くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

8年前のこと

2008-07-28 10:30:31 | 四季おりおり
本格的な中国の旅に出たのはこのときからだったと思う
それ以前は、返還前香港だったり乗り継ぎで立ち寄ったり。
7月始めのまだ暑さは大丈夫かと思われたころ
今思い起こしても 暑かった

広州 → 桂林 → 西安 → 敦煌 → 広州

実はブログ『ミュージアムの小径』 http://d.hatena.ne.jp/takibata/
のちっきーさんの記事で 首のない石造彫刻の話が載っており、私も依然見た記憶があると思い出したのだ。




乾陵   http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/tabi60.htm

権力の偉大さを見せ付けられたのと、地下の陵は奥へ行けば寒くなるほどなのに、地上は石の通路、さえぎるもののない石の彫刻ではるかに平坦な山が見え、暑さでへとへとになったのを、思い出している。

同行の女性4人は、ドアのない、仕切りのないトイレをはじめて経験し、観光客の少ないのを幸いに1人づつ入り口で見張りをしてもらって用を足した記憶。

そして、ひろい長い陵見学の後のスイカのおいしかったこと。



懐かしくて、写真をたどってみた。




なにがなにやら 訳がわからん~

2008-07-27 01:17:16 | 四季おりおり
大暑とはいえ暑いです

この暑さの中、連日 私用・公用(自分で勝手に思っているボランティアなど)で
身動き取れない
そこに 甥の七日ごとの法要
庭窪浄水場の上下水道モニターの見学会
その夜は 伯父の通夜(1年半あまり療養中でした 83才)
そして告別式

式に参列していて
そういえば お経が先日の告別式のお経と同じだと
気づきました
真言宗

おなじ真言宗でも 僧侶かわれば・・・・・
違うのです
先日の告別式との・・・・・

式の進行方法も違うのです

そんな違いを見つけている自分に唖然としました

こんなこと 日常茶飯に考えている自分が。


ワッハでDVD撮り

2008-07-23 20:56:40 | ボランティア
「アマチュア・コンテスト」のビデオ撮りをした
担当者からテープセットから映し方の説明を受ける
自信はないので 言われたことだけを頭に入れて
テストようにワッハ上方の展示場の中を
撮影してまわる

ビデオを持つ右手は脇につけて固定
左足に体重を乗せて 右足はすぐに動けるように
アップやズームの使い方から始まり
あわてて カメラを振り回さない
歩きながら撮るときは、カメラのゆれを出来るだけ抑える

う~ん 我が家のより重い

ときどき 電源が切れる(以前撮影中に落としたらしい)

頭は切れてもいいが、顎はきらない
全体を撮る 
膝までを撮る
ウエストまでを撮る
胸までを撮る

動きの激しい舞台では すぐに対応して手の動きを注意
漫才のように二人の舞台では目線を注意

さて 本番

ワッハの動画配信で今流れています 私の撮影
http://www.wahha.or.jp/

あ 疲れた



冷茶の作り方

2008-07-18 07:36:36 | 四季おりおり
夏の飲み物は、どうしても口当たりのいい冷たいものを求める
今年の我が家の飲み物は 簡単な手作り冷茶
作り方は 超簡単

1リットルの水道水に
麦茶パックなら → 1パック
煎茶なら    → 大スプーン 2杯
紅茶なら    → 大スプーン 1.5杯

なんで水道水かというと
大阪の水道水がおいしくなったのが理由の一つだが
炭素が入っているので 殺菌作用がある
作って冷蔵庫に入れておくと
3日間は大丈夫(でも できるだけ早く飲んでよ~)

ペットボトルの水は
解栓後はできるだけ早く使い切らないと 腐る
浄水器の水も同じ
沸騰させた水も 同じだと考えたほうがいい

これは 今年の私は水道モニターになって
新発見したことなのだ

席上 上下水道局の職員さんの説明に
20人あまりのモニターは一様に驚いた
知らなかった みんな

野菜も魚も果物も
口に入れるものは 水道水の流水で洗うと
菌は流されるし(15秒ほど)
消毒もできる

朝一番の水は・・・・・水洗トイレを朝一番に使えば
 もうバケツ一杯の水を流しっぱなしにしなくていい

マンションの浄化槽が法定通りの清掃が行われていれば
大丈夫だとのことでした

私は、冷茶の水は夜間遅くに毎晩作り
朝 冷蔵する容器にあけ 冷蔵庫に入れる
冷蔵温度は7度くらいがおいしく感じられるとデーターがあるらしい

あまり冷たいものは摂らないほうがいいのだが
まあ この暑さだから
今は冷たくして飲んでいる

ペットボトルのお茶なんて
この自作冷茶から比べると
おいしくないよ~


いまどきの家電

2008-07-16 09:42:14 | 四季おりおり
今年の我が家は家電製品の買い替え時期
でも 売り場では15年使えば上出来ですよ
なんて 言われたが・・・・・

その一つ 洗濯機

冬に暖房
夏に冷房

と表示していたので使ってみると
30分間の冷房
これは 優れものだ

我が家は洗面所・浴室に洗濯機があり
洗面時や風呂時に冷房すると
快適 快適

古い家電製品見直しを
よく耳にするけれど
これも その一つかもしれない

祇園祭

2008-07-15 15:36:59 | 四季おりおり


暑さの挑戦と覚悟を決めて
ひさしぶりに祇園祭の宵宮へ出かけた
ところが
長刀鉾の見学に2階に上がっているうちに
すごい夕立で
小1時間も降っただろうか
気温が下がった





もう4時をまわっていたので
新町から室町を鉾と山車をたどり歩いた
予定はちょうちんに明かりが入るころ
お囃子を聴きながら四条通を(歩行者天国)そぞろ歩くこと
それまでに 鉾や山車を一通り見て歩いて
あがれる鉾にはあがること



1番先頭の長刀鉾でゆっくり見学できたので
いつもなら見逃していたことまで
詳細に見たり聞いたりすることができた




どの町内も 室町時代あたりから守ってきた鉾や山車を
年に1度 披露しながら八坂神社の神様たちをお迎えし
また お慰めし そして 八坂神社に帰ってもらう
これを 毎年1ヶ月かけて執り行う
それを繰り返している人々の気持ちを
尊いと思う


ふた七日だった

2008-07-13 21:19:28 | 四季おりおり
甥が旅立ってからふた七日が過ぎた。
逝去日より1日早く七日の法要がある。
白木の机に遺影が飾られ、元気な笑顔の甥がそこにはいる。

身内だけのふた七日法要

ろうろうとした僧侶の読経に手を合わせながら、甥との思い出をたどる。

残された嫁も子も、忙しさに取り紛れて日々の生活をけなげにこなしている様子。
小学3年生の娘も、2,3日はパパの話は出来なかったけれど、今はさかんにパパの話しをするらしい。
しかし、生前ままの甥の部屋、甥の洋服、甥の車、甥の靴、すべて思い出につながっている。
私までが切ない気持ちになる。

姉も口では、しょうがない しょうがないと二言目には言っているが現実を受け入れるまでには、時間がかかりそうだ。

私ができることは、話を聞いてあげることだけ。
励ます言葉は、すべてむなしい。
一緒に泣いてあげることだけ。

できることって、限られている。

椎葉の古民家が竣工した

2008-07-10 07:09:14 | ボランティア
足場も取り払われ、待ちに待った『椎葉の古民家』が再建され、8日竣工した。午前中には関係者の皆様で竣工式。どうやら雨も式典中はたたられなかったとのこと。閉館後われわれボランティア仲間にも披露懇親会がもたれた。

2年前の解体修理に入る折も懇親会で椎葉の古民家と別れを告げたが、その折はかやぶき屋根には大きな穴が3つ、床はみしみしと音たてて、来館者も外縁(ほかえん)までしか入ることが出来なかったが、今回は室内にも入ってもらえる。
囲炉裏も2ヶ所あり、もちろん囲炉裏番もいるので周りを取り囲んで話に花が咲くことだろう。
かまども新しく作られ、展示品も以前と変わっていない。
古材をそのまま使っているので木の香りがしない。

解体前のイベントで椎葉の「大河内地区」の皆様の神楽の公演もあり、以前2ヶ月ほどここの囲炉裏番をさせていただいたが、その当時のことがよみがえり、感無量!!

どうぞ 新しくなった『椎葉の古民家』見に来てください。


☆ 椎葉地方では『山椒』のことを『サンシュウ』というとか・・・・・(方言)
  いま椎葉の古民家の庭には、『サンシュウ』が植えられていますが、このたび
  『山椒』の木もまた植えられるそうです。
  
☆ 白川の民家では『蚕』の育成中 元気に育っています。
  

この数日・・・・・

2008-07-04 18:10:41 | 四季おりおり
6月末の土曜日
午後からの予定でワッハ上方へボランティアへいく準備をしていると
甥の嫁さんから「至急来てください 危篤です」との電話
一瞬「誰が」 「どうしたの 事故」と頭にひらめいたことを口に出し
「肝硬変で・・・・・救急車で病院へ来たのですが手おくれです・・・・・といわれまして」
「あの彼 酒ずきだったけれど・・・・・肝臓悪かったの?」
「医者に酒を止められていたんです。入院しないと体が持たんよ いうて」
「入院してくれなかったんです。大丈夫やいうて」
病院を聞き、すぐに駆けつけると もう意識はない。
大きな体の彼は、ベッドに横たわり呼吸も器械でしている始末
「どうして・・・・・」と絶句するばかり。
先生からは肝臓の透析をしたいのだが、胃と腸からの出血があり試みているが血圧が低下するので出来ない状態です。と告げられる。
何も処置できず、ただ奇跡を待つだけ・・・・・

先生のお話では、以前から悪くて仕事をすること自体無理だった。
もう脳神経もおかされてこん睡状態に入っているので、時間の問題です。
それに動脈瘤も見つかりました・・・・・

数時間後 近親者が見守る中 静かに逝去した
行年 47歳 現役の教師 若すぎる・・・・・

目の前の現象が定かに理解できぬまま、つぎつぎと親族に知らせ
通夜をし葬儀を出した

さすがに現役の教師 教え子たちの別れの列は延々と続き
夜の7時から翌明け方までおとづれてもらった。 380名ほど

彼が結婚してからは、以前ほどの行き来もしなかったが、
子供のころから 夜遅くまでよく遊んだ
旅も何度か行った
歌が好きでカラオケでも歌った 
事あるごとに彼の行き届いた働きに頼もしさを感じていたのに。

我妹が「これで私たちの葬儀を見送ってくれる人が一人いなくなったね」
とつぶやいていた。

人生ってはかないものだ!!