
ようやく読破した、ジョーン・G・ロビンソン著『思い出のマーニー』。なかなか最後まで読みきれなかった。購入してからかなりだらついて読んでいたので仕方ない。
読み出して、急にぐいぐいひかれたのは昨日140917の事で、続きが気になって斜め読み的にページをめくり行ってようやく読み終えた。序盤は、まあこんなか、的で、大して引き付けられなかったのに妙な話。そんな物語に出会ったのは人生初かもしれない。
読み進めて行く中、読破間際になって、4年前に読んだこの物語みたいだな、と感じていたら、今回読破した『思い出のマーニー 』の訳者のあとがきにもその作品と似た部分があると書いてあり、やや得意気な気持ちになったのは言うまでもない。
本作品を読破して思った事は「なるほどな」の一言に尽きた。本作品の英語タイトル“WHEN MARNIE WAS THERE”がこの本を読んでいく中で、意味をなしていたとは思わなかったが、それを考えると、訳者のあとがきに書いてあったあの物語と感じ的には似てるとは思うが、読破前にそれを知ってしまうと、面白味に欠けるところもあるかな、と思ってみたり。
いこの作品の映画のCMを観たとき、これは、Girl's love storyか?と思えた。Boy's love storyがあるなら、それもあってありだろうと思う話は余談だが、女性と女性の友情を示した物語として、それは女性側にはどんな風にうつるのだろうか?
他方でこの作品には、果たせなかった夢が描かれている様にも見えた。こんな風にしたかった、と言う想いが私には見てとれた。こんな風に出来たら良かった、と言うとある人物の想いを主人公に伝えたかったと。主人公は、その想いをしっかりと受け止める事が出来たようだけれど、それで幸せだったのか不幸だったのか、私には判断に困る所もあった。
総じて何と言って良いか、この記事を書きながら解らなくなってしまったけれど、主人公が体験したことを体験してみたいか、と言われれば、私は嫌かなと今は思う。幸せであって幸せでない、そう思える場面が物語の中にあって、どうだろう、の一言に尽きてしまう。だが、物語が進み、終盤になって、先述の通り「この先それでどうなるんだろう?」と言う読み進めたくなる衝動にかられたので、決して、ツマラナイ作品ではない。けれど、読み終えて、素直に、楽しかったかと言われると、ちょっとな、と思えるほろ苦さがあった。
読み出して、急にぐいぐいひかれたのは昨日140917の事で、続きが気になって斜め読み的にページをめくり行ってようやく読み終えた。序盤は、まあこんなか、的で、大して引き付けられなかったのに妙な話。そんな物語に出会ったのは人生初かもしれない。
読み進めて行く中、読破間際になって、4年前に読んだこの物語みたいだな、と感じていたら、今回読破した『思い出のマーニー 』の訳者のあとがきにもその作品と似た部分があると書いてあり、やや得意気な気持ちになったのは言うまでもない。
本作品を読破して思った事は「なるほどな」の一言に尽きた。本作品の英語タイトル“WHEN MARNIE WAS THERE”がこの本を読んでいく中で、意味をなしていたとは思わなかったが、それを考えると、訳者のあとがきに書いてあったあの物語と感じ的には似てるとは思うが、読破前にそれを知ってしまうと、面白味に欠けるところもあるかな、と思ってみたり。
いこの作品の映画のCMを観たとき、これは、Girl's love storyか?と思えた。Boy's love storyがあるなら、それもあってありだろうと思う話は余談だが、女性と女性の友情を示した物語として、それは女性側にはどんな風にうつるのだろうか?
他方でこの作品には、果たせなかった夢が描かれている様にも見えた。こんな風にしたかった、と言う想いが私には見てとれた。こんな風に出来たら良かった、と言うとある人物の想いを主人公に伝えたかったと。主人公は、その想いをしっかりと受け止める事が出来たようだけれど、それで幸せだったのか不幸だったのか、私には判断に困る所もあった。
総じて何と言って良いか、この記事を書きながら解らなくなってしまったけれど、主人公が体験したことを体験してみたいか、と言われれば、私は嫌かなと今は思う。幸せであって幸せでない、そう思える場面が物語の中にあって、どうだろう、の一言に尽きてしまう。だが、物語が進み、終盤になって、先述の通り「この先それでどうなるんだろう?」と言う読み進めたくなる衝動にかられたので、決して、ツマラナイ作品ではない。けれど、読み終えて、素直に、楽しかったかと言われると、ちょっとな、と思えるほろ苦さがあった。
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