井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

投票日に思うこと

2014年12月14日 | 日記

午前中に投票を済ませて来た。

東京は天気がよく暖かなのだが、これが投票率にどう反映されるだろう。

投票用紙への改竄が言われているのに、相変わらず鉛筆だった。

自分でボールペンを持参しようかとも思ったのだが、それが理由で

無効扱いもかなわないので、改竄やりにくいように、鉛筆で枠内ギリギリに大きな

字で書いた。

調べてないので、鉛筆を備えている投票所でボールペンを使用することが

無効かどうか知らない。現場で訊いてみればよかった。

個人名は、残念ながら通りそうもないお方の名を書いた。

通るであろうメジャー候補の所属党の私はさしてアンチではないけれど、

この候補の街頭演説を聴いたことがあり、中身の皆無ぶりに仰天、

学歴経歴だけは華やかで、そういう上辺で公認した党のやり口も嫌い。

比例は、ここと当初から決めていた党へ。

結局、普段はベースの支持政党には双方入れていない。

通らないと解っている人への投票を死に票という人もいるが

そうではないだろう。民意の表現になるし、その方の将来の

励みになる。

裁判官の国民審査については、全員バツをつけた。

お一人、キャリアが浅く判例で判断出来ない方がいらしたが

申し訳ないが法曹界全体の汚染が目に余るので、一蓮托生拒絶表明を

させて頂いた。

ところで、私は立場もあり滅多なことで個人名をあげつらい非難することは

しないが、舛添要一氏は許せない。

韓国に都民の税金をどれだけつぎ込み、また日本人の誇りをわざわざ

韓国で踏みにじって来るようなことを、なぜなさるのか。

朴槿恵大統領を上目遣いに見るその目の卑屈さ、媚び。

あたかも宗主に対する奴隷国の使者のごとし。

就任早々まず中国に飛び、恭順の意を示し、次に韓国と朝貢外交の

順序どおり。

これだけ自分を低くして舛添氏はいったい、日本人でいらっしゃるのか。

さぞかし破綻寸前の平昌五輪にお金を差し出し、技術援助したくて

あれこれ画策なさっているのであろう。

都庁のご自分のデスクにある名前表示の標識にはハングルが添えられてあり、

朴槿恵大統領の2ショットが置かれてある。

厚労省時代には、いわくつきでその後問題になっている危険な子宮頸癌ワクチンの拙速な認可もなさっている。

政治資金上の問題も指摘されている。

いやそれらは、まだしも末節のことだ、舛添氏の韓国が日本より大事の国売り・貢ぎ姿勢に比べれば。

都民は舛添氏に中国韓国相手の外交を付託してはいない。

しかし舛添氏の“韓国詣で“の費用は短期間で1億円を超えている。

いったい、都税で何をなさっているのか。

安倍さんの全否定をする気は全くないが、都知事選の時の舛添氏応援は

いただけないことの一つである。

3歩進んで2歩下がることを余儀なくされる、妥協連続の“訳あり政権”運営は

解っているけれど、しかしいつまで続くぬかるみぞ。

安倍さんの言うことなら、と“騙された”都民も多いのではないだろうか。

舛添要一氏のリコールは、

解職請求可能日 2015年2月12日

必要署名数は約183万8000人

署名期間2ヶ月

 

である。

嘘をつかないメジャー政治家など、ほぼいはしないが、安倍さんの“嘘”に騙されて

舛添氏にうかうかと入れた方は

リコールで挽回して頂きたいと願っている。

舛添氏に関する情報は、こちらも参考になるかもしれない。

h

ttp://matome.naver.jp/odai/2140759773139727701

 

 

舛添要一氏の実父が選挙に立った時の、ハングル・ルビが振られたポスター。

 

平昌五輪、日本との共同開催に持って行かれ、お金をぶんどられぬように・・・・

しかし動きはきな臭くなる一方である。

共同開催して支援して感謝されるならまだしも、逆恨みされ、末代まで罵られるだけ。今までのパターンの踏襲であろう。

見返りに東京五輪も半分寄越せとさえ言いかねず、当然お金要求もついて来る。

東京五輪開催に対して、国民あげて反対と妨害運動をしていたのは韓国であったことを忘れまい。

平昌冬季五輪組織委員長 突然辞任=韓国 http://japanese.yonhapnews.co.kr/enter/2014/07/21/1000000000AJP20140721000600882.HTML

この趙亮鎬(チョヤンホ)会長は元々、日本での分散開催をきっぱり否定していた人物。

最近娘が問題を起こした大韓航空の社長だったような?(調べてない。後でチェックしてみる)

分散開催を拒否していた人物の後釜が何を主張するか、ということであろう。