私が防衛庁の守屋武昌という人物を知ったのは、政治部の総理番記者をしていた10年前のことです。
当時、首相官邸内の総理執務室の前で、橋本龍太郎総理への客人に声をかけ、名刺をもらい、「総理とはどのようなお話を?」と聞いていました。
いろいろと気付いたことがありますが、不思議だったのは、霞が関の局長は、大臣や事務次官が同席せず、総理に直接会っていることです。
局長一人ということは珍しく、随行をあわせて、5人ほどのグループ。
その歩く順は、どの省庁でも見事なまでに年次順にそろっています。
局長が直に総理に法案の説明をし、総理から直接指示を受けます。
当時、大蔵省主計局長だった小村武さんが1日に3回も一人でやってきたことがあります。橋本総理から何度も“ダメ出し”を食らったようです。
まあ、何の法案だったかはよく分かりません。総理番記者は伝令に過ぎませんから。大蔵省内にある記者クラブ(財政研究会=財研クラブ)詰め記者にケータイで連絡したら、それで仕事終了。記事を書くのは経済部の仕事です。
そうやって1年間、毎日のように朝から晩まで総理の番をしていました。
伝令に過ぎない仕事の中でもいろいろなことに気付きました。
霞が関で2人だけ、局長より格下の官房審議官でありながら、橋本総理と“サシ”で何度も会っている人物を見付けました。
一人は大蔵省の官房審議官だった杉井孝さん。
そして、もう一人が防衛庁(内閣官房兼務)の官房審議官だった守屋武昌さんだったのです。
二人ともどちらかというとモサッとした感じで、私にはあまり優秀そうには見えませんでした。ただ、周囲の人に言わせると「切れる人物」で、特に杉井さんは大蔵事務次官就任が確実な人だとのことでした。
1998年、日本銀行や大蔵省の職員への接待汚職事件が起きました。いわゆる“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”です。
これは日銀の松下康夫、福井俊彦正副総裁、三塚博大蔵大臣、小村武大蔵事務次官らが職を追われるという大スキャンダルになりました。
自らも接待を受けていた杉井審議官は大蔵省そのものを追放され、今は弁護士をしているそうです。
守屋さんが防衛事務次官になったのは2003年。新聞記事を読んだ私は、「やはり守屋さんは優秀な人だったんだなあ」と思いました。しばらくすると、週刊誌に守屋さんのことを“防衛庁の天皇”と評する記事が載りました。そのときも「防衛“省”への昇格のためにはある程度強引なプロパーが必要だろう」と思いました。
地に墜ちた杉井さんと守屋さん。二人の“敏腕官僚”をみるに付け、官僚をつけあがらせた1990年代の異常さを感じます。
以上です。
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