
[画像]河内隆(かわち・たかし)新・内閣総務官、2012年7月31日、参議院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会、参議院インターネット審議中継から。
野田佳彦内閣は通常国会閉幕明け最初の平日となった2012年9月10日(月)、内閣総務官に河内隆(かわち・たかし)さんを起用しました。4日(火)の閣議で決定済み。
衆議院解散(日本国憲法第7条の天皇の国事行為)の際に、閣議決定書を官邸から皇居宮殿に運び、天皇陛下の詔書をいただき、国会に行き、お盆のうえにふくさに包んだ詔書を内閣官房長官に渡すという大事な役目を担います。このクラスの官僚で、モーニングを着るのはかなり珍しいでしょう。河内さんもモーニングを新調しているのではないでしょうか。
河内さんは東京都出身、東大法学部卒。1982年(昭和57年)自治省入省。内閣官房が長く、内閣情報調査室(内調)の任務にも従事しました。現在、首相秘書官と内閣官房副長官に、自治省・総務省の官僚が一人もいない状態であることから、自治省・総務省からの起用となった可能性が考えられます。
上の画像は、前々任者の千代幹也・内閣総務官(昭和51年、運輸省)がふくさに包んだ詔書をお盆に載せて、衆議院本会議場裏のサロン(議長応接室)に控え、内閣官房長官(河村建夫さん)を待つ緊迫の場面です。2009年7月21日、政権選択解散の正午過ぎ、NHKニュースから。
原勝則・内閣総務官(昭和54年厚生省)は厚労省に戻り、老健局長になりました。内閣総務官が昭和51年入省、昭和54年入省、昭和57年入省と3年ごとの年次で来ていることから、衆議院の任期をにらんだ人事配置に思えますが、原さんは残念ながら、衆議院解散詔書を運ぶ大任はチャンスが回ってきませんでした。原さんは官僚としては珍しく早大政経学部卒業生で、同じ早大政経学部の野田佳彦首相の1年先輩になるかと思います。ただ、早大政経学部出身の首相が早大政経学部出身の内閣総務官に皇居への参内を命じるというのは、建学者の大隈重信元首相もビックリの光景となるところでしたが、早大政経学部教授・同窓生は政治に対して「傍観者たれ」という態度が徹底されており、「備えよ常に」という当事者意識はまったくゼロ。特段の関心・応援がなかったこともあり、官邸詰めが長い東大法学部出身の内務官僚(自治省)が内閣総務官に収まるという順当な人事に収まりました。
河内さんの自治省同期は、古川康・佐賀県知事。このほか、霞が関同期は、大村秀章・愛知県知事(農林省)、片山さつき参議院議員(大蔵省)、菅谷さんに頭を下げた石川威一郎・栃木県警本部長(警察庁)らがいます。
で、いつ衆議院解散になるかということですが、私の読みと民主党長老の意見は現在一致しています。それについては、今後の政治日程by下町の太陽で時期を明示していますので、そちらをご覧ください。
河内内閣総務官が、長期休暇でバカンスに行ってくれると、みんな楽なんですけどねえ。
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