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深夜アニメ『ソードアートオンライン2』のワンシーンに思う

2014年10月20日 23時58分54秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
深夜アニメ『ソードアートオンライン2』。どうやら、ガンゲイルオンラインといっただろうか?“GGO”編を越え、新しいフェイズに移行したようで、これから何が起こる?と言う所である。

↑オンラインゲイムでも、こんな風に複数のキャラクターが集まって、バーチャルな世界であっても旅をしていく訳だけれど、仲間割れとかってないのかな?と思う。全くない訳ではないと勝手に妄想しているが、仲間になればそれなりに息を合わせてゲイムシナリオを進めていく必要があるのは言うまでもない。バーチャルな世界だからと言って、泥臭いリアルの人間模様から解放された訳ではない。顔見知りであろうがなかろうが、生身の人間がプレイするわけなので、リアルの人間模様はそのままということになる。となれば、こんな絵に描いたように巧くまとまってシナリオを続けていくことは容易出はないのかもしれない、と不意に思えた。アニメ化され、決められたシナリオを行くので美しく見える、そんなことはどれだけ認知されているのだろう、とろくでもない事を思う私である。私みたいに協調性の欠片もないような人間には向かない、そんな事を思えた瞬間があったので記事にしてみた。
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一輪だけ咲いたその姿に

2014年10月20日 23時45分29秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
1輪だけ咲いていた街路の片隅で。人知れずひっそりと。よくこんな所で花が開いたなと思う。私をみて、ただ私だけを――そう言っていた様に感じたのは私の「独占欲」の表れなのだろうか?

こんな風に、いきなり1輪だけ咲いている姿に見せられるのは此が初めてではなく何度もあって、特に意味を成さなくなっている所でもあるが、何かどれくらいぶりとも知らないものを感じたので撮影してみた。

誰もが見過ごしてしまうところで、その存在を誇示して咲いているのは、、宝箱を見つけ感じに感じた今日。私に見つけられても何の価値ももたないけれど、価値を求めて咲いたわけでもない、その心意気に、拍手をおくりたい
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DVD『おおかみこどもの雨と雪』で気に入った所 3(最終)

2014年10月20日 23時09分09秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
その3で打ち止め。

↑1歳半くらいの長女の服を着た半狼半人間中の姿。母親に食事を懇願し「待て」と言われてご機嫌ナナメ中。とは言え、この時はまだ部屋が荒れていないのでまだまだ大人しかなったのだろう。

↑部屋を散らかした後の子狼どや顔中長女。大食らいの元気少女だったそうだが、それも納得が行く上に、変身にもパワーを使いそうである。

↑長女の背面にいた次男。こんな風にして、第2子は世の中の生き方を学ぶようだ。第1子は実験なのか?と思えてしまう。

↑子狼中の次男(だか、見方によると、半人間半狼中な感じがする)。雄は動物界においては貴重。雄であっても、性格が控え目で引っ込み思案と言うのはやはり女系のきょうだいをもったからなのか?

↑確実に狼中の次男。灰青色系。なかなかはっきりとした狼中の姿が少ない次男。


↑長女半狼中、次男狼中(いやこれも半狼半人間かも)のツーショット。長女が3~4歳あたりで次男が3歳あたりなようだ。狼としては子供の終りの頃な臭いもする。

↑確実に狼中の兄弟のツーショット。こんな姿が都会町の早朝で見かけたら、得した気分になりそうである。

↑長女・次男のご機嫌最良になり、遠吠えするシーン。長女と次男で年齢差からなのか性別の違いからなのか、鳴き声が異なるのがよく出来ている。長女が「おぉ~ん」と甲高く鳴くのに対し次男は「あぉ~ん」と子犬の様に鳴く。しかしそれでも母親は怒らないから凄い。出来た母親で頭が下がる。これも確っ実に、家主他に、犬かなんか飼ってますね、とバレよう。とは言え、こんな年齢から遠吠えなんて出来るの?な話。

↑貴重な半狼中の姿の次男の場面。この時、巨大な蛙かノネズミをもっている長女に追われているシーン。なんと言う長女だろうか。



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DVD『おおかみこどもの雨と雪』で気に入った所 2

2014年10月20日 23時08分25秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
気になった場面紹介その2

↑1歳半の長女の姿。母親に食事提供を請うシーン。1歳半の子供ってこんなに力強く親に懇願するのだろうか?「まんま」と不器用な言い方で言うが、1歳半でそんなこと出来るの?

↑1歳半でこんな姿はNG。とは言え、人間様と狼様では歳の経り方が違うので、立派な子狼な年齢に相当しそうである。

↑喜怒哀楽はこんな年齢から現れていく――のだろうか?

↑お次は、さんぽを母親に懇願する長女。背景を観てみると、既に汚れや破損が見える。2歳くらいの長女だろうか?
カーペットは爪で引っ掻いて削ったのだろうか?犬科の狼様も爪を研ぐ習慣ってあるのだろうか?あるいは、餌を隠す習性からだろうか?

↑5歳くらいの長女。このきょうだいの散髪は一体どうしていたのだろうか?ちょっと気になる。

↑半狼半人間姿の長女。見慣れるまでリアルタイムで観たときの抵抗感はありそうである。こんな長女の姿を対岸の火事を見るようにあっけにとられている次男。こういうのを見ていくから人生をうまくわたれるようになるんだよな。


↑さんぽOKと言われて喜ぶ長女。嬉しそうである。

↑子犬の様によろこびを示す長女。しかも、鳴き声を立てているので、ペット禁止の借家の大家にバレるのは当たり前な話。

↑散歩中、出くわした犬に吠えられた――たぶん、正体を察した犬だったのだろう。長女がこんな反応を示すのは致し方ないが、都会街で半狼半人間の子供を育てる困難さが目に見える。

↑狼中の長女の屋外シーン。茶色と白を貴重にした姿だがこんな狼もいるのだろうか?どちらかと言うと子犬系な感じも。
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DVD『おおかみこどもの雨と雪』で気に入った所 1

2014年10月20日 23時07分07秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
良いなと思ったシーンを幾つか紹介。私はロリコンの感じがあるのかと思うと怖くなる。



↑うまいっすか、その人形――と思えるのは私だけ?布の味がするかしらねえ。かじるのは、動物の子供も人の子供も変わらない?しかも子狼中の長女の表情は満足そうで生命活力に満ち溢れている。


↑人ではないので、こんな風にかじられて傷つけられたらひとたまりもない。それをしかりもしない母親は凄い。



↑子犬ってこんなことまでするの?であるが、幸せそうな顔をして『小児医療』の本にかじりついている様に見える。こんな本をかじっても母親はなにも言わないのだろうか?そして、その様子を呆気にとられたように観ている次男。要領よくちゃっかりはこんな所から学ぶのかも知れない。


↑借家でこんな事したら後で引き払う時大変な気がする。しかもペット禁止の借家らしいので、飼っていたなこれ、とあからさまにばれるのは言うまでもない。人の歯形とは思うまい。

↑どや顔気味の長女。母親は「やられた~」と嘆くだけなんてあり得ない。しかもよく見れば、床が爪によってか、削られて痛々しい。すんごいパワーなのね、さすがは子狼。これは確っ実に、犬か何か飼っていたな――と貸家主にバレの。

↑部屋散らかしてご満悦だったのか?部屋散らかすのも飽きたなぁ~のアクビなのか、呆れてしまう。

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DVDで観た『おおかみこどもの雨と雪』

2014年10月20日 23時06分47秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
今更このタイミングでDVD版の『おおかみこどもの雨と雪』。断片的なシーンだけは観た事があるが、通しは初となった。
おおかみこどもの雨と雪の母親はただ者ではないな、と思わされたのと子孫を残したら寿命を迎えてしまったのか逝去してしまった彼らの父親は、ある意味では無責任な感も見えてくるが、そこは物語なのと、人間とおおかみでは、人間様のが長生きなので、そこは致し方ないのかもしれない。そんな状況下、母親は育児放棄もせず本当によく子供を育てたなと思う。観た感じ手先も器用な感じな人で凄いわの一言。ただ、この物語の時代はいつくらいなのか?とも思えて。やや現代とは異なる時代設定な雰囲気で。テレビゲイムにDVDに携帯にインターネットにベッタリな臭いは全くないのも一興と言えるかも知れないが。


↑都会街の片隅で、もしかして――と言うワンシーン。

↑一見、ありふれた子供姿の雪と雨。

↑ホントにおおかみなの?と言う感じがするが、こんな姿が可愛く思えるのは傍観者になればこそと思えてみたり。彼らの変身は無意識だったり気持ちの表れだったりする様で、なかなかコントロールが幼い内は利かないようだ。尚、2人の髪の毛に注目すると、人間の姿の時、長女も次男も黒髪なのに、半狼や狼の姿になると長女は栗色、次男は青みがかかった髪になるその訳は?

↑こんな姿で眠るあたりは人間様な雰囲気。しかし、この時って動物特有の臭いとかしないのだろうか?


↑こどものおおかみ――は、子犬の様なのだろうか?おおかみも犬も犬は犬なのでなかなか区別をつけるのは難しそうである。こどものおおかみって、子犬みたいな鳴き声をあげるのだろうか?

↑子犬ってここまで酷い事するの?と思うのは何故だろうか?子猫あたりならやってもおかしくはない。こんなにした子供をしかりもしない母親はただ者ではない。漫画にも原作の小説にもそんなシーンは見当たらない。だからこそ凄い。何回も同じ目を観ているので呆れ返って開き直っているのかもしれないが。よく虐待もしないで育児が出来たなと思う。私なら無理だ。

↑こんな廃屋と呼ばれた家を、母親の花は↓↑人が住めるように一人手でやってしまうのが凄い。流石は物語。

↑おおかみこどもの父親は、伊賀 磯と言ったのだろうか?伊賀 磁だろうか? 苗字は伊寛とも読めそうだが、そんな風にみてとれる。と言うことは、雨、雪、花は伊賀と言う苗字だったのだろうか?

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苦し紛れの更新【141020】

2014年10月20日 22時09分57秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
急特TH「それでは、毎度お馴染みの『苦し紛れの更新』。しかし、本日は本当に可もなく不可もなくで、何を語ります?になってしまいました。こんな時もありますね。第2位のこの記事。白鷺オンザ電線話でしたが、よく見かける身近な酉なんですよね。鳩とは違うのがミソかなと思いますが、全身真っ白の鳩なんて見かけませんが。美しい野鳥――ですが、都会鳥なのかしら?なんて思います。人里の河原や池に、気がつくと居ます私、的な白鷺で、いろが色なだけあって目立ちますね。生命力が強い――否、適応力が高い鳥だな、と思います。青空に白鷺も様になりますね、とこんな話しか出来ないですが、以上、苦し紛れの更新でした」
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Morning on 【1020】

2014年10月20日 07時07分07秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
涼風鈴子「はいおはよざいー。涼風鈴子だよー、モーニングオンだよー」
気配1「気配1だ――放送禁止――。たまには出て来た――放送禁止――。」
木田麻衣子→気配1を連れていく→消える」
涼風鈴子「何だ?何だ?をい?」
スタッフ「すみません、もう1回最初からお願いします」
涼風鈴子「生放送でリテイク?流石はFM急特」

涼風鈴子「はい、はよーざいますー。涼風鈴子どすー、“Morning on”どすよー。ってさっき言ったばっかで何を言わせるんだ筋書屋?」
筋書屋「あっはは~、すいやせんねえ~。ネタ切れでも筋書屋は楽屋裏には連行されないにだ」
涼風鈴子「ところで、毎度のパターンなんですが、筋書屋はいつ、涼風鈴子にハリセンを食らうか? 1 今、2今、3今、さあどれだ?」
筋書屋「いや、そんな話は台本には書いてない。筋書屋はインチキDJから優しく介抱されるとは書いてある」
涼風鈴子「不っ正解。答えは全部。と言うことで、筋書屋はハリセンで叩かれるんだよっ!!」
筋書屋「イデェッ。なんつう番組だよ」
涼風鈴子「こう言う番組なんだよ。それでは、時間だ。木田さんの毎度の台詞で終るぜ」
木田麻衣子「はい。おはようございます。木田麻衣子です。それでは、ここで、恒例の★★★略★★★のお時間です。今日と今週の動き、天気予報、交通情報を★★★略★★★。それでは、本日もどうぞ御幸せに御過ごし下さい。木田麻衣子でした」


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希望がまだあった頃

2014年10月20日 01時26分17秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
この記事を書いていた頃も、今と似たような感情を思っていたけれど、今の様に、「捕らわれた囚人感」や「そこにも、ここにも、あそこにも、もはや何もない」と言うこの記事にある様な感情はまだ持ち合わせてはなかったようだ。私の弱体化は私が思う以上なものがある――なんて書いても、無駄な話にしかならないが。

↑いつかに取り上げた「鍵」の画像。この記事を書いてからしばらくたって、私は手持ちの鍵で見つけた扉を開ける事になり、すべては終わったかに見えた。終わりのない時間が始まったと思ったのは今だから言える話。しかしその扉を開けて、行き着いた先が今となれば、その扉、果たして開けて進んで良かったのか?と思えてくる。ある意味では最後の手段を使って見つけ開いた扉だったのに、世の中、ほんとにうまく行かないな、と思うのは今だから言える話
扉を開けることも夢が叶い叶う事は必ずしも良いことではない事をその扉を開けた時は思いもしなかった。扉さえ開いてくれれば、夢さえ叶えば、何とでもなる、その先で幸せがずっと続く――そう思い信じて疑わなかったのは恥ずかしい話。
そんなこんなでたどり着いた今が「そこにも、ここにも、あそこにも、もはや何もない」で、疲れただけの時間と共に何もならなくて終った単なる儚い夢・お伽噺でしかなく、それがすべて私の所業の果てで、とれぬ責任引き受けてここにきて、潰れた敗者兼廃人が私である。総てが夢で報われなかったなんて望まぬヲチを力に、誰にも届かない話が出来上がったのが、この話。
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そこにも、ここにも、あそこにも、もはや何もない

2014年10月20日 00時52分29秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
まるで何かの詩歌の様なタイトル。それを思い付いて、自己満足にふける私は何者?答えは愚か者だろう。

そこにも、ここにも、あそこにも、もはや何もない。私の目に映るものは。そんな“0”を積み重ねると、空しいと言う感情を覚える。その空しさの中で、囚われ者の様に動けぬ私を人々は一様に「馬鹿者」と呼ぶだろう。悔しいがその一言を確実に打ち負かす為に言い返せる言葉を私は持ち合わせてない。正義は常に他者にあると言う暗黙がある以上は何も言えない。勿論、負ける為の悪あがきの言葉なら幾つか思い浮かぶが・・・。

空の空間に、言い返せぬ悔しさの感情が溶け出して煮詰まると、憎しみと言う感情に変化する。普通はそれを素に人は先々いい方向に行ける力を持つと言うが、私にはそんな素は生まれない。その為に、こんな、誰にも届かなくてでも届いてくれたら良いなと儚く願う気持ちのままに想いを形にしている。そんなみっともない悪あがきは何も生まない。

そこにも、ここにも、あそこにも、もはや何もない。言い返せぬ悔しさの感情から変わった憎しみも何の役にも立たない――そう思えた今、私はただ呆れ果てて諦めを覚え始めている。その諦めを形にすると、「そこにも、ここにも、あそこにも、もはや何もない」に行き着く。それは格好悪くてみっともない誰もに、悪評しか植え付けないものしか生まなくて、私のどんな言葉さえも届かない。忘れ消え果てた「悔しさ」と「悲しみ」がよみがえる。

そこにも、ここにも、あそこにも、もはや何もない――今は奮い立たせられる「精神論」は聞きたくはない。否、聞き飽きて、嫌気がさした。だからこのままでいたい。
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