井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

日本語の復権を

2014年12月13日 | 日記

田母神俊雄さんと西村眞悟さんの、選挙結果に関心を多大に寄せている。

このお二人の得る結果で日本が変わるか、変わらぬか。

キーパーソンだと思っている。

その西村さんの最近のブログが興味深かったので、抜粋させて頂く。

 

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1042

 

 

前略

  戦後体制からの脱却、日本を取り戻す。安倍総理も言っている。大賛成である。

 

  しかし、日本を取り戻すとは、具体的に何を取り戻すのか、安倍総理は言えない。

 

  だから私が言う。

 

  日本を取り戻すとは、

 

  奪われた憲法を取り戻すことだ。

 

  武装解除された軍隊を取り戻すことだ。

 

  教育勅語を取り戻すことだ。

 

  総理大臣が正々堂々と靖国神社に参拝することだ。

 

  そして、

 

  拉致された日本人を取り戻すことだ!

 

  尖閣を力で守り抜くことだ!

 

 後略

 

ーーーーーーーー 抜粋ここまで ーーーーーーーーーーーー

尖閣に加えて、竹島の奪還を言って頂きたかった。

そして・・・・

西村眞悟氏が上げられた「日本を取り戻す」ための条項に、わたくしは更にもうひとつ

付け加えさせて頂きたいのだ。

「壊されやせ細った日本語を再び日本人の手に取り戻す」

ゆとり教育の弊害の結果であるが、しかし源流を辿ればその昔GHQが仕掛けた日本弱体化政策に結局は行き着く。

日本文化の衰退は、日本語の衰退と密着している。

言葉とは実にその国の文化に他ならぬ。

言霊のさきわう国と言われた国の民が有していた言葉はかつて豊穣であった。

商売にしろ科学にしろ政治にしろ、人は「言葉を用いて考える」

従って、言葉が貧相になればあらゆる分野での思考が貧しくなるのだ。

交ぜ書きはなるべく止めようではないか。文章を見た時の視覚効果も
日本語の特徴であった。日本語の達人の一人である三島由紀夫もまた
視覚としての日本語に敏感な人であった。

交ぜ書きは文の姿として美しくない。

日本語を成り立たせている要素は3つある。

「姿」と「響き」と「調べ」である。

古来日本人は俳句や和歌で、その三要素を磨いて来た。

しかし今、美しい日本語、豊かな日本語は絶滅種に属しつつある。

言葉を護ることは実に国を護ることなのだ。

かつて安倍さんが「美しい国」と表現なさったが、具体的な

美しさの提示はあっただろうか。

わたくしはまず、日本語を美しい国の特性として挙げたい。

 


伊勢神宮参拝

2014年12月13日 | 旅行

伊勢市には電車で向かい、駅のコインロッカーに荷物を預け、駅前から延びる

参道を歩いて外宮へ。

「御垣内参拝(みかきうちさんぱい)」というのもしたくて、そのためにスーツにタイという

出で立ちである。

御垣内というのは、通常垣根の外から参拝するのを、内側に入れて頂くのである。

式年遷宮のための寄付を2千円以上すると、内宮外宮共通で誰でも入れて頂ける。

しかし、男はスーツ(上着を来て、スニーカーの類でなければよいと聞いたが、私は

念のためスーツにネクタイをして訪れた)、女性も上着を要求される。

伊勢神宮一帯が砂利道で、ヒールのある靴はお薦めしないが、とりわけ

御垣内参拝は、玉砂利が大きく凹凸が半端ではないから、ピンヒールなど不可能、

要注意。

同行した人も同じことを言っていたが、外宮の「気」のほうが、男性的といおうか

強い。いい意味で荒々しい。

勉強してないので、意味は解らないがひょっとして外宮には内宮を護るごとき

役割でもあるのだろうか。

外宮参拝を終えて、バスで内宮へ。15分ほど乗ったか?

20年前参拝した時より、うんと長い歩行に感じた。

鳥の声がしきりで、空気は森閑と澄み渡り、同行の人は風邪で

ずっと咳き込んでいたのだが、伊雑宮、外宮、内宮と神域に身を置いている間、

咳が止んでいた。

外宮の参道半ば・・・・

同行の人が霊感強い人で、「この木のここ、何か来る・・・・」と手をかざしているので

見たら、これは私が気づいたのだが、神様が顕現していらっしゃり、四方へ(光背)オーラを

放っていらした。

とりわけしめ縄も張られず、柵で囲まれているわけでもなく、ひょっとしたらごく最近現れた

神様でいらっしゃるのかもしれない。

星の第一発見者になったような気分を味わったが、気づいた人は他にもいるかもしれない。

しめ縄と柵の結界で保護される前に、素手で触れさせていただけて、幸運なことであった。

このたびの参拝ではなにか、不思議が起きる気がしていたが、これがそうだったのかもしれない。

光背を背負い杉の幹に顕現されていた神様のお姿はいまだ目に焼き付いている。

伊雑宮、外宮、内宮と当然のことながら個人的お願いごとなどいっさいしてはいない。

世界平和、日本の安穏と発展、皇室弥栄。

この3つだけである。

傍流の神様お一人のみには、いささか個人的祈願は込めたのだったが、これも

自分一人だけのことでもない。

無事、外宮内宮と参拝を終えても、まだ10時前。日帰りも十分可能であろう。

精進落としで、おかげ横丁に至る商店街で松阪牛の丼を頼んだのだが、もともとの肉好きではなく、

レアが苦手、とそう言っておいたのだが、それでも生焼け、赤身が気持ち悪く再度頼んでチリチリに火を入れてもらったのに、

ご飯にうっすら血が滲んでいるのを見たら食べたくなくなった。

口の中が気持ち悪いので、口直しに赤福本店に行き、赤福を食べた。

その後、あわびの串焼きを路上で買った。

赤福の本店もそうだが、古い家屋だが路上に面して開いたオープンテラスみたいな

店が多くて、寒い日は入るのに気後れする。

火鉢が置いてあり、おそらく江戸時代からの店のしつらえを

守っているのであろう。

雨に打たれると桜の花びらが浮き出るという和傘を、着物用に買おうかと

思ったのだが、雨に和服はめったに着ないし、傘を東京に持ち帰るのも

難儀なので諦めた。

同行の人が、財布を休ませてあげるという財布用風水座布団を買っていたので

私もつられて、買った。

傘で諦めた桜模様の、財布さん用座布団である。

江戸娘の衣装のような布地の座布団で、愛らしく華やかである。