
[画像]亀井静香さん、第45回衆院選民主党推薦候補を紹介する民主党ホームページ(現在はない)から。
亀井静香・自民党組織広報本部長はマインドコントロールの天才。
彼は自民党下野後、わずか1年で闇討ちで、自民党・社民党・さきがけ連立政権をつくった後、野中広務・選対総局長とのコンビで、野党・新進党を徹底的に攻撃し、新進党解党の立役者となりました。亀井さんのやり方はこうでした。
まず、「新進党に合流した政党の一つである公明党は創価学会という宗教団体が設立した政党です」。実は意外に、公明党が創価学会が母体になっていることは、55年体制では知られておらず、長く野党第2党・衆院の1割程度の議席を持ちながら、タブー視されていたようです。公明党も参院の比例名簿上位3人を「国民会議」と名付け、広中和歌子さんや、元朝日新聞論説委員、大学教授ら非創価学会員を入れて裾野を広げようとしていました。
次に言いぶりが少し変わり、「新進党は宗教団体を母体とする公明党がリードしている政党です」という風に、旧公明党が新進党を主導しているような印象を与えました。
そして、「新進党は宗教団体に支配されていて、これは憲法が定める政教分離の原則に違反した政党です」という言いぶりに変わっていったと思います。この政教分離とは、亀井さんの先輩たちの特別高等警察が創価学会幹部逮捕を含む宗教団体弾圧の反省が背景にあるので、本来政教の上下関係があべこべの話ですが、徐々に浸透していきました。
ついには、「新進党は創価学会です」と、新進党=創価学会という構図にされてしまいました。自民党全国学生交流会(自民党学生部)から宮沢解散で新生党学生塾(新生党学生部)に移った私は、羽田孜さんらの新宿西口で街頭演説会でビラを配っていたときに、オッサンが自転車で急に止まって、「新進党は創価学会だよ!」と吐き捨てられました。総支部職員の人と相談したら、その場合は「え?新進党って創価学会なんですか?」と聞き直して、反論しない対応をとることにしました。その後も、地元でポスター張りをしていると、それに近いような対応をとられたこともあったような気がします。
1995年11月8日に自民党本部で開かれた党員研修会で、亀井組織広報本部長は「宗教団体で政党を作ったのはオウム真理教と創価学会の2つだけ。オウムは小銃とサリンで、創価学会は選挙で政権を掌握しようとしている」と発言しています。
自民党亀井広報本部長のマインドコントロールは、さながらオウム真理教のマインドコントロールのようでした。ただ、テレビ、新聞は政府与党中心に報じますので、亀井マインドコントロールはオウム真理教同様に、見事に国民を「洗脳」しました。いまだに悔しくてなりません。
また、与党・自民党や、創価学会の池田大作名誉会長の証人喚問を目指しました。
これに対して、小沢新進党は、旧公明党の森本晃司・院内幹事(国対委員長)らの指揮で旧公明系の秘書団にピケを張らせ、国会内を封鎖しました。さらに亀井さんを東京地検特捜部に告訴。告訴状では「次の総選挙で、新進党が学会員の支援で過半数を得た場合、自民党が下野することを危惧し、新進党の社会的評価を傷つけ、総選挙での躍進を拒むことを企てた」としました。
小沢さんは池田さんの証人喚問に対して、「正当な理由がなく、基本的人権にかかわる問題であり、民主主義の否定につながる」と反論しました。16年前の発言ですが、ここで「民主主義の否定」というのは言葉遣いがおかしく、「法治国家の尊厳に関わる」という言い方をすべきです。どうも、彼は「基本的人権」という憲法用語や、民主主義という明治維新期の外来翻訳語の使い方が間違っているようです。やまとことばで、「筋を通すことが大事だ」と言うと、納得する人が多いようです。
秋谷栄之助会長が参考人として出席することで決着しました。テレビ中継されましたが、このとき、秋谷さんが創価学会施設(礼拝所)内で電話掛けをすることはない、という趣旨の発言はホントウかなあという気がします。ちなみに、創価学会は第41回衆院選で、山梨2区で自民党現職で富士急会長の堀内光雄さんを支持し、山梨1区、3区でも自主投票。群馬県内、鹿児島県内の全選挙区や富山2区、3区でも自主投票にしています(比例代表は新進党を支援)。
結果、初めての小選挙区選だった第41回衆院選は敗北しました。そして政権交代ある政治の実現は13年も遅れてしまうことになりました。
新進党の内なる敵・小沢一郎。新進党の外なる敵・亀井静香。「小亀(こがめ)」。小亀による13年の空白の間に赤字国債は地方分(合併特例債・臨時財政対策債など含む)は700兆円も増えてしまいました。国民1人あたり700万円という天文学的数字で、利払いは1人毎年10万円に及び、預貸率の低下で世の中にマネーが回らなくなり、生活が苦しくなっています。
1997年12月12日、臨時国会閉会を受けた新進党両院議員総会を覚えています。国会がある丘は「星ヶ丘」と呼ばれますが、その名をとった「星陵会館」という都立高校の建物で開かれました。私は当時は官邸担当でしたが、「小沢党首が解党宣言をするのではないか」という噂があり、先輩と2人応援にかりだされて緊張しました。直前に、新進党キャップ(現在はワシントン支局長)に電話したら、「きょうの解党はなくなったから、官邸に帰っていい」と言われて、先輩と当惑しましたが、珍しく時間があったので見て勉強することにしました。このとき、座席のイチバン後ろに、おそらくあえてでしょうが、中田宏・衆院議員が陣取り、さんざんヤジを飛ばしていたのが印象に残りました。公明系の松あきら参院議員と西川知雄・衆院議員の夫婦も後ろで冷めた印象でのぞんでいたのも記憶しています。そして、小沢一郎党首ら党幹部が最前列に座っていたのも、少し違和感がありました。通例は壇上で議員と顔をつきあわす格好になるのですが、なぜか小沢さんは議員側に座っていました。そして両院議員総会長から「それでは小沢党首ごあいさつをお願いします」と言われると、「おっそうか」と驚いた表情で登壇しました。党首があいさつするのは当たり前なのに、あまり気乗りがしなかったのか、おとぼけの表情でした。この後、新進党党首選を経て、12月27日、新進党は解党してしまいました。
その松あきら・公明党副代表がテレビで「新進党解党時に今の民主党は似ている」という趣旨の発言をしたそうです。ただ、これは松さんが神奈川県で連合(民社党系)の支援をもらって断然トップで初当選したのに、2度目以降は連合の指示がなく苦しんだことから、あのときを彷彿としている面もあると考えます。民主党はまったく分裂していません。分裂しているのは小沢グループと亀井グループ(国民新党)です。民主党にはむしろ、力のある政務三役が真価を発揮しています。5日の参院本会議でも小沢グループと凌雲会を掛け持ちしている川上義博・参院予算委筆頭理事が討論の中で「政権の居心地の良さに慣れてしまうと、予期せぬ新人類が出現します」「内紛を起こしている暇はありません」と辞表を出した議員を批判しました。小沢グループ真っ二つです。
[画像]右端は3月31日放送のNHKニュース7から。
私は1997年12月27日から14年5ヶ月間、この日が来るのを虎視眈々と待っていました。
江戸の敵を長崎で討つ。新進党の内なる敵・小沢一郎さん、外なる敵・亀井静香さんの息の根を止める。歴史の清算をつける。私たちは前に進めません。
以前も引用しましたが、中公文庫版日本の歴史第20巻の「明治維新」の最後に次のような印象的なフレーズがあります。
「十年前には、維新変革の名実ともに最高の指導者であった英雄が、変革期の歴史の歩みの早さに、ほんの一歩おくれはじめたばかりに、やがて反革命の最後の最大の首領となり、かつてみずから肝胆をくだいて建設の基を開いた政権に、武力で反抗して自滅するにいたる、ーー明治維新ていどの変革においても、変革の論理はなんときびしいものだったであったろう」
江戸無血開城の「明治維新ていどの変革」でもそうだったのです。東日本大震災という「未曾有の国難」。じり貧がどか貧になった震災後日本では、もっときびしい変革の論理が有権者に求められます。もう小亀の時代ではない。私たちが投票や議員本人への働きかけで政治を動かす時代の幕開けです。まあ、ゴールデンウィーク明けには答えがでるでしょう。
さあいよいよ、小亀の息の根を止めるときが来ました。
震災後日本では、アメリカ同様に「攻撃は最大の防御」です。
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