11月も最終日となりました
いよいよ『師走』です
時代を駆け抜けた『師』
本日は振り返ってみたいと思います
おはようございます 大橋理容室でございます
日曜日に最終回を迎えました
NHK大河ドラマ『龍馬伝』
世代を超えて
誰もが夢中になった作品だったように思います。
(最終回・関東西共に平均視聴率21.3%)
何故、この時代に『龍馬』だったのか?
この時代だからこそ
『坂本龍馬』を伝えたかった
そんな風に
創り手の皆さんは語っております
(番組公式ホームページ)
リーマンショックによる経済破綻
世界情勢も緊迫する中
就職難や家計の圧迫など
毎日の暮らしが
まるで、龍馬たちが生きていた
あの『翻弄された時代』へと、引き戻されてしまったかのような
そんな昨今。
『勝ち組』『負け組』などという言葉遊びは
まるで『上士と下士』
努力を重ね
その地位まで上り詰め
そこからは楽な方へ。
楽に業績を上げる
誤魔化しながら生きてゆく
いつからか
『勤勉家』『努力家』な日本人は
その『美徳』さえも
失ってしまったようにも思えます。
その後ろ姿を
じっと、堪えながら見せ付けられてきた世代
いつしか
日本は『正直者が馬鹿をみる』国へとなり
騙して儲ける
人を殺めてまで奪い合う
『見栄と欲』ばかりが交差する国に成り果てたのです。
人間として
いちばん大切なことは置き去りに
形振り構わぬ『生存競争』のみを押し付ける教育
『無事に1日を終えられることでいっぱい』
明日の見えない
手探りの毎日が続くだけの日常へと
変わり果ててしまいました。
今の日本の現状は
龍馬がもし生きていたとしたら、その眼にどんな風に映っているのでしょうか
人間、誰もが
その育った環境や時代背景により
物事の捉え方や考え方
『性格』も千差万別です
長い間の慣れや習慣も変わらないのと同じく
なかなか
その『壁』に当たるまでは気付かないのも、また事実。
龍馬が幼少時代に、母から貰ったその木札には
『希』という一字が印してありました
『希望』
のぞみという言葉です。
子供には苦労させたくない
『時代が変わることを信じたい』
そんな、母の願いでした。
龍馬は次第に逞しく成長し
様々な偉業をやってのけますが
『自由奔放』ではなく
計算された『確信犯』だったようにも思います。
それは
姉・乙女さんに宛てた手紙の一節
『世の人は我を何とも言わば言え
我が成すことは吾のみぞ知る。』
実に有名な言葉であり
僕自身
『心の支え』として、大切にしている言葉でもあります。
自分がやろうとしていること
見据えている先は、やはり自分自身にしか解り得ないもの。
しかしそれは
『やるべき』必要とされたもの
危機感を感じ
今後の行く末を睨んでいれば
現況を直視さえしていれば
その衝動も
それにより、変わりゆくものも
自然と観えてくるもの。
ただ、いつの時代も
それが視える者と見えない者とに分かれ
見えないものが拒みたがるもの。
『余計なことはしてくれるな』
本来、いちばん応援してほしい者との相違や確執
そして
唯一の理解者たちを失いましたが
僕の場合も、独りでもやらなければならないことや
独りだからこそ
大切な者たちに迷惑をかけず、出来ることもあるのです。
『同志』にも恵まれ
これまでの努力が形となり
初めて、理解されてゆくのです。
今、一つ一つのことを頑張っている背中を
見せたい者たちが自分にはいます。
伝わらないかもしれない
読んでないかもしれませんが
ぶろぐ。を通じて
ようやく、結果が出始めたこと
自分が視ていた理想を
今も尚、追い続けている至誠を
誰よりも
大切に想う者たちに見せたい自分が此処にいます。
理解されずに、憤りを感じながら
腐っていたあの頃の自分を戒めながら
自分が視ていたものが
間違いではなかったと言いきれるように
ずっと独りで
今後も普通にやってゆくつもりです。
やらなければ、何も変わらなかったもの
自分自身に想いや、その責任があるならば
闘ってでも主張はすべき
自分が視ている先は、やはり自分にしか視えない訳ですからね。
時代を視て
その都度、必要と感じたことを自己判断・決断しながら
ただ、普通にやっているだけのこと。
大好きな龍馬の教えは、内に秘めながら
まだまだ『前へ。』
町の情報ジャンクション・大橋理容室
いよいよ『師走』です
時代を駆け抜けた『師』
本日は振り返ってみたいと思います
おはようございます 大橋理容室でございます
日曜日に最終回を迎えました
NHK大河ドラマ『龍馬伝』
世代を超えて
誰もが夢中になった作品だったように思います。
(最終回・関東西共に平均視聴率21.3%)
何故、この時代に『龍馬』だったのか?
この時代だからこそ
『坂本龍馬』を伝えたかった
そんな風に
創り手の皆さんは語っております
(番組公式ホームページ)
リーマンショックによる経済破綻
世界情勢も緊迫する中
就職難や家計の圧迫など
毎日の暮らしが
まるで、龍馬たちが生きていた
あの『翻弄された時代』へと、引き戻されてしまったかのような
そんな昨今。
『勝ち組』『負け組』などという言葉遊びは
まるで『上士と下士』
努力を重ね
その地位まで上り詰め
そこからは楽な方へ。
楽に業績を上げる
誤魔化しながら生きてゆく
いつからか
『勤勉家』『努力家』な日本人は
その『美徳』さえも
失ってしまったようにも思えます。
その後ろ姿を
じっと、堪えながら見せ付けられてきた世代
いつしか
日本は『正直者が馬鹿をみる』国へとなり
騙して儲ける
人を殺めてまで奪い合う
『見栄と欲』ばかりが交差する国に成り果てたのです。
人間として
いちばん大切なことは置き去りに
形振り構わぬ『生存競争』のみを押し付ける教育
『無事に1日を終えられることでいっぱい』
明日の見えない
手探りの毎日が続くだけの日常へと
変わり果ててしまいました。
今の日本の現状は
龍馬がもし生きていたとしたら、その眼にどんな風に映っているのでしょうか
人間、誰もが
その育った環境や時代背景により
物事の捉え方や考え方
『性格』も千差万別です
長い間の慣れや習慣も変わらないのと同じく
なかなか
その『壁』に当たるまでは気付かないのも、また事実。
龍馬が幼少時代に、母から貰ったその木札には
『希』という一字が印してありました
『希望』
のぞみという言葉です。
子供には苦労させたくない
『時代が変わることを信じたい』
そんな、母の願いでした。
龍馬は次第に逞しく成長し
様々な偉業をやってのけますが
『自由奔放』ではなく
計算された『確信犯』だったようにも思います。
それは
姉・乙女さんに宛てた手紙の一節
『世の人は我を何とも言わば言え
我が成すことは吾のみぞ知る。』
実に有名な言葉であり
僕自身
『心の支え』として、大切にしている言葉でもあります。
自分がやろうとしていること
見据えている先は、やはり自分自身にしか解り得ないもの。
しかしそれは
『やるべき』必要とされたもの
危機感を感じ
今後の行く末を睨んでいれば
現況を直視さえしていれば
その衝動も
それにより、変わりゆくものも
自然と観えてくるもの。
ただ、いつの時代も
それが視える者と見えない者とに分かれ
見えないものが拒みたがるもの。
『余計なことはしてくれるな』
本来、いちばん応援してほしい者との相違や確執
そして
唯一の理解者たちを失いましたが
僕の場合も、独りでもやらなければならないことや
独りだからこそ
大切な者たちに迷惑をかけず、出来ることもあるのです。
『同志』にも恵まれ
これまでの努力が形となり
初めて、理解されてゆくのです。
今、一つ一つのことを頑張っている背中を
見せたい者たちが自分にはいます。
伝わらないかもしれない
読んでないかもしれませんが
ぶろぐ。を通じて
ようやく、結果が出始めたこと
自分が視ていた理想を
今も尚、追い続けている至誠を
誰よりも
大切に想う者たちに見せたい自分が此処にいます。
理解されずに、憤りを感じながら
腐っていたあの頃の自分を戒めながら
自分が視ていたものが
間違いではなかったと言いきれるように
ずっと独りで
今後も普通にやってゆくつもりです。
やらなければ、何も変わらなかったもの
自分自身に想いや、その責任があるならば
闘ってでも主張はすべき
自分が視ている先は、やはり自分にしか視えない訳ですからね。
時代を視て
その都度、必要と感じたことを自己判断・決断しながら
ただ、普通にやっているだけのこと。
大好きな龍馬の教えは、内に秘めながら
まだまだ『前へ。』
町の情報ジャンクション・大橋理容室