黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「虚しさ」との戦い(14)――何を隠しているのだろう?

2015-08-01 09:17:01 | 仕事
 暑い、ともかく暑い。通常は、エアコン(クーラー)が余り好きでない僕は、書斎が2階にあるのをよいことに、窓を全開にして仕事机に向かうのだが、この頃は熱風が窓から入ってくるのに耐えきれず、エアコンを消したり点けたりしながら仕事をしている。
 そんな暑い毎日に拍車を掛けているのが、今週から審議入りした安保法制=戦争法案に対する政府(安倍首相)答弁であり、磯崎首相補佐官の「(安保法制に関しては)法的安定性など関係ない。時の情勢によって判断されるものだ」といった、安倍「アメリカ従属」内閣による集団的自衛権行使容認に関わる「本音」発言、あるいは昨日の報道ステーションに登場した「外交専門家・岡本行夫」の、「国の交戦権、これは認めない」とした憲法第9条を全く無視した、自衛隊が海外で諸外国(と言っても、それはアメリカ軍ということだろう)と共に活動するのは当たり前、というような発言である。
 これら安倍首相、磯崎補佐官、岡本行夫の発言から透けて見えるのは、「日米安保の強化」という建前の裏側で進められている「対米従属化の強化」である。アメリカと共に、あるいは「弱体化」しつつある軍事大国アメリカの「肩代わり」を日本がする、といった「ナショナリスト・安倍晋三」の思想信条とはおよそ相容れないような集団的自衛権の行使容認、ここには何が隠されているのだろう。
 おそらく、安倍首相が自己の思想信条を曲げてまで何が何でも安保法制=戦争法案を成立させたいと思っているのも、祖父の岸信介が内務官僚であった若き時代に(実は、戦後にもそれは引き続いた)夢見た「大東亜の覇者」を、自分が成り代わって実現しようと思ってのことである。口では、「いつでも会談する用意がある」といいながら、朝鮮半島の植民地支配や従軍慰安婦問題に関して、韓国(北朝鮮)に率直に「反省・謝罪の言葉」を発することなく、経済的優位に立っているからといって、居丈高に「上から目線」で対応し、中国に対しても「侵略」の事実を認めず(それは先のアジア太平洋戦争における「A級戦犯」を祀る靖国神社参拝へと通じている)、南沙諸島や尖閣諸島などの「領土」問題をことさら強調することで、「中国敵視」を煽る、といった「アジアの盟主」然とした態度に、それはよく現れている。
 言い方を換えれば、世に蔓延している(安倍首相ら「ナショナリスト」たちが蔓延させたとも言える)「嫌中」「嫌韓」を利用して、アメリカ(軍)の後ろ盾を強調しながら(集団的自衛権行使容認は、その一つの現れ)アジアにおいて主導権を握ろうとする「野望・野心」を実現しようとする強い意志、そこに国民(自衛隊)の生命など虫けらほどにも思っていない安倍首相の「本音」が見え隠れしている。その証拠に、誰が考えても、集団的自衛権を行使して自衛隊が米軍と共に戦闘(後方支援だって、戦闘行為の一部である)すれば、それはアメリカの「戦争」に自衛隊が参加することだから、これまでのアメリカ軍の中東やアフガニスタンでの行動を見れば分かるように、必ず「死者」が出ると思われるのに、「日本(自衛隊)のリスクは増えない」と強弁し続けている。
 また、安倍首相は、具体的な説明が無いままに「戦争に巻き込まれることは、絶対ない」、「徴兵制は全くあり得ない、今後もない」、「専守防衛の考えに、いささかの変更もない」と断言しているが、ではどのようなときに集団的自衛権は行使するのか、という問いに対しては、「(時の政府が)総合的に判断して」、とその行使容認が時の政府の「恣意性」に任される、といったあいまいな答弁しかしない。このような安倍首相の答弁(姿勢)は、補佐官を務める磯崎陽輔の「法的安定性は関係ない」とする発言と同じもので、「本音」がいみじくも発現した、と考えていいだろう。
 それにしても>、「聞く耳」を持たない愚かな権力亡者(安倍晋三)の「暴走」は、何としても止めなければならない。