井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

会食

2014年12月03日 | 日記

千代田区になるのだろうか、駅で言うと淡路町や小川町、竹橋の界隈。

「漁楽洞」という店に出かけたのが昨夜。内館牧子の設定である。

仲間はもう一人共通の、昔からの知り合いである銀座でお店をやっているママさん。

沸騰する土鍋の湯にもずくをしこたまいれて、それでハタハタをしゃぶしゃぶで食べた。

内館は相変わらず、神道を学びに大学に通っているそうで、「神道を学ぶほどに、

日本の素晴らしさがわかる」と。

私は内館のように神道を系統だって学んだことはないが、しかし

心から同意する。

神道が日本である。神道が日本の精神の背骨である。それは必ずしも宗教枠ではない。

日本の風土が生み出した自然発生のアニミズムであり、日本人が本来内在させている魂の源流であろう。

内舘本人は、相撲を探求すると否応なく神道に行き着くので一念発起して学び始めたらしいのだが。

神道が蘇るか廃れるか。それが日本再生の鍵で、廃れればもはや日本という国は

消滅して、別の国に変質する。

 

後述   内館がかつてしていた朝青龍批判を私はもっともなことだと思う。

相撲に関心のなかった私が多少相撲のことを考え始めたのは

内舘の朝青竜論がきっかけであった。

相撲は神事であり、土俵内は結界である。

朝青龍はそこを心得なかった。お断りしておくが朝青龍の横綱としての

力量を云々しているのではない。神道に根ざした日本に関わるからには

その基本を理解せよということで、理解すれば「強ければいい」ということにはならない。

礼節を踏み外すことさえ娯楽の一要素であるプロレスとは、そこが違う。

これが実は他国と日本を区分けするシンプルで最大の境界線であろう。

朝青龍批判で内館は、朝青龍のファンであるおばさんたちに道で取り囲まれた

こともあるそうだが、取り囲んだ人たちはおそらく内舘の真意を理解していない。

その後内館はある集まりで櫻井よしこさんと一緒だったそうだが、

櫻井さんが寄ってきて「内館さん、あなたの仰るとおりよ」と言われたそうで、

解る人には解っている。