【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

不信任案大差で否決→菅直人内閣信任、とはいえ、菅さん、岡田さんは大いに反省すべきだ!

2011年06月03日 05時54分10秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【2011年6月2日(木) 衆・本会議】

 本来は、国務大臣の報告「菅首相のサミット報告」とそれに対する各党代表質問が、1日の参議院に続き、議題となるはずでした。しかし、1日夜に自民党、公明党、たちあがれ日本が提出した菅内閣不信任案が緊急上程されました。

 投票総数445人、白票(賛成)152人、青票(反対)293人の大差で否決しました。これにより、菅内閣は第177通常国会において、信任されました。各法案審議はスピードアップすると思われます。

 これは、菅内閣というよりも、民主党内閣への信任ですから、民主党議員が賛成するというのは、憲政の常道からしてあり得ないのですが、やはり「政策好きだけど、統治法知らず」という民主党議員の特性もあり、一時は可決される可能性も出ていました。多少、マスコミがあおっていた面もあります。が、かなり危険水域までいったことは事実で、岡田克也幹事長、安住淳・国対委員長、藤村修・幹事長代理、三日月大造さんら国対副委員長の必死の引き締めで、大差で否決することができました。しかし、民主党代議士会で、菅首相が「一定のめどが着いた段階で」の辞任を示唆することになり、大差で否決したのもものの、「問題を先送りしただけ」という気もします。変化の激しいときには、こういうことがあります。羽田孜首相が退陣記者会見で「政局はもう終わりにしよう」と言ったことが、今でもこだまのように響きます。しかし、それは残念ながら間違いです。一度与党になったら、そこから、引きずり降ろされないよう、石にかじりついても努力しなければなりません。野党や小沢グループが政局をしかけてくる限りは、必ずそれを粉砕しなければならず、今回の岡田執行部の巻き返しは遅かったです。岡田克也幹事長は2日夜の記者会見で「執行部としても反省すべきは反省する」として、「幹事長として(就任後は)小沢問題(1月強制起訴)にかなりのエネルギーを費やさざるを得なかった。そして、大震災(3・11)後は、震災対応で、統一地方選(4月)の応援にも行けなかった」と反省しました。「若い議員が多いので、残り衆議院の任期が2年以上あるなかで、選挙の指導などコミュニケーションを密にしていきたい」と反省しきりでした。

 さて、内閣不信任案の審議です。趣旨弁明は自民党副総裁の大島理森さんでしたが、のっけから「民主党代議士会では~」と、その1時間ほど前の他党の内輪の会議の内容の引用から始まり、驚きました。この後の、石原幹事長の賛成討論でも「民主党代議士会では~」となりました。ここに自民党が負けた理由が分かりました。情報戦の時代になり、小沢グループ特有の「100人集めた」という質の低い情報に惑わされたのではないでしょうか。小沢グループは誰にでも声をかけます。そのため、執行部としては国対の班なども活用して、その会合の出席者から聞き取れば、その100人がどういう100人か分かります。いわば質の高い情報です。今回は後手後手だったとは言え、ケータイ電話・インターネットの時代でめまぐるしいリアルタイムの情報戦で自民党は負けたのです。派閥のボスが夜中に話したことが、そのまま翌日の国会のシナリオになっていた時代とは違います。そのころは内閣不信任案に与党議員が同調することはありませんでした。唯一の例外は、1993年の第126通常国会で、会期中の3月に最大のボス、金丸信・経世会会長が逮捕され不在になり、その3ヶ月後に、宮澤内閣不信任案が可決されました。そして、自民党幹事長代理の野中広務さんらがケータイ電話を持つようになると、リアルタイムで政治が変化するようになり、2001年の加藤の乱は、ケータイを駆使した野中幹事長、古賀誠総務会長ら執行部が宏池会を切り崩し、論功行賞で、古賀誠さんが総務会長から幹事長に昇格しました。古賀さんは宏池会会長の座も手に入れます。そして、小選挙区の時代になりましたから、総理の解散権はますます巨大な権力となっています。小沢グループは2度とこのような政局をもてあそんではいけないと思います。

 なお、野党が出した不信任決議案に賛成するという「国民への裏切り」をした松木謙公、横粂勝仁の2名を民主党常任幹事会は除籍しました。当然の処分です。2名の小選挙区は、自民党が強い(松木氏の対抗馬は自民党の武部勤さん、横粂氏の対抗馬は自民党の小泉進次郎さん)ので、刺客を立てるにしても、なるべく市議会議長経験者のように、実績がある人がいいと考えますが、内閣信任により、当面、解散はない見通しとなりました。また、小沢一郎氏については、穏便な対応をすることになりました。本来は除籍が当然ですが、新進党を解党した狂犬を野に放つのは危険です。公明党さんにすり寄るかもしれません。小沢氏は党員資格停止のまま、新進党解党を反省すべきです。また、ご家族の介護にも、もっと親身になられたらいかがでしょうか。

 衆・本会議では、山井和則さんの演説が胸を打ちました。ずっと厚生労働分野のこと、「命」のことばかりやってきて、厚労政務官を経て、畑違いの議員運営委員会理事として全委員会に目を通している山井さん。これは、営業部のトップセールスマンが会社全体のことを知るために社長室に移動したようなもので、49歳・当選4回生の山井さんが首相候補の養成コースに入ったことを意味します。

 その山井さんが、「被災地のホームヘルパーさん」の話、まさに命を守る命の話で震災対応に触れました。そして、野党にも頭を下げ、与党にも頭を下げ、「国会の存在意義が疑われる」とお願いしました。この演説の時点では大勢が決していたとは、山井さんの真摯な振る舞いは印象に残りました。菅さんや岡田さんには、こういう態度で示す面が欠けていました。この厳しい局面で、一定のめどが立つまで長期戦になるでしょう。菅さん、枝野さん、岡田さんら民主党7首脳らの覚悟が問われる「信任」となった2011年6月2日でした。

 なお、国会不信が高まったことから、参院での菅大臣問責決議案は、提出されない可能性が出てきました。マスコミのスポットライトを浴びることができなかった、民主党参院議員が不満を募らせているのではないかと懸念しています。余震、放射能ストレスは国会議員も同様のようです。ナントカ早く落ち着きたいものです。

 菅さんは2日夜の記者会見で「国会はいったい何をやっているんだ、と思った方も多いでしょう。とはいえ、私自身の至らない面も原因だった」と真摯に反省しました。一方、鳩山由紀夫氏は「岡田幹事長は嘘を付いている」と発言しました。これについて、岡田さんは日本テレビニュースで村尾信尚さんに対して「私は親から『絶対に嘘をつくな』と言われて嘘をつけない性格だ。政治家としては損をしている」と述べました。そこから勘案すると、「谷垣・小沢・鳩山」の「息をするように嘘をつく」ことを教えられた政治が家業の二世政治家による嫉妬・ねたみにもとづく政局に対して、「菅・岡田・枝野・仙谷」ら非二世政治家が勝ったといえるでしょう。日本が前に進みました!



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