医療裁判傍聴記

傍聴した観想など

乳がん患者の乳房、誤って切除 千葉大病院 両方にがんと思い込み

2021-10-30 22:23:59 | 医療界
 千葉大医学部付属病院は29日、左乳房に乳がんが見つかった50代女性に対し、誤って左右両方の乳房を切除する医療ミスがあったと発表した。右乳房は切除する必要がなかった。乳腺・甲状腺外科の担当医が左乳房の病理報告書を右乳房のものと誤認したことなどが原因。女性とは示談が成立し、担当医は退職しているという。

 同大病院によると、担当医は2017年9月、週1回勤務していた県内の別病院で女性の左乳房の組織検査を行い、乳がんが見つかった。担当医は同大病院を紹介し、2病院にまたがり単独で女性を診療。画像検査で右乳房にも陰影があったため組織検査を実施したが、結果は「悪性所見なし」だった。

 だが、担当医は検査結果を女性に説明する際、悪性所見があった左乳房の病理報告書を右乳房のものと思い込み、「右乳房も乳がんだった」と告知。病理報告書には部位が書いてあったが、確認していなかった。

 担当医はさらに、左乳房の病理標本を右乳房のものとして同大病院の病理部に提出。この結果、女性は左右両方の乳房が乳がんとの前提で同年12月に手術を受け、がんではなかった右乳房も切除された。

 手術摘出検体の病理検査で誤認が判明。同大病院は事例検討委員会を立ち上げ原因を検証し、患者と家族に謝罪した。担当医は、学会が認定する乳腺専門医の資格を持つベテランだった。聞き取りに「確認不足だった」などと釈明したという。

 同大病院は、担当医の確認不足と単独での診療が主な原因と分析。病理報告書の部位などを患者と一緒に確認するほか、診療が2病院にまたがる場合は別の医師が初診を担当するなどの対策を講じたとしている。

 県庁で記者会見した大塚将之副病院長は「患者と家族に多大な負担と心痛をかけ、心よりおわび申し上げる。事実を重く受け止め、再発防止に取り組んでいる」とした。

2021年10月30日 千葉日報

病院に侵入し薬盗んだ疑い 野田署、元理事長逮捕

2021-10-30 22:19:15 | 医療界
 野田署は28日、建造物侵入と窃盗の疑いで野田市中野台鹿島町、無職、八木禧徳容疑者(75)を逮捕した。

 逮捕容疑は9月21日午後1時半ごろ、野田市内の病院に侵入し、薬の保管場所から胃薬や安定剤などの薬3シート(時価計1410円相当)を盗んだ疑い。

 同署によると、容疑者は同病院の元理事長で、職員が「元理事長が勝手に薬を持っていってしまった」と110番通報した。「高血圧の症状があって、やわらげたかった」と容疑を認めている。

2021年10月29日 05:00 千葉日報

未処理の捜査書類など568点、11年間自宅に放置 横浜地検、事務官を減給「書類の整理が苦手だった」

2021-10-30 22:14:02 | 法曹界
 横浜地検は28日、捜査関係書類などを適切に処理せず自宅などに放置していたとして、検察事務官の50代男性を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分とした。

 地検によると、捜査関係書類など合計568点を2009年6月ごろから20年12月まで適切に処理せず、自宅や執務室に放置していた。処分や裁判結果に影響する書類はなかったが、持ち帰りが禁じられている事件関係者の個人情報を含むものも自宅に放置していた。廃棄や紛失、漏えいはなかったとしている。

 20年12月の全庁点検(年2回)で未処理の捜査関係書類などが見つかり、発覚。男性の自宅で段ボール入りの未処理書類が大量に確認された。男性は「忙しかった。書類の整理が苦手だった」と話しており、事実関係を認めているという。

 横浜地検の安藤浄人次席検事は「極めて遺憾。深刻に受け止め再発防止に努める」とコメントした。

2021年10月28日 神奈川新聞社

死刑求刑の元看護師「死んで償いたい」 点滴連続死

2021-10-22 21:59:03 | 医療界
横浜市の旧大口病院(現横浜はじめ病院・休診中)で平成28年、入院患者3人の点滴に消毒液を混入し中毒死させたとして、殺人罪などに問われた元看護師、久保木愛弓(あゆみ)被告(34)の裁判員裁判の公判が22日、横浜地裁(家令=かれい=和典裁判長)で開かれた。検察側は論告で「完全責任能力があったことは明らか」として死刑を求刑し、弁護側は無期懲役を求めて結審。判決は11月9日に言い渡される。

検察側は論告で「なすすべのない被害者を、苦痛とともに絶命に至らせた」などと犯行の残虐性を指摘。「(患者の)家族への対応をしなくてすむよう、自分の勤務時間外に死亡するようにした」との犯行動機について「社会的弱者である患者を守るべき立場にありながら、専ら自己の都合のみを考えた。酌量の余地はない」などと非難した。

一方、弁護側は最終弁論で、被告は犯行当時、心神耗弱状態だったと改めて主張。「無期懲役に処すのが相当」と訴えた。

この日は論告に先立ち、被害者参加制度に基づいて3人の被害者遺族の意見陳述も行われた。

2人目の被害者とされる西川惣蔵(そうぞう)さん=当時(88)=の長女は「私が大口病院に(父を)入院させたばかりに事件に巻き込まれてしまった」「極刑以外のどんな刑も考えられない」などと、声を詰まらせながら心情を述べた。別の遺族や代理人弁護士も、激しい憤りを口にした。

久保木被告はこの間、表情を変えることなく、遺族の方を見つめていた。

公判の最後には、久保木被告の最終意見陳述が行われた。被告は「身勝手な理由で大切な命を奪ってしまい、本当に申し訳ありません」と謝罪し、続けて「死んで償いたいと思います」と述べた。

起訴状によると、28年9月、入院患者の興津朝江さん=同(78)=と西川さん、八巻信雄さん=同(88)=の点滴内に、医療器具の消毒などに用いられる消毒液「ヂアミトール」を混入し中毒死させたほか、別の患者に投与予定の点滴袋5つに消毒液を混入し、殺害する準備をしたとしている。

2021年10月22日 産経新聞

20歳の現役慶応大生が実父を刺殺…家族殺人「戦慄の動機」

2021-10-15 22:01:37 | 慶応大学
慶應大学生には、昔も今もいわゆる「エリートお坊ちゃん」というイメージがつきまとう。特に付属からエスカレーター式に上がる生徒はそうだろう。

18年、そのエリート大学生が、自宅で父親を刺殺する事件を起こした。

彼はダンスサークルで活躍し、公認会計士を目指す20歳の大学生だった。人望もあり、事件後は友人や親族からの減刑を求める嘆願書が、50以上も寄せられるほどだった。

そんな彼に何があったのか。そこには彼が抱えていた心の病が深くかかわっていた――。

東京都内のマンションで、刈谷成之(事件当時20歳。以下、登場人物はすべて仮名)は長男として育った。生まれは97年、3歳下に弟が一人いた。

父親の正宗(同58歳)は慶應大学を卒業したエリートで、後に起業するだけあって人一倍仕事熱心だったようだ。多忙だったが、30代後半で生まれた長男ということもあって、成之を溺愛していた。

正宗の欠点の一つが酒癖の悪さだった。公判で妻が語ったところによれば、ストレスが溜まっている時は家の中で暴言を吐いたり、家族とぶつかったりすることが多々あったらしい。

それでも成之は家の外では友達とうまくやっていた。友人らに言わせれば、「マイペースだけど、明るくて人のことを考える性格」であり、「みんなの前でおどけてみせる人気者」だった。人付き合いも良かった。

成之は小学校の高学年から本格的に中学受験の勉強をスタートさせる。正宗も時間をつくっては勉強を教えたり、塾への送り迎えをしたりして協力した。努力は実り、難関の慶應義塾湘南藤沢中等部に合格。慶應大学出身だった正宗は、合格を心から喜んだそうだ。

◆学校では空手、外では英会話

中学入学後、成之は文武両道を絵に描いたような学生生活を送った。学校では空手部に所属して練習に打ち込む一方で、外では英会話教室に熱心に通った。また、ファッションにも興味を抱き、部屋をきれいにして、人と会う時はおしゃれに気をつかった。弟のことを大切にする一面もあり、誕生日にはプレゼントを贈っていた。

だが、思春期になると、父親の正宗とぶつかることが増えた。この頃の正宗は、起業して収入が不安定になったストレスから、酒を飲んで家族に悪態をつくことがしばしばだった。成之は、そんな父親に反発した。

母親は公判で次のようなことを話した。

「高校時代、夫と成之はよく衝突していました。夫は酔った勢いで子供たちに向かって『誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ』とか『俺の言うことを聞かなければ学費は払わないぞ』などと言っていました。反論を許さない性格だったので、成之が言い返すと胸ぐらをつかんで怒鳴ることもありました」

一度母親がケンカの仲裁に入ったところ、顔を殴られたことがあったという。酒が入ると、我を忘れるような一面があったのかもしれない。

そんな二人の関係が変わったのは、成之が高校2年の時だった。少し前から、成之は自分の部屋がほしいと訴えていたが、正宗に突っぱねられていた。ある日、二人は言い争いになり、正宗が成之を突き飛ばしたところ、逆に成之が父親を殴りつけた。

正宗はこれがショックだったらしい。数日後には「これからは成之の意志を尊重しよう」と言って自室を与えることにした。成之も認めてもらったと感じたのか、父親を「人生の先輩」として尊敬するようになった。

高校を卒業した成之は、慶應大学の経済学部へ進学することになった。入学前には、家族4人でハワイ旅行へ出かけ、門出を祝った。

大学入学後、成之はダンスサークルの活動に夢中になっていたが、正宗から将来に向けて資格を取った方がいいと助言され、公認会計士の資格取得を目指すことにした。2年生になると、勉強に集中するため、サークルを辞め資格習得のための予備校に通った。

中高時代からの友人は次のように述べる。

「中学2年から高3までずっと仲良くしていて、彼はおどけるのが上手な人気者でした。大学入学後は学部が別々になったんですが、しばらくしてから遊びに誘っても断られることが多くなりました。大学で本人に会ってもずっと下を向いていたので、どうしたのかなと心配していました」

◆「目つきが別人のように……」

勉強のことで頭がいっぱいで、周囲に目を配る余裕がなくなっていたのだろう。

2年生の6月、公認会計士に必要な日商簿記の試験があった。成之はここで勉強の成果を示そうとしたが、結果は不合格だった。エリート街道を進んできた彼にしてみれば、大きな挫折だったのだろう。この頃から、成之は言動に変調をきたすようになる。

公判で母親は次のように証言している。

「簿記の試験に落ちてから、成之は変りました。試験をあきらめると言って予備校を辞めてしまいました。それまではファッションに気をつかってコンビニへ行くにも着替えるほどだったのに、髪はボサボサで髭は伸び、家族とも必要最低限の会話しかせず、部屋に閉じこもっていました。私が一番気にかかったのは、目つきが別人のようになっていたことです」

成之は摂食障害のような症状も見せはじめた。突然夜中にどんぶり一杯の白米にマヨネーズやケチャップや醤油をかけて食べては、トイレに駆け込んで嘔吐することをくり返したのだ。

また、食事も、自分で「オムライスの達人になる」と言ってオムライスだけをつくって食べつづけるのだが、母親にしてみれば、それは到底オムライスと呼べる代物ではなかったそうだ。

奇行は他でも目立つようになる。トイレへ行く時も大音量でロックをかけつづけるくせに、リビングからテレビの音が聞こえるだけで「うるさい!」と怒鳴る。トイレのたびに、並べられた人形を必ず後ろ向きに置き換える。さらには、四六時中両手で口を押えるようになった。

母親はそんな成之を心配し、正宗に病院で診てもらった方がいいのではないかと相談した。正宗は答えた。

「成之は絶対に大丈夫。今は落ち込んでいるだけだ。きっと回復するから」

正宗は息子が精神を病んだとは認めたくなかったのかもしれない。母親もその言葉にすがるように「主人が言うなら」と安堵して病院へつれていくという話は立ち消えになった。

◆「空気が悪くなるだろ!」

年が明けて間もなく、成之は一人暮らしがしたいと言って、自分で見つけた物件を持ってきた。両親には、息子が心機一転したがっているように映った。

休日、両親は武蔵小杉にある物件を見に行った。大学からも近く、家賃も高額ではない。正宗も成之の変化に気づいていたので、生活環境を変えることに賛成し、「がんばれ」とつたえた。

だが、この2日後に事件が起こる。

その日の夕方、成之は最初に自宅に帰っていた。次に母親が帰宅した。成之は何も言わず、いつも通りオムライスを食べていた。

午後8時頃、高校生だった弟が部活の練習を終えて帰宅した。弟はけだるそうな様子だった。少し前に正宗から借りたゴルフ用のジャージをなくし、この日も正宗から「だらしない」「見つけないと許さない」などと言われており、顔を合わせるのが憂鬱だったのだ。

1時間ほどして、正宗が帰宅した。外でだいぶ酒を飲んだらしく、リビングに来るなり、ソファーで横になっている弟に悪態をつきはじめた。ジャージをなくした一件を批判したのだ。

予想していたことなので、弟は聞き流していたが、だんだんと正宗は怒りをエスカレートさせはじめた。母親はいつものことなので、黙って遠目から見守っていた。

だが、リビングの隣の部屋にいた成之は違ったらしい。音に過敏になっていたこともあり、いら立ちを募らせていた。やがて成之がドアを開けて正宗に怒鳴った。

「やめろよ! リビング全体の空気が悪くなるだろ!」

一瞬静まったが、すぐに正宗が言い返した。

「おまえだって家の空気を悪くしているだろ!」

夏に試験に落ちてから自室に引きこもり、奇行をくり返していることを指摘したのだ。成之は言葉を返されたことに戸惑ったようだった。

「俺は悪くない!」

そう叫び、成之は自室にもどっていった。

リビングではまたもや正宗の弟に対する罵声が響きだした。自室にいた成之はそれを聞いて興奮し、クローゼットからナイフを取り出して窓のカーテンを切りだした。

◆胸に広がる血のシミ

再び成之がドアを開けたのは、5分ほどしてからだ。彼はナイフを振り回して叫んだ。

「いい加減にしないと刺すぞ!」

正宗が驚いて「成之!」と恫喝した。その直後、成之は「死んじゃえ!」と叫んで正宗の左胸にナイフを突き立てた。正宗は動かなくなったと思ったら、ずるずると椅子から落ちていって床に仰向けに倒れ込んだ。

ソファーにいた弟があわてて駆けつけた。成之の手から、血だらけのナイフが落ちて転がる。正宗の胸にできた血のシミがみるみるうちに広がっていく。弟は近くにあった服を傷に押し当てて呼びかけたが、返事もできない様子だった。

母親はこの時の光景を次のように語る。

「主人は血を吐いていました。成之は傍で呆然と立ちすくんでいたように思います。私はその場で119番通報しました。動揺して『すぐ来てください!』『応急処置はどうすればいいんですか』とくり返していたら、次男は主人の胸を押さえたまま『お母さん、受話器を俺の耳に当てて』と言いました。私がそうすると、次男は電話越しに気道を確保するなど指示をもらっていました。その後、次男は『兄ちゃんも手伝って』と言って代わりに胸を押さえてもらってから、自分で心臓マッサージをしました」

救急車やパトカーが到着したのは、通報から約10分後のことだった。

正宗はすぐに救急車によって昭和大学病院に搬送されたが、午後11時29分、死亡が確認された。後日の死体解剖によって、深さ13cmに達した傷が肺動脈を切り、そこからあふれた血液が気道や肺に流れ込んだことによる窒息死だとされた。

これによって、成之は殺人罪で逮捕されることになった。

◆意味不明の証言

事件から1年あまりして、東京地裁で本件の公判が開かれた。

法廷に現れた成之の外見は、驚くくらいに変わり果てていた。事件直後にマスコミが流した美男子のそれではなく、黒の革ジャンにジーンズ、無精ひげを蓄え、長髪を雑に丸めて団子状にするという、ヒッピーのようないで立ちだった。

何より異様だったのが、手錠をつけられている時もずっと両手で口と鼻を覆い隠している点だった。まるで毒ガスを恐れるかのように、証言台に立つ時も、証言をする時も、ずっとそうやって眼だけをギョロギョロと動かしているのである。

さらに法廷での彼の証言は意味不明のものばかりだった。たとえば警察や検察に供述した殺害の動議は次のようなものだった。

・父が死にたくなったから殺した。

・強制的に結婚させられそうになったらからやった。

・僕の恋愛に干渉して自分の欲求を満たそうとしたが、できなかったので、弟に干渉した。

・俺に殺されたがっている。だから刺した。

・父は俺を利用して自殺しようとした。

・次の標的が弟に移ったので突発的に守った。

証人として出廷した精神科医は、彼を次のように診断した。

〈統合失調症〉

医師によれば、彼がずっと両手で口や鼻を押さえているのは、「心の不満が声になって漏れ出さないようにするため」だという。そういう強迫観念に駆られているのだ。

私はそれを聞き、妙に納得がいった。

殺された正宗も、母親も、次男も、試験に落ちてから成之の様子がおかしくなっていることに気がついていたが、まさか殺人事件を起こすほどではないと高をくくっていた。だが、彼の病状は、周りが思っていたよりはるかに悪化していた。

私は『近親殺人』という本で数々の家族間で起こる殺人事件を取材したが、同じようなことは少なからずある。家族だからこそ気づかない、あるいは深刻さから目をそらしたがる。それが病気の悪化を放置することになってしまうのだ。

裁判官は、次の判決を下した。

――懲役3年、執行猶予5年。

成之はどこまでその意味を理解しているのか、判決が下される間もじっと両手で口と鼻を押さえていた。

取材・文:石井光太
77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

2021年10月15日 FRIDAYデジタル