し続ける様になると

矛先が家族に向いてしまうしそもそも
両親さえ居なくなれば俺の悩みが全て解決するという簡単なことではないので

いずれにしろこれから俺がやろうとしている問題の核に斬り込むことは家族に迷惑がかかる
やらなくも終わるし、やったとしてもイバラの道を行くことになるが

俺の性格上、やらない20年とやった20年なら
俺は必ずやる方を選ぶ

父親ってのは常に、家族の将来(未来)を背負っているからだ。


最初から人が居なくなると解ってる場所で商売することを決めた俺が選んだのは
地域の文句言いながら何も変えようとせず「次はお前がここでやるんだからな」と言い放った親父や地域の大人たちに対して

「俺はお前らとは違う、子どもたちのために変える」
必ずその努力はするといった反骨の意志と

それでもどこかで決断の最終ラインを決めて
家族の将来を守るために、設定(形)を変えるといった『切り札』だった。

人はみな、自分の夢を叶えるためにその場所へと向かうのだが
一番難しい場所でやってゆくほかなかった

商売人の子どもたちだけは無条件で地元に残らないとだなんて考えは古いし
商売人でなくとも、子どもたちが残ってやってゆける場所にしてゆくのが先人の責務だと思っている。

地元に残るということは、次世代が遣り易くなるように時代に合わせ
地域を進化させてゆく役割も担っているはずであり

「残ったら損」という印象を払拭しなければならない。


決してスタバが無いからドンキが無いからSuica使えないからじゃなく
人の入れ替え(新旧世代交代)が無く、仕組みや人間関係が変わらぬままスライドしてゆくだけの時間が止まったままの場所では

大人になってもいつまでも中学生ノリで進歩が無い
時代の流れは昔より速い訳だから、外の社会との感覚的な遅れは否めないのだ

現実を直視した上で、もうこれ以上は危険だなと判断した時点で
独りになって「後始末」の人生を選択しようと3年間悩み考えた答えは既に出ていた。

現代の若い世代が結婚したがらないのと一緒で
“危機管理能力”が本能的に、種の保存をイメージ的に抑制させるからだ。


「こんなに誰よりも全体の先のことを考えてるのになぜ理解できない?」と腐ってしまったのは事実であり
それを手っ取り早く確実な“別れの手段”として選んだのは本当に間違っていたし悪かったとは思っているが

自分から嫌われなければ、大切な愛する家族に背を向けるなんてことは
通常は出来ないことだから断腸の思いだった

「討ち入り前の大石内蔵助」的なやつだと捉えてもらえればわかるだろう。

住宅ローンの残りと、三男坊がハタチを迎えるまでの15年
40歳からの15年なら闘えると思っていたし

新しい場所に早く慣らしたいとの想いから
長男が中学に上がる前にと、以前から決めていたタイミングだった。


その頃から自分の立ち位置を明確にして考え方をシンプルにした
彼らがそれぞれ成人する頃には「場所と人を選ぶ(選ばれる)時代」になることは当然解っていたし

少子高齢化の時代、残り少ない分母を
我先にと良い人材確保したいのはどの業種も自治体も同じであり

親父が昔よく言った「バカでも金持ってりゃ人は寄ってくる」時代から
「金と肩書き持ってても、バカとは付き合いたくない」情報時代がやって来るのはハッキリと目に見えていたから。

日本のレベルは今後低くなり
年寄りに子どもは殺される時代になってゆくことも15年前から「ぶろぐ。」にちゃんと書いてる

大人と子どもが同じ道具持てたり
こんなに車運転する老人が多かった時代はこれまで日本に前例無かったのと一緒で

世代毎の育った時代背景が解かれば、その人間の「思考的価値観」で物事が決まってゆくので
昔から言ってはきてるが“理屈でものを考えられれば”自ずと時代の流れは読めるはずである。

だからこそ外の人へと発信して大きく手を振り続け
俺のことを解ってくれる人に見つけてもらおうと思った

それだけでいいと思った。


子どもの頃から「イメージ」が先に、良くも悪くも頭の中に映像として視えるので
だいたい着手するものは形となり危険も回避できる方だった

エンタテインメントは今ではなく次に来たるべき時代を先にイメージするので
様々な手法で背中を押し勇気づけたり、警鐘を鳴らすといった性質も持つ

故に、なかなか初めは理解されないことも多々あるが
数年後には必ず新たなスタンダードとして確立するものである。

まずは、会議中にビール出さないというローカルあるあるから始まり(20代)
小さな子連れも来る場所での禁煙改革(30代)

商売も自分が本来やりたかったエンタテインメントと「心理」の考え方は同じなので
最初の10年間は休日も関係なく床屋さん以外の仕事でプロモーション活動をして

SNSで自分の考えを子どもたちにも向けて発信し、自身をプロデュースしてきた
そのことで徐々に増えてきたいろんな仕事をマネジメントしながら

外の様々なジャンルの人たちと世の中を回して、社会で活躍をする大人になりたかったから(40代)。

俺という雑誌の表紙が床屋では誰も手に取ってくれない、店決まってるし床屋には誰も興味はないから
だからこそいろんなことしてる「俺自身」が雑誌の第1面じゃないとダメだった

俺に興味を持った人が雑誌を手に取り、中身を開いて初めて
プロフィール欄に職業と店が何処にあるかを知ってくれる

その順番でなければ全く意味がなかった
商売は「知名度」だから。

企業が莫大な広告宣伝費を投資する理由はそれであり
狭い地域内の有名人や、業界内の有名人に関心が無かった理由もそれだった。


時間と実績を積むうちに「政治や業界も変えてくれ」との声もあったが
俺が抱えている仕事は自分がゼロから立ち上げたことばかりで代わりがいない

俺じゃなくても出来ることは
極力、俺じゃない誰かでお願いしたいと断ったことも多い。

母親の病死は思いもよらなかったが
独りで店をやりながら、認知症になるであろう父親との「地獄の日々」は予め覚悟していたので

理解者や仲間、エンタテインメントに支えられなんとか持ち堪えられた
仮面女子の『大冒険☆』という楽曲と出逢ったのがこの頃だった。

家庭のこと以外は当然、なりたかった50代の自分に現在なれている
“感覚”をその時代に合せる作業だけは絶えず続けてきたから

またそうでなければ、子どもたちの父親として
いい加減な親父で終わってしまう。


40歳のとき自ら死を選びそうになったこともあったけど
死んだつもりで、何でも挑戦してやろうと思った

自分が関わっていたライダー映画を子どもたちが偶然観ていたこと
のちに知れたときは嬉しかったなぁ。

10年以上、毎日更新し続けていた「ぶろぐ。」も
映画やドラマへのエキストラ出演し続けているのも子どもたちに姿を見せたかったからだ

SNSは本名と顔写真つき、自撮り写メが多いのも
仕事柄の信用度だけでなく現在の姿を子どもたちに伝えたかったから。

ローカルな場所であったとしても長年
地域で名前が挙がるポジションに居続けることは、ブレないものが在るかだけだと俺は思っている。


時代的にいろんな考え方や生き方のカタチが在っていいと思う
俺はいまの場所で仕事をして

その他、ここで出来ない仕事やプライベートを楽しむ場所は
コミュニティ含め外に近い場所・遠い場所数ヶ所作った

そして家族みんな、別の場所で頑張っている。

全て一つの場所で出来たならそれが一番良かったのだがここでは最初から無理だったから
あくまで「対応策」として、家族の設定を変えたということ

「目的別」に場所をカテゴライズしただけのこと。

ここでみんなで駄目になる必要は無いし
家族それぞれの『人生の時間』を止めることはしたくなかったから。


地域も業界も親も俺が普通に真っ直ぐ歩こうとすると衝突するし感性が合わない
けど最初から判っていてそれを選んだのは自分なのだから、自分独りで落とし前をつけたかった

家族には一切なんの否は無いし、大橋家の問題は大橋家の人間だけで決着をつけたかった
なんにもならない錆びた鎖は俺の代で断ち切って終わりにしたかったから。

自分が自分らしく生きられない人生など意味が無いし
俺は自分のした選択に一片の後悔はない。

全てにおいて言えることだが、時代がよめない奴がいつまでも主導権を握っている場所や
それを変えられる奴が居ない場所はだいたい終わる

長い間、時間の止まった場所にはこの時代いつまでもは居られないのだ
『人生の時間』は永遠では無いから

遅かれ早かれならば、俺はいつも人より先に動いているだけのこと
環境の悪いところでは人は育たないからだ。


いろいろ書き連ねたが、もちろんすべてがそうではないし
少しずつ今はそれでも変化してきている

直接的なのは、信じられないだろうが
本当に命の危機を度々感じるほどの親の酷さだったから

毒親・親ガチャ、いろんな呼び方が最近はあるようだが
本来何もなければ何も問題は起きない訳で

そこに居たくない理由はちゃんとあり
俺自身がそう感じながらやってきたという「事実」がある。

「商売やってて、わざわざ敵を作ることないんじゃないか?」との周囲の心配の声も多かったが
本気で変える、本気で闘うとはこういうことだし

自身の考え方を常に『一般的な水準』に合わせ再確認することをしながらだったから

よそ者の二代目だからこそ出来る役割でもあるし
そして何より、人生は一度しかないのだ。


彼女には、これまでの苦労と共に
3人の息子たちを立派に育ててくれたことに本当に感謝している

息子たちもみんな、俺と彼女の遺伝子を継いだ以上
世の中をグルグル動かしてくれる人間になると信じている。

最後の送金をして、安堵感と一緒に
してあげられることが一つ終わってしまったことの寂しさにより涙が溢れた

4人には『幸せになる権利』が有るから
それぞれの人生を自由に後悔なく生きてほしいと願う。

俺も、ずっと小さい頃から憧れていたあの空の下に早く向かえるように
まだ残りの時間がんばるから

『人生の忘れ物』をこれから獲りに行くために。

ラストスパート。

2023-01-08 19:13:54 | Weblog

あっという間に

「七草」は過ぎ

 

新年最初の3連休は

『成人の日』を残すのみとなりました

 

 

がんばろう‼ 大橋理容室でございます

 

 

 

成人されたみなさん

ご家族のみなさん、おめでとうございます

 

そして遅れ馳せながら

あけましておめでとうございます

 

また本年も

宜しくお願いいたします

 

 

 

 

がんばろう ルーティン

 

 

 

 

 

 

町の情報ジャンクション・大橋理容室