
やった、やりました。今月はとても大変な1ヶ月間でしたが、とびっきりうれしいニュースです。2010年秋(たぶん11月)のAPECが横浜で開催されることが決まりました。
米国、中国、インドネシア、チリ、シンガポール、ベトナム、オーストラリアら21カ国・地域の大統領・首相がヨコハマに集結します。
何よりうれしいのは、僕にとって“第二、第三のお父さん”だと思っていた高秀秀信・前横浜市長がまいた政策の種が大きく実ったことです。
私はお手本にすべき首長はだれだ?と聞かれれば、迷わず高秀秀信の名前を挙げます。高秀さんが礎を築いたコンベンション都市ヨコハマに、APECがやってきます。新横浜への2002年ワールドカップ決勝戦に続き、みなとみらい(MM)21地区にも大イベントがやってきます。
私は横浜市役所を担当していたころ、政治記者仕込みのぶら下がり取材を導入しました。高秀さんは建設省の局長→事務次官の経験がありますから、記者とのかけひきはとても上手い人でした。そうやっていろいろ勉強になりました。そのとき、高秀さんの鞄持ち秘書だった海道亮輔さんは横浜市東京事務所長に出世しています。
「サミット、オリンピック、ワールドカップといろいろ手をあげて一つ(ワールドカップ)しか誘致できなかったけど、あのときの経験が生きている」。私も同感。
しっかりとした目標を設定して、それに合わせて都市基盤の整備をしていくトップリーダー。前向きな話題が多いので、新聞記事にもなりやすい。トップダウンだから、一部の職員には嫌われていました。
私は長年東京で生まれ育って、1998年横浜に赴任しました。日本全体が不況でしたが、横浜の都市基盤は人口(330万人)に比べて極めて貧弱でしたから、高秀さんの方針は正しかったと思います。それでも未だに東海道新幹線「新横浜駅」から東海道線などの「横浜駅」まではクルマなら混雑時は1時間かかります。一般道しかないからです。
建設事務次官という経歴から、「土建政治」のイメージが高かった高秀市長。毎日新聞の記者が、東京地検特捜部のゼネコン汚職の捜査の際に、その経歴だけで市長公舎に夜回りに行き、出入り禁止になったことがありました。戦場カメラマンのような格好をして市役所内を取材する美人記者という不思議な人で、はやく東京本社に出世したくて、手柄をあせったのでしょう。その後、日経子会社発行の雑誌の執筆者に彼女の名をみかけて「アレッ?」と思いましたが、今はジャーナリスト活動はしていないようです。
「高秀秀信」のwikipediaをみると、高秀市政(1991年-2002年)を再評価する記述が増えたようです。
「戦後一貫して悪化した昼夜間人口比に歯止めを掛け、しばらく凍結状態だった都市計画道路に一定の進捗を促すなど、社会資本の整備に大きな進展があった市政期であった」
「東京湾のなかで東京港、千葉港、川崎港と競争を余儀なくされた横浜港を、国際貿易港としての拠点性を維持し、港湾資本の拡充をするなど、政令指定都市としての拠点性維持に努めた」
「首都圏人口スプロール化現象の中でともすれば市域一体感が乏しくなる横浜を、市営地下鉄で各拠点を結ぶなど、今になって開花してきた社会資本の整備も再評価される向きがある」
「経済と福祉を両輪と考え、市民福祉を充実させたことも見逃せない」
などなど。私もいずれ高秀さんのことをまとめたいのですが、今は政権交代に集中していますから、ほんのさわりだけこのエントリーにしたためています。
◇
「横浜市民330万人のうち、生粋の浜っ子と呼べる人は極めて少ない。大多数の市民は、生まれ故郷を別に持ち、それぞれの運命・遍歴を経て横浜を第二、第三の故郷とした人々である。
私もそのうちの一人だ。
私の生まれ故郷は、北海道の夕張である」
(高秀秀信著「ざっくばらん」第1章わが夕張、わが生い立ち13頁)
日本最大の基礎自治体・横浜市の市長は、財政再建団体の北海道夕張市の生まれでした。彼は故郷を愛し、お盆には欠かさず帰省して、休み明けの月曜日の定例記者会見では必ず夕張の話をしていました。
横浜市は今年から地方交付税を受けない「不交付団体(富裕団体)」になりました。これも高秀さんが都市基盤の整備を進めたからです。
2002年3月の市長選で4選に失敗し、落選。そのときに当選した市長は民主党・無所属クラブ所属の衆院議員(民主党に入党したことはない)ですが、国政と自治体は別ですから、私は高秀市政を一貫して支持しています。「消防局」の名称を変えて、それを改革だ、という今の市長は間違っていると思います。
1998年の横浜ベイスターズの38年ぶりの日本シリーズ第1戦の始球式で大スター「大魔神・佐々木投手」ではなく、地味な中継ぎの「ヒゲ魔神・五十嵐投手」の物まねをして誰にも通じなかった高秀さん。野毛大道芸の「仮装行列」に一市民として参加し、実行委員会から与えられた「ヤクザの親分」を演じ、仮装行列終了後、奥さんと娘さんが「もっと見ていく」というので、ヤクザの格好のまま歩いて市長公舎に帰った高秀さん。これを聞いた記者数人から「市長は悪代官の方が似合うのではないか」とからかわれても、げらげら笑いました。少なくとも、“裸の王様”ではありませんでした。
高秀さんは落選後、山手にマンションを借りて、原稿を書いていたそうです。その年のお盆もいつものように帰省しました。そして、横浜に帰る途中の飛行機で体調を崩し、羽田から横浜に直行しましたが不帰の人となりました。享年72。お通夜は妙蓮寺で開かれました。これは東急東横線の「妙蓮寺」という駅の真ん前にあります。黒塗りのクルマは東京都知事など極めて一部でした。庶民的なその姿と「建設事務次官」のイメージとのギャップ。政治って切ないなと思いました。私は2002年の横浜市民は選択を誤ったのではないか、と個人的には感じています。イメージ(印象)で投票行動を決めてはいけません。損をするのはあなた自身です。
APEC:首脳会議を横浜で来秋開催 日本で15年ぶり - 毎日jp(毎日新聞)
麻生太郎首相は25日夕、来年秋に日本で開催するアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を、横浜市で開催すると表明した。日本開催は95年の大阪以来15年ぶり。開催地を巡っては、札幌市、広島市なども名乗りを上げていたが、(1)宿泊施設が多く確保できる(2)羽田空港が近く交通の便が良い--などを考慮して「総合的に判断」(首相)した。首相官邸で記者団に語った。
APECは、日本のほか米国、ロシア、中国、韓国など環太平洋の21カ国・地域が参加し、経済面の協力について話し合う会議。首相は「15年ぶりの日本開催だが、この間アジア・太平洋と日本はずいぶん表裏一体となり経済発展してきた。経済統合など新しいビジョンを示す機会になると思っている」と語った
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