人知そして人知を超えたもの

 「主よ。御怒りで私を責めないでください。
  激しい憤りで私を懲らしめないでください。
  主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。
  主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。
  私のたましいはただ、恐れおののいています。主よ。いつまでですか。あなたは。」(詩6:1-3)

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 私が日々通勤する路線は、外国人観光客で溢れていた。
 彼らの旅行鞄はどれもあまりに大きく、電車内での移動が大変だった。
 こんなところですら客で溢れているなら、京都の混乱はどれだけのものだっただろう。
 オーバーツーリズムという言葉もできた。バルセロナやベネチアなどは、住民の倍以上も客がやってきて生活が成り立たないと聞いた。
 私はしばしば思った。彼らはいったいどこからやってきて、これは一体どこまでも増えるのだろうか。

 その彼らは、このコロナウイルス禍のためすっかり姿を消してしまった。
 どこまで増えるのだろうと思っていたら、ウイルスのためいなくなった。
 このことを近代お得意の合理性の範疇で捉えるのは、とても難しい。
 人の移動の急増とウイルスの発生や蔓延が、いったいどのように結びつくのだろう。

 近代人が葬り去った非合理なものを、私たちはとてもよく知っている。
 激しい怒りで私たちを懲らしめる御父のことである。
 近代合理性は、やがてはワクチンや治療薬を発明するだろう。
 しかし今は、人知を超えたものを畏れて「いつまでですか。あなたは。」と祈り続けよう。

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 健やかな一日をお祈りします!

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