内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

個体あって個体化あるにあらず、個体化あって個体あるのである ― ジルベール・シモンドンを読む(88)

2016-06-06 10:01:05 | 哲学

 昨日読み始めた段落の続きを読む。そこには、過程としての個体化とその結果として生成された個体(性)との区別と関係について、私自身の問題 関心から注目すべき箇所がいくつかあるので、まず原文を引用した後、その各文のおよその訳を示しつつ、それにコメントを加えていくというスタイルを取る。

L’individualité est un aspect de la génération, s’explique par la genèse d’un être et consiste en la perpétuation de cette genèse ; l’individu est ce qui a été individué et continue à s’individuer ; il est relation transductive d’une activité, à la fois résultat et agent, consistance et cohérence de cette activité par laquelle il a été constitué et par laquelle il constitue ; il est la substance héréditaire, selon l’expression de Rabaud, car il transmet l’activité qu’il a reçue ; il est ce qui fait passer cette activité, à travers le temps, sous forme condensée, comme information (191).

 個体性は、生成過程の一つの相であり、ある一個の存在の生成によって説明され、その生成を恒常化させることからなる。個体がまずあるのではなくて、生成過程の中からある形が形成され、その形が一定期間維持されるという仕方で生成が持続されるとき、個体の存在について語りうるようになる。これを西田幾多郎『善の研究』初版「序」中の有名な一文「個人あつて経験あるにあらず、経験あつて個人あるのである」に準えて定式化すれば、「個体あって個体化あるにあらず、個体化あって個体あるのである」となるだろう。
 個体は、個体化されたものであり、己を個体化し続けるものである。個体は、この意味で、個体化の自発自展の一契機として形成されるものである。個体は、ひとつの活動の転導的関係であり、この活動の結果であると同時に作因である(この「転導」という概念については、4月2日5日6日の記事を参照)。ここでもまた西田の表現を援用するなら、個体とは、「作られたもの」でありかつ「作るもの」であると定式化することができるであろう。
 個体とは、個体がそれによって構成され、それによって構成するところのこの活動の一貫性の具体的実現に他ならない。ある場所に一定の形で一定の活動が一定期間持続的に保持されるとき、そこに個体が生まれる。
 個体における個体性は、しかし、その個体自身の自己保存に尽きるものではない。個体性には、個体を生み出し、その個体を維持させる活動を他の個体に伝達するという特性も含まれている。つまり、個体は、己と同様な個体化過程を繰り返すのに必要な諸要素を、別の個体に時間を通じて凝縮された形で伝達する。この同様な形の生成の反復を可能にするものが « information » であり、遺伝情報はまさにこの意味での « information » である。
 しかし、シモンドンにおける « information » 概念がいわゆる「情報」に尽きるものではなく、形の生成という意味での形成過程そのもの、形成に必要な諸要素の凝縮、形成の別の場所への伝播をも意味する多義性を孕んだ概念であることをここでも確認しておく必要がある。



























































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