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宮崎信行の国会傍聴記 ニュースサイト

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

[訃報]中野智美さん享年72 元国務大臣夫人、中野寛成さんの奥様

2015年03月04日 04時31分19秒 | その他

 元衆議院議員、中野寛成(なかの・かんせい)さん=旭日大綬章、衆議院永年在職議員=の奥さん、中野智美(なかの・ともみ)さんがきのう、平成27年2015年3月3日(火)、亡くなりました。4日付新聞朝刊が報じました。享年72。智美さんは難病の「脊髄小脳変性症」を患っておられました。寛成さんが2012年11月に、衆議院議員を引退して、大阪府豊中市のご自宅で介護をされていました。

 智美さんのお父さんは元大阪府議会議員で税理士の奥村肇さん。民社党結党時の大阪府連で、関西大学の学生だった寛成さん=長崎県出身=と知り合い、寛成さんは、豊中市議から、あたかも奥村府議を飛び越すかのうように、「中野」姓で、衆議院議員になりました。

 衆院選初挑戦の後、まるまる4年間浪人した際に、「子供の頃からの夢を投げ出してはいけない」とさとされた、と寛成さんは引退記者会見で語りました。 衆議院副議長退任直後の2度目の浪人の際にも、「衆議院に当選してからも、しばらくはオヤジの名前の方が有名だったよ(笑)」と語っています

通算11期、民社党書記長、新進党国会対策委員長、新党友愛代表、民主党初代代表代行、民主党幹事長、衆議院副議長をつとめたとはいっても与党経験は2回4年半のみなので、けっして経済的に恵まれていたわけではないと思います。しかし、庶民でも政策通ならば必要とされるわけで、最後の1期は、与党として、党税制調査会長、党両院議員総会長、衆議院社会保障と税の一体改革特別委員長、そしてなによりも、あの国難、東日本大震災発生時の国務大臣国家公安委員長として、治安について、一部窃盗行為などはありましたが、おおむね秩序を平常に保つ、世界から賞賛されました。

 私は今から17年前に一度だけ智美さんにお会いしたことがあります。番記者として議員宿舎で待ち構えていたところ、上京中の智美さんと2人で帰って来て、中野先生は私を紹介してくださいました。その際に、若輩者の私は、中野先生の「僕はこの人に朝から晩まで追いかけられて新聞に悪口を書かれて困っているんだよ」との冗談を真に受けてしまいました。今から思えば、困っている人を奥さんに紹介するわけがありません。そういった日々の中で、政治の何たるかを職人のように体に染み込ませていった日々の思い出と感謝は私の中で永遠に残ります。

 智美様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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