くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

こんな年末もいいな

2006-12-28 15:04:08 | 四季おりおり

今年は年神様を迎える準備も控えめにするので、私の時間は本当に優雅に流れている。例年のあわただしさがない。

今週は中ノ島公会堂(国の重要文化財)の見学会に参加しただけで全部自分の時間
中ノ島公会堂のご紹介
☆ 1909年(明治42年)岩本栄之助氏 渡米実業団としてアメリカ視察に参  加、当地では実業化が私財を公共事業に投じているのを知り感銘を受ける。
☆ 1911年 岩本氏は100万円を大阪市に寄付 中央公会堂建設事務所設立
☆ 1912年 賞金付設計競技により早稲田大学教授・岡田信一郎氏の採用
☆ 1913年 岡田氏の案を基に東京駅設計者の辰野金吾氏と片岡安氏が実施設計 工事着手
☆ 1918年 十月竣工  11月開業

現在までにロシア歌劇団「アイーダ」 三浦環「お蝶夫人」 イタリア歌劇団「椿姫」などが公演される

☆ 1043年 第2次世界大戦中 金属供出によりエレベーター階段手摺・シンボリ像が撤収される
☆ 1945年 大阪大空襲のため被災者収容 本来業務停止
☆ 1946年~1949年 政党や労組を中心に集会や講演会が開催され、ジャズや流行歌が流行公会堂は連日大賑わい
☆ ヘレン・ケラー ガガーリン大佐の講演会開催
☆ 1955年 公会堂50周年
☆ 60周年を迎えるころ建物の保存について検討の末、永久保存決定
☆ 1996年 基本設計まとまる
☆ 1997年 ゴルバチョフ氏 公演
☆ 1999年 3月工事着工
☆ 2002年 9月完成 11月より使用再開

現在は 指定管理者 サントリーパプリシティサービス・グループが管理している
もちろん 大ホール 特別室 大集会室 中集会室 小集会室 すべて貸し部屋としてつかえます。
ホテルや料亭から料理を出前してもらうこともOK
大正浪漫の趣を再現した大阪市中央公会堂 
今回 第1回目の見学会だった
なにかに使ってみたいと思う 

今年も笑った ワッハ上方 

2006-12-25 13:56:24 | ボランティア

12月最後のワッハ上方ボランティア 23日・24日と連続で出かけた。
クリスマス気分で大勢の来館者
23日の上方亭は(入館料400円で1時間の出し物が見られる)
落語家の桂福楽・松福亭喬若の二人
落語会の松坂大輔などとまくらで笑い(ほんと似ているんだから)
喬若さん、ゆったりとした話しぶりの福楽さん

24日は  
落語会から桂つく枝・よしもとからマジシャンの瀧川一紀
瀧川さんこのタッキーはペ ヨンジュンさんに本当に良く似ている(人気です)
大勢の皆様をつく枝さんは『時うどん』で笑わせて
タッキーはヨン様スタイルで怪しいマジックを披露  

今年も私まで  いただきました。

来年は正月早々2日から「初笑い演芸ライブ」が7日まであります。

1月2日(火) 13じ30分~15時まで
     酒井くにお・とおる  
     桂 雀喜(サインをぜひもらって 楽しいサインです)
     つばさ・きよし
     ひこーき雲(彼らはかわいいで~) 

1月3日(水) 13じ30分~15時まで
     矢野・兵助   左ミドル  レモンスカッシュ
     桂 こごろう(一度途中で話を忘れた でも 悪びれずに頭を下げ
            やりなおし 別の話をしました)

1月4日(木) 13じ30分~15時まで
     海原はるか・かなた   立山センター・オーバー
     漫才ゲリラ
     桂 しん吉

1月5日(金) 13時30分~15時まで
     ティーアップ  ダブルダッチ  
     ゼンジー一億  
     桂 雀太

     
      16時~17時30分まで
     初春 浪曲ライブ
     幸 いってん   菊池まどか  春野恵子(美人です・東大卒)
     一風亭 初月(曲師)

1月6日(土) 13じ30分~14時30分まで
     桂 あさ吉   桂 二乗

     15時30分から16時30分まで
     初春「邦楽ライブ」
     三弦・胡弓   菊央雄司
     筝       志村智恵子   勝部葉子
     尺八      谷 保範

1月7日(日) 13時30分~14時30分
     しんたくいぬい  ひこーき雲  レモンスカッシュ 
     シャッフル同盟  なんでやねん大輔

連続であります。 大人 400円  高・大学生 250円
         小・中学生  120円

もちろんお笑いの博物館の展示や資料室も見られます。

ぜひ お立ち寄りくださいませ 
  


日本民家集落博物館飛騨白川郷のいろり番

2006-12-22 13:20:01 | ボランティア
今年最後のいろり番でした
12月とはいえ暖かい日で
来館者もまばらな博物館は
正月準備に追われています

そんな 飛騨白川のいろり端に 
尼崎から中村さん  
東住吉から奥田さん(仲良し義姉妹)
初めてのご来館だそうで
白川の合掌造りの話や博物館の話
思いがけなく
お茶の話となり

中村さんは表千家流抹茶を 
奥田さんは中国茶を
楽しまれているとか

私 抹茶は表千家流
中国茶は台湾功夫茶 
お茶の話に はながさきました

奥田さんの息子さんは  
旅と絨毯と中国茶が大好きで
ご自宅でも 中国茶芸館タイムを
ご家族でなさっているとか
ついつい
私の関心は
どこの どんなお茶を 
な~んて 仕事を忘れて話し込んでしまました
またのご来館 お待ちいたします。


じつは 私       
来年2月17日 民家博物館の北河内の茶室で
『中国茶セミナー』を開催するのです ↓
 http://www.occh.or.jp/minka/minka-gyoji.html

1月中ごろから井藤館長主催の『雲南の民居をたづねて』の旅に出かけます
お茶のふるさと雲南でセミナー用のお茶を
求めようと旅では今から楽しみにしております 



お箸のはなし

2006-12-19 10:25:07 | 四季おりおり

私 小笠原流礼儀作法の師範
講座ではときどき話しているけれど
yagiqさんのブログで お箸のことが出ていたので
ちょっと まとめてみます 

お箸の話あれこれ


まず 歴史
約3千5百年前の中国で 祭器(神を祭る道具)として発明
日本へは弥生時代(3世紀)に祭器として渡来し、当時は「折箸」という、細く削った一本の竹をピンセットのように折り曲げた形で一般の人が使うものではなく、神様が使う神器であり、または天皇だけが使うことを許されたもの


7世紀 聖徳太子は中国(随)に使節を送り、そこで使節団は王朝の人たちが箸を使って食事をしているのを見る 使節からこの報告を受けた聖徳太子は驚き中国の使節を日本に招待する時のために、急遽 箸を使った食事の作法を朝廷の人に習わせた
それまでの日本は食事は 手づかみ
ここから、日本で食事に箸を使う風習が始まった


そして
一般人が箸を使うようになったのは8世紀の奈良時代以降


箸は東アジア(中国、ベトナム、北朝鮮、韓国、日本)圏でつかわれ
食事に箸だけを使うのは日本のみ
片方の手で器を持ち上げ、片方の手で箸をとり器に口をつけて食べる 
器の口ざわりや、手で持ったときの感触など快適なものを求め続けた結果
本来日本はジパング(漆)の国だが、チャイナ(陶器)が改良され発達を遂げ現 在でも世界で日本の焼き物は人気です(もちろん 中国・韓国からの陶工の力は 忘れてはいけないが)


他の箸文化圏ではほとんどが 箸+匙を使用している 
中国では 箸+レンゲ     
韓国では 箸+スプーン
ベトナムでは 箸+スプーン  
韓国では器に口をつけたり、手で器を持ち上げて食べると無作法


中国から祭器として入ってきたときは、竹製でピンセットのような1本の棒でたわめてあり、トングと呼ばれていた。(奈良の正倉院に保存されている)
日本では箸は神と人との依代(よりしろ)と考えられ片方を神が使い もう一方を人が使う(神からの力を頂くといわれた)


中世の姫やお嬢様は食事の折 箸先を1寸(約3cm)くらいしか使わなかったそうな
以後 格式のある家では来客が帰った後 女中たちが灰の中に使った箸の先を突き刺し灰のつき具合で来客の品格を見極めたそうです  ホホホ



  

体調を崩してしまった!!

2006-12-15 13:58:34 | 四季おりおり

昨日 朝起きてからおかしい 
食欲がない 
なんとなく身体がだるい
へんだな~ 続くのせい

毎朝 
今何が飲みたいか考えて(口にその味が感じられるもの)
紅茶か 煎茶か を
丁寧に淹れる

それが 
何も飲みたくない
へん・・・・
 白湯にするか
こんなときは 熱い白湯にすこしサトウを入れて飲む
(こんなことって年に1回もあるかなし)

もちろん
パンも果物もいらない
でも りんごだけは食べよっと

しばらくしたら
身体が しんどくなってきた
首筋から 顔の辺りに
なんなんや
これ~って

以前 
肝臓の数値がすごいことになっていたときの
症状にすこし似ている
あのときは
胆嚢に石がたまっていて
胆嚢を取ってしまったが・・・・・

いつも元気なので
そのことを忘れている

ちょっと 外食続きだった
牡蠣のフライが食べたくて
お気に入りの店に行き その夜は 韓国料理
サムゲタンを食べ マッコリ を飲み
さすが 他のものは 食べられなかったけれど・・・・
翌日は またまた 外食 

ちょっと 臓に負担をかけたみたい

しばらく 食べられるものだけを食べ
様子見をしょう  


 

武士の一分

2006-12-12 08:56:43 | 四季おりおり

見てきました
日本映画を見るのは久しぶり
藤沢周平氏の作品を見るのも久しぶり

それよりも
観客が行列を作っているのに驚いた  
あれ~
ペ・ヨンジュン シ の映画「スキャンダル」
以来だ

しかし 上映され始めると  
日本の昔はこうだったとしみじみしのばれる風景の中に
3万石の下級武士の生活
それも お毒見役という・・・・・

会社員だった自分の かっての姿と  
どこかだぶってしまう
しかし お役目大事につとめながら
妻には
「早めに引退して 子供達にそれぞれの個性に合わせた
剣を教えたい」 と 言うくだり
自分の没個性をあきらめとさとりで日々暮らしている男の
せめてもの将来の夢なのだと 気持ちが強くつたわってくるが・・・・・

そんな男が ある日の毒見に 
貝の刺身を食べて 食中毒
殿は 難無きを得るが 男は養生の末 目が見えなくなる
若夫婦と下男の3人の生活を身内が気遣うが
上役に頼めという男の兄の言葉に
妻は頼って行き、そこで間違いを起こしてしまう 

目の見えない不自由さにもなれたころ
殿からの特別の配慮で「3万石はそのまま 末永く養生に励め」と
お言葉があり ほっと一安心の生活がはじまり
それなりの回復力と不自由さのなかの慣れの日常に
男の姉が 待合で妻と立派な身なりの侍を夫が見かけたと
告げた日 

下男に外出の妻の後をつけさせてみると 
やはり・・・・・ 
妻は下男が後をつけていたことを察知しており
下男に問いただし (ここが潔い)

妻は上役との間違いの関係を飾る言葉もなく  
淡々と夫につげ この家から離縁されて去っていく

男は朋輩から 
「自分の今あるのは 殿からの沙汰であった」と
言うことを聞き出し 上役の口ぞえではない と
確信を持ち 剣の使い手の上役に 決闘を申し込む

もちろん (正義は勝つ)  
苦闘の末 腕に深い傷を負わせ
上役は勤めもできず、理由もいわず 自害して果てる

下男から下働きの女を雇いたいとの申し入れに
「かってにせい」と一言
その夜の食事は 一口で 「これは」・・・・・
(さすがにお毒見役 妻の手料理の味は忘れていなかった)

これだけのストーリーを 不要なものをすべて切り捨て
画面に映し出す 
テレビにはない映像の美を 
そして
心にうったえてくる作品でした

まだの方は ぜひ ぜひ おススメします  




日本民家集落博物館飛騨白川郷のいろり番

2006-12-11 09:39:48 | ボランティア
12月に入り今年の紅葉もそろそろ終わりと思いながら2週間ぶりのいろり番をした。
寒さはまだ平年並みだけれどあいにくに雨 時雨といおうか時々の雨
こんな日は200年を経た古民家が3時間はいろり番の私の自宅。
いろり番をしながら本も読めるし i pod で音楽も聴くことができる。ああ サイコ~ と喜んでいたが 
  
おや 来館者が・・・・・


ようこそ ようこそ 

尼崎の開明小学校同窓生で仲良し12人
その中のお一人 山尾さんのご説明によると

阪神尼崎駅すぐ南にある開明小学校を昭和27年3月に卒業した200余名の中の12人で、来年は55周年の同窓会を企画しているそうです。
なお、開明小学校は一昨年 近くの城内小学校と合併し、明城小学校となり、103年の歴史を閉じました。
最近改装され尼崎市役所になっているとのことです。 

私のつたない説明にも熱心に耳を傾けていただいてありがとうございました。
さすが 余裕ある人生を歩まれている皆様
すてきな時間をお持ちです

昼食はご近所のフランスレストラン 『ラ・ベール』で楽しまれたようで
よき1日がお過ごしになられたことと思います

四季折々 変化する自然と古民家博物館
どうぞ またお越しくださいませ

ラ・ベール
http://www.la-verte.com/









 





山里棚

2006-12-06 14:51:25 | 四季おりおり

12月の初めてのお稽古
茶杓の銘をアレコレ考えながら 「冬枯れ」 と
決めお稽古に向かう
月謝は 毎月月初めに一人ひとり封筒でお月謝を
手渡すことになっている

襖を開けると
床の軸は 『無事』
花は 合掌の花入れに 紅白椿(白が上 紅が下 雪柳の照葉)
棚は山里棚(木地で小のもの 草のしつらえ)
棗は 丹波焼
茶入 瀬戸の肩つき
仕覆 菊唐草緞子

う~ん 1年ぶりだ
思い出しながら お薄の点前をする

注意点は内隅狙いで座ること
水差しは2手でとる

柄杓と蓋置きは棚左に飾ること

ぼつぼつ 楽しむわ~