私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

9月の畑 (秋野菜初まき)

2017年08月30日 | 野菜つくり

 この夏は、畑の方の仕事は原則午前中だけをつらぬき通しました。作業中もよく人から声をかけられましたが「熱中症に気を付けてくださいよ!」でした。その人たちの手前畑で倒れる訳にはいけません。今年の夏は、カンカン照りの日が続くことはありませんでした。曇り空の日が多くて・・・、私の所では災害にいたる雨ではなかったですが雨が多くて、結果蒸し暑い夏でした。流れる汗で上半身は勿論、ズボンが腰のあたりまで汗で色が変わりました。
 例年は、ペットボトルを二本をもって出ていましたが、今夏は何故か一本で?すみました。休憩はこまめにとりましたが、「これ以上続けると倒れますよ!」と体が教えてくれました。盆が過ぎた頃から、畑の作業は大方草取りでした。畑は原則除草剤は使いません。雨が多かった分雑草の成長は旺盛で片ときも手を抜きませんでした。おかげと美しい畑の体面を保つことが出来ました。

 夏の果菜類は、総じて豊作でした。八月末現在で夏野菜は茄子とピーマンを残すのみで、畑は綺麗になって・・・秋の野菜の種蒔きを順次行っていきます。

                          

                         

 8月が終わる2~3日前から急に秋らしくなってきて、朝方が涼しく感じるようになりました。4時半から5時の間で早く起きて、担当の仕事は手早くこなして、遅くても6時には畑に出るようにしました。毎日という訳にはいきませんが、朝方の1時間から1時間半の畑仕事は快適です。去年の事を思うとちょっと早いですが、一日に一列二日かかって種蒔きをしました。晴天が続いて土が白く乾いており、水をたっぷりやってから蒔きました。二列に(大根・ほうれん草・小松菜)・(人参)です。畑が締まった感じになりました。

                     


今年のお盆

2017年08月26日 | 随想

 今年のお盆は、前年よりも美しい花を立てようと(特にほうずきを)頑張ってみましたが、私の技術未熟と天候の不順で、プロがつくり、売っている花のようにはいきませんでした。野菜作りが得手で、片手間の花作りだからと考えています。田舎では?、畑の隅など自宅で花作りをしてみえる方が多くて、私の花でも、まあ調和がとれていて恥ずかしくありません。家で作る分多くて14杯のお花を墓石と石仏に立てました。4年前に女房が脊椎の圧迫骨折で、歩くのが不自由になり(要支援2)私がお墓の担当になりましたから・・・。

 実は、10年余前郷土史(神と仏とその祭り)の編纂に携わり、町の14カ所のお墓を調べました。墓に石仏や墓石が造られるようになったのは、江戸時代中期以降で、平和と政治の安定で庶民に余裕が出てきたからだと思っています。私の所の墓も、地蔵菩薩像が元禄7年(1694・323年前)に、6体の六地蔵像が享保12年(1727・290年前)に、阿弥陀如来像が安永7年(1778・239年前)に建立されています。84年かかってです。江戸時代後期になると、墓石も立てられるようになりますが、小型で個人ごとになっています。目につくのは、童子・童女の墓石があり、150基ほどが無縁墓石として一ケ所に祀られています。
 ”〇〇家の墓”と現代風になったのは、近世になってからです。

 人は必ずこのよを去り、冥途へと旅立ちます。冥途には閻魔大王を中心に十王が控えており、その人は、現世での善業・悪業の深さに応じて裁かれて、地獄・極楽・修羅・餓鬼・畜生・人道など六動界を巡る「輪廻転生」を繰り返す」と信じられてきました。冥界の不安と恐怖に怯え、迷える人々を救い安らげるために建立されたのが、地蔵菩薩・六地蔵・阿弥陀如来像であることを知りました。

 郷土史編纂で他所の墓も複数回、私の所の墓は数回以上通ううちに、特に六地蔵が彫刻的にも素晴らしく、童顔で微笑みを浮かべていることに気づき、親しみさえ感じるようになりました。だから私は、お墓へ行くときも”お参り”という感覚より、”また来ましたよ!”と云った心情です。三百余年前の、厳しい時代のご先祖様の思いとは違って、私は「人は生まれて、やがて死ぬは、人の摂理だと」思うようになりました。だから不安やまして恐怖はありません。素直に従う気持ちです。

                    

 霊魂とは、肉体とは別に実体として存在すると考えられ、人間の生命や精神の源とされ人格的な存在とされるもののことである。一般には、個人の肉体及び精神活動をつかさどる人格的な実在で、霊魂は永遠不滅の存在を意味している。
  
  私は霊魂は心だと思っています。その霊魂は肉体の消滅と共に全て消えて無くなると考えています。そういう意味で霊魂は、永遠不滅ではないと思っています。但し心によってつくられた人格的なものは、子供や孫など(親交のある人)に寄って受け継がれることはあると信じています。だから、研鑽して美しい老後を送りたいと念じています。
 今年の盆は、25人の来客があり去年より4人ほど多くなったようです。私の兄弟7人と、子供4人とそれに連れ添いがあり、孫たちの結婚が人数を多くしているようで、我が家の唯一の特徴です。

 

 

 


7日のスナップ写真?

2017年08月12日 | 観察

 13日お盆のいりです。久方ぶりの快晴の朝を迎えました。午後からちょっと雲が出るようですが、明日も好天の予報が出ています。が、明後日、明々後日は雨の予報なっています。まだ安定した夏日和を期待できないようです。カンカン照りの続く例年の夏とは、ちょっと違った夏だと思っています。
 今日は、最高気温は35℃と報じていますが、夜中から朝にかけて爽やかで涼しい朝を迎えました。すでに昨日までに二組の来客を迎えましたが、盆初日は弟二人が来てくれるのが恒例になっています。その二時間ほど間にパソコンに向かいました。

 約一週間前の7日に撮っておいた写真を出してきました。7日は、台風5号が四国沖から和歌山県に上陸東海地方に進むコースが予報されていた日です。午前中晴れていていて畑にでましたが、午後から降ったり止んだりの雨模様の日でした。

 
                   

                     
 「あーもう5時前だ!寝過ぎたー」の朝でした。起きると必ず東に面した窓を開けますが、「朝焼け」が目に飛びこんできました。躊躇しませんでした。迷っていたら・・・、朝焼けは撮れません。目覚めが2分遅かったら撮れなかった映像です。美しいですが、感歎の声を上げるほどではないと思いました。考えてみると、最高の美には滅多に出会えるものではありません。しかし今後も挑戦していくつもりです。


        
                     

                    

                     
 西瓜の畑にキジが卵産みました。以前からキジが生息していることは解っていましたが、西瓜畑には初めてです。西瓜の葉っぱが繁っていたこと、羽の色が疑似色で長く気がつきませんでした。これも7日朝写真を撮りました。カメラを近づけても微動だしません。マバタキもしませんよ。真正面からカメラを近づけてフラッシュをたいたら飛び立ちましたが、威嚇する激しい羽ばたきでした。しかし親鳥は、巣から数メートル以上は離れませんでした。「ごめんね!」と早々に退きました。
 観察するつもりでしたが、三日後の朝には孵化して姿を消していました。キジの抱卵は25日ぐらいだそうです。

                    

 同じ7日に作業小屋で見つけました。早朝でまだ活動していない状態の「足長蜂」です。3年前女房が蜂に刺されて救急車で運ばれました。「こんど、刺されたら死にますよ!」と宣言されていましたから・・・・・?


8月の畑 (里芋とゴーヤ)

2017年08月10日 | 野菜つくり

 台風5号が紀伊半島に上陸し、和歌山県から「三重県へと北東に進み・・・、8日未明には、岐阜県美濃加茂市に到達・・・」7日夕方には、テレビが予報を伝えていました。とすると、私の所は台風の直撃を受けることになると、判断して雨戸だけを閉めることにしました。深夜2時ごろトイレに起きた時に、「すごく静かだな!」の感じで北の窓を開けてみると、雨は降っていないようで木の葉っぱが揺らいでいる程度で・・・、あまり考えなくて寝てしまいました。
 5時起床でした。上空はもう明るくなっていて台風の空ではありません。とりあえず雨戸を開けました。朝の担当の仕事を済まして部屋の落ち着くと、台風の状況を確認しました。台風は三重県を出る頃になると北にぶれて、岐阜と福井の県境あたりを北上して富山県に入ろうとしていました。深夜の静けさと、今朝の空模様が納得でき・・・良かった!の思いでした。

 朝食をすますと早々に畑に出ました。4~5メートルの風だけが8日は一日中吹いてました。爽やかで且つ8日だけは、一日中涼しかったです。当然ですが、クーラーを使う事はありませんでした。写真を撮ってきましたが、その爽やかさを感じて頂けたら有り難いです。畑の野菜のなかで「私達は、まだ一回も撮ってもらってない・・・」の声を聞いた思いで・・・、里芋とゴーヤを撮りました。

                       
 里芋は、秋から冬、春にかけての貴重な野菜です。今年は作付を少なくして100株植えました。風速30メートルの台風に襲われると、葉っぱが裂けたり飛んだりして無残な姿になりますが、無傷ですみました。

                        

                        
 上2枚のゴーヤも無傷ですみました。以前は女房担当でしたが、もう3年作っていませんでした。次男が「ゴーヤが好きだから作ってくれ!」と頼まれて6株植えました。食べてみると美味しくて毎日のように我が家でも出てきます。半円形のトンネル栽培にしています。

             
 樹勢が旺盛で・・・、葉っぱと果実が同色の緑で収獲に「目こぼし」があります。果実が熟れすぎるとこんな色になります。もう食べれません。種子は真紅の赤になり捨てていました。沖縄では、昔?子供たちは食べていたようです。今では鳥たちが食べる「桑の実や槇の実」を子供の頃に食べていたことを思いだしました。

 


柿の摘果

2017年08月06日 | 野菜つくり

 10本近くあった柿の木を4年前に3本残して切り倒してしまいました。その原因ですが、若い世帯が果物に対する嗜好が高級化していることです。我が家でも自家取りした柿は、ほとんど食べません?食べたとしてもほんの僅かです。私達年寄りが、昔の郷愁でいただいても大量消費にはつながりません。
 売れるほどの良品を作れば別ですが、畑の隅に植えておいて・・・、整枝程度の剪定でだけで放任栽培です。だから、柿の習性で「隔年結果」豊作と不作が隔年にきて収穫が不安定で、時代に添わなくなった柿とも言えます。それに高い所での作業が危険などの事情も大きな原因でした。だったら、全部切ってしまえば!と思わぬ訳ではないですが、”淋しい・もったいない”思いで3本残しました。樹高も思い切って低く切り詰めて・・・、安全第一でやってきましたが、来年からはバトンタッチいや息子の判断に任せようと思っています。

 「隔年結果」の習性で、去年は不作、今年は豊作と云うより”成り過ぎ”と云った状態です。近所の柿もそんなかんじです。皆さんの意見を聞くと、ヘタ虫の予防の為に薬剤散布(2回)する程度で、摘蕾・摘果などはしない放任自然栽培のようです。
 柿には本来「生理落果」という現象があり、雄花を持たない品種が多いようで(富有や次郎柿)不受精により、果実が大きくなってからの、自然落果があることをしりました。雄花が咲く品種の混植もあるそうですが、今回は、成り過ぎた果実の3割摘果、3割自然落果、3割を生育させる・・・(推測)、摘果作業をしました。さて結果はどうなるか・・・?


               
        冨有柿です。雌花がほとんど結実している感覚で果実が着いています。3割程度を摘果してやりました。
    

                 
         冨有で約170個ほどを摘果しました。

                 
          冨士柿です。やく70個ほど摘果しました。

 勉強したというより、上記した感覚で摘果しました。「うまくいくと良いですが・・」と思っています。又報告します。