2011年9月2日(金)の午後2時から皇居で親任式(内閣総理大臣の任命式)と認証式(国務大臣の認証)がありました。これにより、野田内閣が正式の発足し、8月30日午前の総辞職後も、職務執行を続けてきた菅直人さんは内閣総理大臣をやめました。
まずはお疲れ様でした。
本来、二大政党デモクラシーでは、国民が選んだ政党は党首とセットですので、首相は次の総選挙まで変わらないの定石にすべき。そうでないと、私たち国民の1票の価値が損なわれます。例えば、18年間野党を続けていて、危機感が募っていた労働党が、トニー・ブレア党首をあわせて「新しい労働党(ニューレーバー)」を標榜。その翌年、長年の懸案だった労働党規約4条「すべての生産手段を公有化する」という社会主義条項を直すことに成功。その翌年の総選挙に勝利して、政権交代。政務三役経験がないブレア首相が誕生し、労働党では3連勝し、11年間政権を担うことに成功しました。その間に、ブレア首相からブラウン首相に代わりましたが、ブラウン氏ははじめから財務卿で、「次」は約束されていたようです。ブレア派とブラウン派の激闘のなかで、その時期を探っていく、というのが小選挙区制における与党の多数派争いということになるようです。
ですから、菅さんには「石にかじりついても」第46回総選挙の直後(あるいは直前まで)総理をやってほしかった。サミットに2年連続で出席したのは小泉首相以来ということになりました。しかし、2月17日の会派離脱ショック、6月2日の不信任決議案をめぐる混乱のなか、力尽きました。菅さんは昨年9月の代表選で、凌雲会の会合で「菅総理vs小沢前幹事長」の闘いを西南戦争に例えた、と報道され、その後修正されることがありました。西南戦争勝利の後、「そこまでやるか」という世論を持つ勢力が一定数いて、その人たちの逆恨みを買ったために翌年、紀尾井坂の変に倒れた、故事に似ています。「創業と動乱の十年」がおわり、「より若い世代に責任を引き継」いだ「建設の十年」にしていきたいところです。
菅さんは組閣時「奇兵隊内閣」と名付けました。
いろいろな出身、経歴の人が大臣として責任を分かち合ったからです。
野田内閣でも、選挙区を父親からブランク無く世襲した議員は、鹿野道彦農相ひとりとなりました。
私が注目しているのは、玄葉光一郎外相で、上智大学法学部卒業のSophian。ミッションスクール(キリスト教とくにカトリック団体などが携わる学校法人が運営する私学)の大学の卒業生の外相就任は、どうやら明治維新・太政官布告以来初めてのようです。もちろん、同志社英学校で英語を勉強した人がいますし、より人格形成に影響がある幼稚園などでミッションスクールに通った人もいるかもしれませんが、”第一の開国”の果実ともいえる、ミッションスクール大学の外務大臣となると、欧米社会の外交官、国際機関職員の考え方の底に流れる部分を理解しやすいし、コミュニケーションも円滑になるでしょう。国際機関では上智大学、同志社をはじめとするミッションスクール出身者は活躍していますが、国内ではやはり日本の国立大学出身者がエリート(政治的資源を持つ人)となっています。細川護煕首相が上智大学卒業生で、国際会議に出席していたわけですが、玄葉さんが松下政経塾(8期生)→県会議員→最後の中選挙区で無所属で国会議員当選→当選を重ねる→国家戦略大臣→外相という人材供給ルートで、外相になりました。でもまあ、横浜開港から150年というのは、遅すぎますよね。こういった人材を活用しないといけないし、潰しちゃいけません。ただ、それは今のグローバリゼーションの中では日本一国ではあがなえない状況となっています。ミッションスクール出身者は、「宗教の授業があるくらいで、後は他に関係ないから」と言い人が多く、これをやや自慢げに言う人もいるのが、私には解せないところですが、神父ないし牧師も兼ねる教育者から宗教に限らず、語学だとか様々な指導も得て、なんと言っても、学校法人の構内だけでも、教会(チャペル)があって、大事にされているという周辺環境というのが大事だと考えます。玄葉外相にはキリスト教社会に限らず、一神教が国教だったり主流だったりする国、すなわちほとんどの国連加盟国ということになるわけですが、よく理解し、また日本の立場をよく理解できるようなコミュニケーションを期待したいです。とはいえ、くり返しますが、横浜開港から152年たって、太政官時代から外相はいたのに、あまりにも人材を活用することが出来ないのが日本という国であり、また選挙というものなのだと思います。
さて、国会傍聴記ですから、菅直人内閣総理大臣の在任中の国会議事堂内でのベスト・ショットは何か? 私は、インターネット生中継で国会審議をみている間に、頻繁に「プリントスクリーン」で、キャプチャして、保存しています。ブログ内で使うのは、その一部です。この1年3ヶ月を見て、どれがベストショットか考えてみました。
そして、これは2011年3月29日(火)の衆院本会議。防災服姿でアタマを下げる菅直人首相(イチバン右)や、野田財務相(左から2人目)らです。菅内閣が概算要求基準をつくり、政府原案をつくって、国会に提出し、衆院予算委員会での答弁を乗り切り、参院予算委員会の審議では、前原誠司外相辞任ということになり、さらに東日本大震災で大幅にスケジュールが空くことになり、そして衆参ねじれのため、参議院で否決されてしまったけど、日本国憲法60条により、衆本で衆院の議決が優先され、成立が決まった瞬間の菅直人・内閣総理大臣。
私はこれを、菅内閣1年3ヶ月のベストショットにしたいと思います。ちょっと菅さんの顔がうつっていないのが残念ですが、私からして、本予算成立を総理として成し遂げてひな壇からアタマを下げている菅直人、さらに防災服姿もあいまって、似合っていない。ものすごく似合わない。ムチャクチャ違和感があるわけです。客観的事実を言えば、野党暮らしが長かったからです。定期的に政権交代する二大政党デモクラシーを今度こそ確実につくりあげなければ、人材が枯渇します。
野田新内閣でもさっそく、人材潰しらしき動きが始まっており、産経新聞社が全閣僚に、2005年10月の野田さんの「戦争犯罪人は国内法上は存在しない」という質問主意書について質問しました。これを読んでいる産経新聞の記者は、日本が1956年に国際連合に加盟したとき、ニューヨークの国連本部前のポールに日本国旗を掲げた外相が重光葵だということを確認すべきです。
[画像]目で見る議会制度百年(衆議院など編)から、1956年の国際連合に加盟し国際社会に復帰したときの外相(日本政府代表)の重光葵(右上の写真で日本国旗を見上げる人物)。
1945年、ポツダム宣言を受諾し、東京湾内の米戦艦「ミズーリ」の艦上で降伏文書にサインしたのが、重光葵です。そして、吉田茂内閣がサンフランシスコ講和条約(多国間条約)で独立を回復し、その条約の第11条にもとづき、東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われました。そしてサンフランシスコ講和条約のすべてを受け入れた上で、国際連合に復帰したのが1956年。そしてその外相が重光葵でした。そして彼はA級戦犯として服役し、仮釈放されました。1956年の時点では「仮釈放」の扱いはどうなっていたかは分かりません。しかし、仮に日本の国内法上戦争犯罪人として有罪となり服役し仮釈放された人物を晴れの国連(国産連合)デビューに送り出したとはヘンテコな話です。また国連(Unitad Nations)としても許せないことだったでしょう。
[画像]岡田外相のかわりに、国連パキスタン洪水緊急会合で、国連総会上で演説(日本語)する外務副大臣時代の藤村修さん。
それでもちゃんとわが国は国連の一員で居続けています。
これは2011年4月28日(木)、平成23年度第1次補正予算(案)で代表質問で答弁する菅首相。東日本大震災ということで、4月中に異例の補正予算提出ということになりました。こうした未曾有の国難でも、本会議場での振る舞いは堂々としていました。
これは2011年6月1日(水)の参院本会議です。さきほども言及したように、サミットに2年連続で出席した首相は、小泉純一郎さん以来となりましたが、そのサミットから帰国後に、参議院から求められてのサミット報告(演説)とそれに対する各党代表質問で演壇に立ったシーンです。ちなみに、翌6月2日には、衆本でも同じ議題が予定されていましたが、自民党・公明党・たちあがれ日本が提出した「菅内閣不信任決議案」が慣例にもとづき、緊急上程され、延期されたまま、衆本で議題になることはありませんでした。ですから、後世の歴史家が「3・11」後、最初の主要な多国間会議だった2011年フランスG8サミットについて調べるときは、参議院の議事録だけを参照することになります。
代表選のときは「政治はうんざり」という人がまた増えてしまったようですが、野田演説から組閣にかけて、じゃっかん「もう一度だけ政治に期待しよう」という人が増えてきたように思えます。3党合意をしっかり守れば、3次補正、当初予算、そして来年度(4kの政策検証)まで参議院でも法案は通せます。3党合意は未来に向けての合意であり、またロケットブースターが巧妙に入っているすぐれたものです。
義経(菅さん)さんが花道を「名誉」をもって引っ込んでいきました。それを見届けた弁慶(岡田さん)も飛び六方を踏んで、花道を引っ込みました。
意外感を持たれた方もいるようですけど、どこに向かったんでしょうかね?(笑)。
野田内閣は、野党が長かったため初入閣が10人ということです。私としては、初入閣10人とは思えない(民主党・国民新党がかかえる人材の中では)重厚な布陣となった印象の野田内閣。みんな苦労して、努力した人たちばかりです。ただ、その中でも、とくにイチバン努力した人は、鉢呂吉雄・経産大臣、イチバン苦労した人は前田武志・国土交通大臣ではないか、という私の感想を最後に申し添えておきます。そして、苦労した人10人が初入閣したところに、衆院任期がもう半分を切っている、ということを改めて実感します。外は秋の風情です。
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