くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

バナナ

2009-10-29 16:24:52 | ボランティア
博物館の奄美の高倉の民家横にバナナの木が植わっている
今 花が咲き 
実がつき始めている




今日 写真を撮りに行ったら
青い小さな実が見えている
その横に 蟷螂(かまきり) が
秋の日差しの中で 大きな眼をくるくるさせて
鎌ももたげず 私を見ている

ちょっと つついて 鎌を持ち上げさせようかとも思ったが
「せっかくのいい時間 そっとしておいてやろう」 と
写真だけ 邪魔しないように写した

かわいい来館者

2009-10-22 14:52:02 | ボランティア
行楽の秋にさそわれて
来館者が多い
どの方も お顔がのびのびとして楽しそう
オーストラリアからのご夫婦も
「白川の民家 NO1」 なんて 喜ばせてくれるけれど
この博物館そのものが 「goo」 と思う




もうすぐ 園内で劇をされる幼稚園の子供さんたちが
おばあさんが、囲炉裏の火に手をかざして温まり
煙に咽ぶ という場面体感のために
来館された。
囲炉裏の周りで、おのおの手をかざしながら
「ぬくいね~」 「けむたいね~」 と
口々にささやきながら
お行儀よく、挨拶して帰られた。

劇の成功をお祈りするわ !!



程さんと水餃子つくり

2009-10-20 09:33:09 | ボランティア


『程さん』と水餃子教室

10月18日の秋晴れの1日にぎやかに催されました
程さんをはじめ、ボランティアや一般参加の方たちと水餃子つくり
程さんは指揮官でもあり、
参加者に仕事のマナーもしっかりと教えていただいた
「さあ そこのごみはすてて」 とか
「庭の汚れはきれいにしよう」 とか
昔の大人は子供たちと作業を通じて
教える仕事外のことを
教えられていた

笑ったり、あわてたり、よろこんだり

出来上がった水餃子は 『う! うまい』

『程さん』  ごちそうさま
そして お疲れ様でした


 椎葉の古民家の前庭でボランティアや一般の参加者と会場準備




 がんばって!!



 『鄭さん』の陣頭指揮





 『程さん』と記念撮影も






京義線統一号(ローカル列車) 統一展望台

2009-10-14 14:44:21 | 


以前の鉄道が廃線になり、ソウル駅から地下鉄が臨津江駅まで出来ていました。
新駅舎は、明るくモダンな建築で駅周辺には団地と企業が新しく出来ており
ずいぶんと様相が変っています。




途中下車して、そこからバスで北朝鮮との最短距離にある「統一展望台」へ




1時間ばかりソウルから離れると駅周辺は、古い家屋と新しい家屋が
共存しています。




この道を上に進めば「北朝鮮」田と川の間には鉄条網が張り巡らされています。




監視小屋も設置されています。
今年も稲は大豊作とのことでした。




統一展望台から見下ろしたイムジン川
30キロほど向こうには北朝鮮の生活がありますが、人の姿はみえません。
以前来たときも、稲の収穫期でしたが、人の姿はなかった・・・・・

添乗員の白さんの話では、トラックで物資が届くらしいのですが
そのときくらいしか、人の姿が見えないとか・・・・・
家の中で、何をしているのでしょう?
子供たちは、学校へはいっているのでしょうか?




ちょうど、中秋節で北朝鮮に家族が残されていたり、なくなった方たちは
中秋節には一族で統一展望台に集まりお祈りをするそうです。
こぎれいにチョゴリを着たおばあさんたちが、秋の日差しの中で
しずかに話し合っておられました。




こちらは今が金木犀の季節、韓国でも銀木犀があたりにいい香を
漂わせていました。

そして仁川空港から帰国へ
わずか1時間25分の空のたびでもう関西国際空港でした。

短い5日間の旅でしたが、盛りだくさんな見所の多い旅で、
なつかしい風景にも出会え、今の韓国の発展も見ることができました。
経済状態が悪いと言われながら、私は「先行投資」によるものと
実感しました。
相変わらず、元気いっぱいの、よく働く人々の姿、そして儒教を元にした
我々日本人には受け入れやすい道徳観、居心地のいい5日間を
過ごすことが出来ました。

もちろん、同行者の無事と笑顔とやさしさ、思いやりもありがたかったですが。
この旅の企画をされた阪急交通社さんに感謝いたします。




ソウル 世界遺産昌徳宮

2009-10-14 14:37:17 | 


ソウルの中心街 ビジネス街
3年経たソウルの町は、ずいぶんときれいになっていた




世界遺産昌徳宮の正面入り口
8時半でこの観光客  以前はこんなにいなかった
そして、今回は日本人観光客の多いこと、ガイドが国別で案内してくれる




中央の椅子が皇帝の座られる椅子




よく見かける屋根の飾りは、孫悟空の中の登場人物と動物たち




宮廷のオンドルの焚口
さすがに大きい




皇帝のつかわれた図書館
よく韓国ドラマでも似た風景に出会う
建物前の池を眺めたり、まわりを逍遥したり




日本人観光客がいちばん多かった




皇帝の孫が、先生と2人で勉強をした建物
この小さな建物は、図書館へとつづく




宮廷内の皇后や中宮や未だ幼い宮たちの住んでいた部屋(女性用)
もちろん、男性用の部屋も別棟であります。

朝食は「あわび粥」 
昼食は「石焼ビビンバ」








ソウル  

2009-10-14 14:24:52 | 
ソウルへ
夕食は豚バラ焼肉
チシャの葉に焼きあがった肉と、コチジャンと味噌を包んでほおばる
おいしいな~

食事を終わって町に出てみると
あれ~ 見覚えがある  
イッテウォン(ソウルオリンピックで滞在したのがここだった、
ホテルはハミルトンホテル。 白さんに聞いてみると「ありますよ」
プラタナスの大木が懐かしい。
当時は米兵基地が近所にあるので、このあたりはオリンピック選手と
各国の関係者とで大賑わい。
毎晩、屋台で盛り上がりだれかれかまわず「乾杯」していた
あの当時の賑わいはないが・・・・・





こんな土産物屋もあった



オプションで「韓国伝統芸能の夕べ」を8名の参加者で見に行く。
両班の邸宅で、伝統芸能を鑑賞する。気分はあのキーセンの「ファンジニ」
のような美しい女性がカヤングを演奏してくれることを期待して。




空には半月がかかり、右手には南山のタワーが望めて
一歩邸内に入れば、カヤングの音が聞こえてきて、部屋部屋には明かりが
ほのかにともり、いい雰囲気だ



しかし、私達8人は伝統芸能を鑑賞する
太鼓や笛、カヤングなどの演奏で歌いおどり
そして、重要文化財の女性歌手の「パンソリ」を聞き





夢のようなひと時
最後には、サービスで写真撮影で締めくくり




そして、明洞へ
数年前、心ならずも南大門が焼失してしまい
明洞も変っていたが
相変わらずの若者や観光客でにぎわっていた
私は、近々めがねを買い
(いつも韓国では、めがねを買ってもその夜のうちに
ホテルのロビーまで届けてくれるので、つい買ってしまう)
9000円でした




この夜は、スパサウナ付きのホテル
一般客も入ることが出来るので、ソウルの女性たちのサウナ風呂の入り方を
眺めながらの入浴
「あかすり」の女性が、元気に立ち働き垢をこそげ落としているコーナーがあり
あかいパンツをはいた上半身裸の女性は、風呂の洗い場の整理をしたり
風呂の周りをきれいに清めたり、韓国は何時も思うがきれい好きな民族だ
女性客は、垢すりタオルやグッズをもってお互いの背中や
体をこすりあっている。
声も高いので、まるでけんかをしているようだ。
でも雰囲気は楽しく、眺めているだけでも面白い。

夜はベット  
明日1日とは思えないほど、余裕でまだまだ旅が続けられそうな気分。









世界文化遺産 水原華城

2009-10-11 07:20:22 | 
韓国ドラマ 『イ・サン』の作られた王族の廟と城跡


18世紀後期の朝鮮王朝第22代の王様で、政治の派閥闘争をなくしたり、
差別的な身分制度の廃止など、朝鮮王朝では最も愛された王様であったと
言われています。
現在 NHKで放映中
      ↓
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/isan/




建築には、1794年より2年を越える月日と37万人の労力が投入された。
華城は両判の派閥を排除し実力主義を重視したイ・サンの理想都市であり、
華城への遷都も検討されたが、華城完成直後に王様が死亡し遷都は見送られた。

城壁の長さは、5kmを越え、中国から西洋築城技術を取り入れ、
東洋と西洋の技術をあわせ城郭の築造に石材とレンガが併用されている


1997年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録














しっくいで固められた石材と煉瓦の城壁には鉄砲狭間と矢狭間が
規則正しくあけられて、うつくしい。
(鉄砲狭間から水原の市街)




水原華城を後にして、ソウルへ
(王族の廟へ立ち寄れなかったのは、残念。次回はぜひ)

4日目のバス走行距離  255キロ

扶余 白村江川 ~ 世界遺産水原華城

2009-10-06 10:56:09 | 
扶余・白村江川
日本(倭国)とは切っても切れない交流のあった百済


韓流ドラマでは

『朱蒙』(チュモン)
扶余の第3王子で高句麗の初代王
「朱蒙」の恋人「ソソノ」の息子が母親とともに百済を作る

『ソヨンド』  日本では聖徳太子の時代
百済は仏教を日本にもたらし文化面でも学術面でも
日本にその技術や学問を伝来しなくてはならない存在になっていた
この時代に「オンドル」は作られたもの



その百済700年の歴史の幕を閉じる戦が日本からの援軍(4千人)と
ともに白村江川で高句麗と新羅と唐の連合軍とが戦った場所が扶余
15日間の戦で日本と百済の連合軍は破れ、現在の大阪城のあたりに
百済貴族は亡命して住み着いた(奈良や高槻にも伝説が残されている)
倭国では、中大兄皇子と舒明天皇(中大兄皇子の母親)の時代
戦のさなか舒明天皇は亡くなります



残された宮廷女官3000人余りは、敵に捕らえられ辱めを受けるならと
チマチョゴリの裾を翻して、白村江に4~5メートル余りの岩場から
次々と飛び降り、その姿がまるで華が舞い散るようだったと後世まで
語り伝えられている。
その場所がこの写真の「落華岩」今残されて亭が建っている







白村江のゆったりと流れる河には、観光客ように古代舟がある
岸の生い茂る草や、落華岩を望みながら川風に吹かれた

昼食は「キムチチゲ」
辛さが3種から選べて、私は一番辛いのを食べたが美味しかった
写真は撮るのを忘れて、韓国ドラマ「ソヨンド」の話に夢中


そして 世界遺産「水原の華城」へ



馬耳山道立公園  塔寺

2009-10-05 15:39:35 | 
昼食は馬耳山の登山口で冷麺とチヂミ  
冷麺は、麺の黒いつるつるしたもの 
雨で寒くなっていたので、冷麺よりも、焼きたてのチヂミが美味しかった
ここは、コーヒーは無料
お茶がでないので、コーヒーは大人気



馬の耳に似た山の中腹に、今は亡き修行僧が韓国国内から石をあつめて
その石で塔を作ったものが120塔 現在は大小あわせて80余り
立っている。
不思議なことに、石を積み重ねただけの塔が崩れない
私も、塔に触れてみたのだが、1個1個の石は積み重ねてあるだけ
漆喰で固めたのでも、土で固めたのでもなくおいてあるだけ



雨にもかかわらず、参拝者が後を絶たない



不思議な風景だ



境内のお堂には願い事を書き付けた芙蓉の花(紙)が所狭しと
ささげられていて、美しい

山から下りてバスで儒城へ
雨もだんだんとやみ始め、明日の白村江川の川くだりと
フヨの町見学が、期待できる

途中の村の食堂で「韓国風しゃぶしゃぶ」を食べ
大田市の儒城へ  
このホテルは、オンドル部屋ではなくベットでした


ホテルは スパビア ホテル

走行距離は321キロ

 

王仁博士遺跡址 (麗岩)

2009-10-04 22:53:02 | 


朝から雨
ホテルからの麗岩の村の景色
実りを迎えた稲田が美しい
ガイドの白さんが
「北朝鮮へ李さんが強行に米をあげないから今年も韓国は米が余っている」と
発表がありました。と言っていました。


朝食はホテルのバイキング
韓国式朝定食とパン、果物、サラダ、コーヒー、紅茶、ジュース(甘い)
牛乳、コーン茶
(この朝から臨席の方たちと、韓国ドラマやソウル情報交換で食事タイムは
 写真を撮るのを忘れてしまった・・・・・すこし残念)


雨の中を日本にも関係の深い王仁博士の遺跡址に作られている博物館を見学
応神天皇の時代に、千字本と儒教10冊を携えてはるばるこの地より日本へ
わたってこられた。
特に難波には王仁博士の神社があちらこちらにある。





文化の伝播経路は中国から韓国そして日本と理解していても
この地から日本にと思うと感慨深いものがある






そして王仁博士は日本に帰化された。



百済観音  
日本にもこのほっそりした華奢な百済観音が法隆寺にある(国宝)



日本にも出土されるおなじ蓮華紋瓦




王仁博士の生誕され学問を修められた地の聖泉
(やわらかい、すなおな冷たい水を飲んで気をもらいました)



そしてバスで高速道路を走る途中のトイレ休憩の売店です
商品の豊富さに驚きです
缶コーヒーは70円から80円 
ドリップ式コーヒーは日本の量の半分くらいで30円くらい
もちろん、ブラック、砂糖・ミルクありと選ぶことが出来ます。
味は、いまいち  



場所はこのあたり