内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

人類の盲点 ― 中谷宇吉郎「立春の卵」より

2021-02-02 00:00:00 | 読游摘録
 別に意図したわけではないが、1月29日の記事で『雪月花のことば辞典』を紹介したのがきっかけで、そこに言及されていた中谷宇吉郎の著述に関して昨日までの三日間記事を書いてきた。今日も中谷宇吉郎の別の著作を取り上げる。私自身、読めば読むほど面白くなってしまったからである。
 現在簡単に入手できる中谷宇吉郎の著作をアマゾンで検索していたら、岩波少年少女文庫の一冊として出版された『雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集』(池内了編 2002年)を2006年4月1日に購入していることに気づいた。ところが手元にないし、そもそも買った覚えがない。不思議に思って、領収明細を確認してみたら、なんのことはない、当時中学校に入学したばかりの娘に、他の九冊の本と合わせて「入学祝い」として贈ったのであった。
 このように親から押し付けがましく贈られたありがためいわくな本は私も中学時代読まなかったから、おそらく娘も読まなかったであろう。しかし、読むに値する本であるには違いないので、自発的に、あるいはまったく偶然に手に取り、思わず引き込まれるようにして読んでくれればよかったなぁと、せんなき後悔を今ごろしている。
 このエッセイ集に「立春の卵」というとても興味深い文章が収められている。発表されたのは1947年2月の立春の少し後である。
 「コロンブスの卵」という諺があるくらい、卵はそのままでは立てられないと数百年間相場が決まっていた。ところが、第二次大戦末期の1945年2月に、立春には卵が立つという話がアメリカの新聞に載った。国民党宣伝部の魏氏が同年の立春に、重慶でUP特派員ランドル記者の面前で、2ダースの卵をわけなく立てて見せたのである。当時は、しかし、戦時下の世界はそれどころの話ではなかったので、大した話題にもならなかった。
 その二年後の立春のとき、今度は上海で同じ魏氏が同じ記者の前で再び同じ実験をやることになった。なんとラジオの実況中継まで行われたという。各新聞社の記者、カメラマンの居並ぶ前で、三日の深夜に実験が行われた。実験は大成功、ランドル記者が昨夜UP支局の床に立てた卵は、四日の朝になっても倒れずに立っているし、またタイプライターの上にも立った。
 このセンセーショナルな話題に対して、中谷宇吉郎は、そのエッセイの中で、「いかにも不思議であって、そういうことはとうていあり得ないのである」と、科学者として自らこの現象の謎を解くべく、自宅で実験を行う。その報告のはじめに、「卵というものは立つものなのである」と結論が述べられている。以下、家庭内での実験の描写は軽妙でユーモアに富んでいる一方、科学的な叙述は平明でありかつ精確である。その後、大学の教室で、同僚か助手かわからないが、H君が顕微鏡を使って卵の殻の断面を観察するまでに至る。
 以下、同エッセイの最後の短い段落の手前の四段落をそのまま引用しよう。ご興味を抱かれた方は全文お読みになってみてください(青空文庫版はこちらからどうぞ)。

 こういうふうに説明してみると、卵は立つのが当り前ということになる。少なくもコロンブス以前の時代から今日まで、世界中の人間が、間違って卵は立たないものと思っていただけのことである。前にこれは新聞全紙をつぶしてもいい大事件といったのは、このことである。世界中の人間が、何百年という長い間、すぐ眼の前にある現象を見逃していたということが分ったのは、それこそ大発見である。
 しかしそれにしても、あまりにことがらが妙である。どうして世界中の人間がそういう誤解に陥っていたか、その点は大いに吟味してみる必要がある。問題はうまく中心をとればというが、角度にして一度以内というのは恐ろしく小さい角度であって、そういう範囲内で卵を垂直に立てることが非常に困難なのである。その程度の精度で卵の傾きを調整するには、十分の一ミリくらいの微細調整が必要である。それを人間の手でやるには、よほど繊細な神経がいることになる。実は学校へ卵をもって行って、みなの前で立てて、一つ試験をしてみようと思った時は、なかなかうまく行かなかった。夜落ちついて机に向かっていて、少し退屈した時などにやれば、わりに簡単に立つのである。
 卵を立てるには、静かなところで、振動などのない台を選び、ゆっくり落ちついて、五分や十分くらいはもちろんかけるつもりで、静かに何遍も調整をくり返す必要がある。そういうことは、卵は立たないものという想定の下ではほとんど不可能であり、事実やってみた人もなかったのであろう。そういう意味では、立春に卵が立つという中国の古書の記事には、案外深い意味があることになる。私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることはできなかったであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、みなが立たないと思っていたからである。
 人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、あまり人は知らないようである。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。












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