風邪の微熱が時折再燃する。
そのせいでもあるまいが、ごくたまに書いている怪しげなことを
今日も書く。
三次元の常識を超えたことを「カルト」として唾棄する方は、読み進めないで
頂きたい。
私はいわゆる霊能的な資質にはさして恵まれていず、半端に
あるだけで、それでも体外離脱、物質化、死者との対話、天使の可視化、
テレパシー、予知映像、前世、高次元可視化・・・・・などひと通り、ごく浅く体験している。
中には物質化のごとく「ほら、これ」と第三者に示せるものもあるが
概ね主観領域で説得力は皆無である。
物質化にしても、私に奇術師としての能力があれば
可能なので、さして客観的説得力はない。
というわけで、ごく主観範囲内で超常ワールドの断片は
ひと通り経験済みなのであるが、神との対話は一生縁がないと
思っていた。
しかし、唐突にそれは来た。
対話ではなく、私の今後の生き方・・・・使命についてであるが唐突にかつ一方的に、
「こうこうこうせよ」と来た。
命令形だが、しかし威圧的ではない。
洗面所で顔を洗った後の、何気ない瞬間である。
物故者と「会話」した時もそうであったが「言葉」として
伝わってくるが、言葉が発せられているわけではなく、
降ってくるメーッセージを脳内で咄嗟に言語変換している感じ。
「神」と思しき存在の「声」は力強い男の声であったが、
それも脳内である種の「波動」を変換しているだけだと思う。
神は無性である。そのパワーの表出する側面により、
女性性が勝ったり、男性性が強かったりするだけであり、
それを人間が感知する時、男性に変換したり女性に変換したりして
像が出来る。
たとえば、宇宙の根源主たる大日如来も無性であるが
大いなる慈母として、優美に描かれることも多いが、
その変化身の一つは、男性的憤怒を表現した不動明王である。
エネルギーであるので、密教的に造形すれば不動明王、キリスト教徒が
感知すればおそらく、大天使ミカエルとなる。
話が枝葉に逸れたが、誰しも日々ある想念は湧き続けているので
それを「神」の声とどう区別するのかというと、説明が難しい。
「淡々たる確信」であると同時に、感情的にはかなり激しく
反応する、出所不明のメッセージである、としか言語化はできない。
深層意識の大海からの声であったのかもしれず、しかし
それをしも名づけて神というのかもしれず。
ともかく「その日」の11月22日は、私の人生の中でも記憶に留まるであろう
日にはなった。
珊瑚を盜みに中国船が大量に小笠原に押し寄せた年であり、高倉健さんが
去られた年である、と多分そう記憶するだろうが、いやいかにも神からの
メッセージの日の記憶には似つかわしくない。
あと、ふと思ったことは神への真摯な問いかけを日々積み重ねていると、
ある日ふと、レスポンスが来る・・・・・ような気がした。
いや、半端で貧しい霊能者未満のたわごとである。