見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ゆるくて、かわいい決定版/日本の素朴絵(三井記念美術館)

2019-07-09 22:27:59 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 特別展『日本の素朴絵-ゆるい、かわいい、たのしい美術-』(2019年7月6日~9月1日)

 この夏、一番楽しみにしていた展覧会が始まった。本展では、これまで本格的に取り上げられることのなかった、様々な時代・形式の日本の素朴絵を紹介し、名人の技巧や由緒ある伝来に唸るだけではない、新しい美術の楽しみ方を提供する。監修は、長年このテーマを追いかけている矢島新氏。「へそまがり」の金子信久氏と並んで、今年は「新しい美術の楽しみ方」がムーブメントになるといいなと思う。

 展示の冒頭は「立体に見る素朴」で、いきなり期待の斜め上からの衝撃をくらう。『埴輪(猪を抱える漁師)』は、逆さに抱えられた小さな猪に笑った。『墨書人面土器』は、京都市考古資料館で見た覚えがあったが、これを「素朴絵」と捉えるセンスに感心した。丸顔で眉の太い『獅子・狛犬』(和歌山・河根丹生神社)はがきデカっぽく、目と口の大きい『狛犬(阿形)』(愛知県陶磁美術館)はONE PIECEっぽく、とぼけた『狛犬(吽形)』(同)はしりあがり寿っぽいなど、マンガ家の作画にあてはめてみるのも楽しい。

 絵画は、冒頭の『絵因果経』(奈良時代)はともかくとして、『厳島明神縁起絵巻』(個人蔵)との再会に驚く。めまいのするようなストーリーの激しさと絵柄の素朴さ。今年の正月、京都国立博物館で見て強い印象を受けたものだ。色使いのきれいな『長谷寺縁起絵巻』(出光美術館)はむかしから好きな作品。『かるかや』(サントリー美術館)『つきしま絵巻』(日本民藝館)が順当に並んでいて、よしよし、という気分になる。日本民藝館の『うらしま絵巻』がないと思ったら、中央の展示ケースに入っていた。『おようのあま絵巻』(サントリー美術館)は、絵よりも物語で笑う。西尾市岩瀬文庫の『かみ代物語絵巻』は、束帯姿の男が、胴の短すぎる龍のような怪獣に跨った、大好きな場面。ああ~『鼠草子絵巻』(サントリー美術館)もあるし、実にすばらしい、遺漏のないセレクションである。

 「庶民の素朴絵」である参詣曼荼羅としては、三井文庫の『伊勢参詣曼荼羅』2幅が、動きがあって軽やかで好き。『平家物語屏風』6曲1隻(室町時代、奈良・法輪寺)は初めて見た。つきしま物語ふうのコロコロした人物で平家物語の名場面を数々描いたもの。鵺退治や宇治橋合戦らしい図柄は見つけた。同じ作風の『聖徳太子絵伝屏風』6曲1隻(8/6-展示)と対になっているのも珍しい。日本民藝館の『曽我物語屏風』も出ていた。大津絵も少々。

 「素朴な異界」には地獄絵の数々。滋賀・宝幢院の『地蔵十王六道図』は、矢島新先生の著書『かわいい仏像、たのしい地獄絵』でも紹介されていたもの。先行作例からの影響がほとんど認められず、謎の多い作品だという。ヘンな生き物がたくさんいる。獄卒も亡者もどこか澄まして恬淡とした表情なのが面白い。たぶん日本で一番ヘンな『十王図屏風』(日本民藝館)ももちろん出ていた。画面の小さい作品なのだな。

 うつろ舟の『漂流記集』(西尾市岩瀬文庫)もこのセクションに出ていた。江戸時代の幻獣目撃資料である『神社姫』(姫には見えない、オヤジ顔の怪物)は、湯本豪一記念日本妖怪博物館(広島県三次市)所蔵だそうだ。この博物館、早く行ってみたい。

 さて趣きを変えて「知識人の素朴絵」には、白隠、仙厓、蕪村、琳派など。光琳の『竹虎図』(京博のトラりん)が来ていたのも嬉しかった。最後に木喰仏、円空仏に混じって、田野の農夫のような顔の薬師如来坐像(兵庫・満願寺、10世紀)が異彩を放っていた。展示替えは多くないようだが、今年はこの展覧会のために同館の「ミュージアムパスポート」を購入してあるので、何度でも行ってみるつもり。敢えていうと、「妖怪大図鑑」的な、ゆるい妖怪絵をもう少し見たかったのだが、矢島先生の琴線にはあまり触れないのかしら。

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踊る、競う、愉しむ/遊びの流儀(サントリー美術館)

2019-07-08 22:23:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 サントリー芸術財団50周年『遊びの流儀 遊楽図の系譜』(2019年6月26日~8月18日)

 美術のテーマとなった「遊び」に着目し、双六やカルタ、舞踊やファッションなど、男女が熱中した楽しみごとの変遷をながめ、特に近世初期の「遊楽図」における屈指の名品の数々を展観する。導入部には梁塵秘抄の有名な一節「遊びをせんとや生まれけむ」が掲げられ、蹴鞠の鞠が高く虚空に浮かんでいる。展示ケースの中には、鞠挟(まりばさみ)に据え付けられた蹴鞠。かと思えば、瀟洒な草花蒔絵双六盤(江戸時代)。本展は、遊楽の様子を描いた絵画・美術作品と、遊具そのものを並べて見られるところに醍醐味がある。小さな雀小弓(徳川美術館)には遊んだ跡がたくさんあった。永青文庫のレアな貴重品・三人将棋盤(漢代以降)も出ていた。

 絵画も初めて見るものがけっこう多かった。山口蓬春記念館所蔵の『十二ヶ月風俗図』(桃山時代)は、3月の鶏合、5月の印地打ち(と菖蒲葺き・更衣)など、まだ戦国の遺風を感じさせる。写真で見た12月の雪遊びは、ロールケーキみたいな雪玉をつくっていた。根津美術館の中国絵画『三星囲碁図』(元代)も記憶になかった。解説に登場人物の行為が「意味深」だと書かれていて、逆にどのへんが意味深?と考えてしまった。

 さて遊楽図屏風(特に邸内遊楽図)の系譜は、サントリー美術館の得意分野のひとつだと思うが、新しい発見がたくさんあって楽しかった。『婦女遊楽図屏風』は、ほとんどの登場人物が女性らしいのだが(例外的に野卑な下郎が2人?)、女性どうしでしっとり睦みあっている姿もあって、ちょっと百合っぽい。『邸内遊楽図屏風』は妓楼で戯れる男女で、左隻の端には混浴らしい湯殿も描かれる。大胆に足の腿を見せている(ように見える)女性も。

 この時期に描かれた輪踊りには独特の陶酔感があって好きだ。関節が溶けてしまったような柔らかな姿態。頭を低くして、顔を隠して踊り続ける男女が多い。

 逸翁美術館所蔵の『三十三間堂通矢図屏風』は六曲屏風に真一文字に三十三間堂を描く(気のせいか、三十五間ある?)。お堂の縁側の左端で矢を放つ人の姿。見物人の視線を追うと、的は画面の右に見切れているようだ。『祇園祭礼図屏風』や『賀茂競馬図屏風』は、実際の(現代の)お祭りの記憶がよみがえってきて、大好き。

 後半、階段を下りたスペースでは、双六・カルタに注目。西洋双六すなわちバックギャモンを遊ぶために作られた『清水・住吉図蒔絵螺鈿西洋双六盤』は、本展の一押し資料のひとつ。この内側の模様が、展覧会入口のバナーに使われているのだが、はじめ何だか全然分からなかった。伝・狩野山楽筆『南蛮屏風』はよく出るものだが、右隻の港に入って来る帆船の上では、西洋人たちが日本風の双六に興じている。図録に当該箇所の拡大写真が収録されており、彼らの表情の真剣さが分かって楽しい。

 囲碁・将棋・双六を「三面」と呼び、近世には婚礼調度にもなったというのは知らなかった。ということは、上流階級の花嫁は、当然、これらをたしなんだのだろうな。双六は、江戸時代後半から絵双六となって独自の発展を遂げ、ポルトガル由来のカルタからは、百人一首かるたやいろはかるたが生まれる。

 最後のテーマは舞踊とファッション。サントリー美術館の『舞踊図』は3面ずつ展示。そのほか前期には個人蔵の、後期には京都市所蔵の類似作品も展示される。奈良県立博物館の『踊り絵巻』は少ない色彩と素朴なタッチがかわいい。展示替え後も見たい。

 最後の最後、出口の前のパネルには、サントリー美術館の『誰が袖屏風』から取った、無造作に駒の散らばる双六盤の図像が使われていた。まるで「双六が終わるとき」を暗示しているみたいな、粋な終わり方。しかし大和文華館の『婦女遊楽図屏風(松浦屏風)』は後半(7/31-)展示なのか。これはやはり、もう一回来ないわけにはいかないだろう。

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色とかたちの国際性/唐三彩(出光美術館)

2019-07-07 21:32:52 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 『唐三彩-シルクロードの至宝』(2019年6月22日~8月25日)

 コレクション展だし、たぶん見たことのあるものばかりだろうから、あまり期待していなかった。そうしたら、意外と目新しい展示品が多くて面白かった。唐三彩は、有力貴族の墳墓に埋納する陶器(明器)の装飾として有名だが、会場では、まず三彩以前の明器を紹介する。後漢時代の褐釉犬、緑褐釉の馬と御者、隋時代の褐釉緑彩の牛車と御者、緑釉騎駝人物など、生気にあふれた素朴な造形がとても面白い。

 そして唐三彩の登場。女子俑はどれもおしゃれで愛らしい。肩にストール、ウェスト位置の高いスカート、高く結い上げた髪。唐代のファッションは、ほかの時代と比べてどこか異質な感じがする。男装の女子俑も多い。一段低くなったスペースの展示ケースに騎馬人物の三彩俑が並んでいたが、スカート姿の女子が三体。髪型は頭(双髷)なのに男性ふうの長いコート姿の女子もいた。

 唐三彩の器には、シルクロードを通してもたらされた斬新な器形や文様が大きな影響を与えている。ということで、イランの銀製の水注(5-7世紀)や東地中海地域のガラスの水注と唐三彩の水注が並べてある。西アジアにリュトンという角状の盃があることは知っていたが、唐代の『緑褐釉獣首飾八角盃』は初めて知った。だいぶ原型が崩れているがかわいい。並んでいたトルコの『彩文獅子頭付リュトン』もカワウソみたいだったけど。

 唐三彩は主に長安、洛陽周辺でつくられており、地方での作例は少ないそうだ。中国文化の地域多様性をあらためて認識する。私は、緑釉・褐釉を自然な流れに任せて、白釉で斑点を散らすスタイルの三彩が好きだが、緑釉・褐釉で塗り固めたような三彩合子、三彩薫炉もきれいだと思った。ミニチュア明器のセクションに展示されていた三彩猿笛も面白かった。復元品を売っていたら必ず買う。

 唐王朝の衰退後、契丹族の遼では遼三彩が流行した。ただし唐三彩との影響関係は明らかでないそうだ。驚いたのは、三彩人魚形水柱。見たことのない造形で、確かに下半身が魚のかたちをしている。背中に取っ手と水の注入口があり、胸元の鳳凰の嘴が注ぎ口になっていると解説にあった。イランにもペルシア三彩と呼ばれる陶器があるということだが、三彩の概念をどこまで広げていいのか、ちょっと悩む。

 さらに後世の「三彩スタイル」として、金代の三彩、清代の景徳鎮窯あるいは広東窯系の三彩皿などを紹介。日本の源内焼、長与焼(長崎県)も。古九谷は入らないんだろうか。色味は似てると思うのに。

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東博常設展・奈良大和四寺のみほとけ他

2019-07-06 23:48:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・東洋館(アジアギャラリー)

 先週は週の半ばに少し大きな仕事があって、その準備で生活リズムが崩れた影響を引きずって、全くブログが書けなかった。今週末は、久しぶりに何も宿題がなくて、のびのびしている。それで、2ヶ月ぶりで東京国立博物館に行ってみた。5月に「プレミアムパス」が切れてから更新していなかったのだ。以前の「パスポート」ほどお得感がないので購入をためらい、結果、常設展への足が遠のいてしまう。これって私だけだろうか。

 まず東洋館へ。最近は5階の「朝鮮時代の美術」で朝鮮の書画をチェックすることにしている。すると、美麗な仏画が5点出ていた。展示順とは逆に、最初に目に入ったのは『集神図軸』(朝鮮・17世紀)。横長の大きな画幅に、30人(?)くらいの神仏が密集している。円光背を背負った二仏を中心に、武神、文神、女神など。人間でなく龍(?)の顔をした神も混じっている。よく使われている彩色は緑と赤で、華やかで親しみやすい画風。その隣りに小さな『阿弥陀三尊図軸』(朝鮮・16~17世紀)。右手を前方へ差し伸べているのが朝鮮仏画らしい。「小倉コレクション保存会寄贈」と注記があって、知らなかったが、朝鮮で活動した実業家・小倉武之助(1870-1964)の旧蔵らしい。

 その隣り『水月観音図軸』(高麗・14世紀)は「個人蔵」とあった。背景は大きく劣化・欠損しているが、幸い水月観音の姿はよく残っていた。足元で手を合わせる小さな童子がかわいい。『阿弥陀三尊図軸』(高麗・13~14世紀)はやや横向きに並んだ三尊。長い右手を差し出し、視線を落とした阿弥陀仏の表情がやさしい。最後の『地蔵十王図軸』(高麗・14世紀)は山形・華厳院所蔵とのこと。どこだろう? 山寺(立石寺)に華厳院という塔頭(?)があるらしいのだがこれだろうか。ひときわ大きな被帽地蔵菩薩(高麗仏画らしい)。そのまわりを多数の天王、天女が囲む。解説に「道明和尚が描かれている」とあったが、よく分からなかった。画面の下のほうにはやや小さい姿の童子、判官など。基本の色彩は緑と赤だが、経年劣化のせいか全体にやわらかな色調になっている。なお、道明和尚については、以下の記事を見つけた。

参考:アジアの民間信仰と道教(二階堂善弘研究室)

 「地蔵菩薩の違い(日中仏教相違点2)」のページに直に飛んだのだが、あ、二階堂先生のホームページだとすぐに分かった。そうか、地蔵菩薩はもと新羅の王子さまなんだな。これら仏画は7/7までの展示だそうで、見ることができてラッキーだった。7/9からは文人好みの墨竹・山水図等に展示替え。

 それから中国の書画へ。絵画は『墨のきらめき―絖と金䇳に描かれた水墨画』(2019年6月25日~8月4日)。特に著名な画家の作品はないが、清代の墨画山水図をたくさん見ることができて嬉しかった。絖という材質は、いま描かれたばかりのように墨の美しさを引き立てると思った。書跡は『清時代前期の書』(2019年6月18日~7月28日)で、順治帝の「松竹」、康熙帝の「龍飛鳳舞」の楷書が初々しくてよい。康熙帝は米芾の臨書も出ていた。勉強家だなあ。朱耷(八大山人)の書もあり。熊大彭という人の王羲之の臨書は、原典にとらわれないところがよかった。最後にピンク色の華やかな料紙に書かれた乾隆帝の書。いろいろ困った皇帝だが、このひとがいなかったら清の歴史は面白くないものなあ。中国人の親子連れグループがいて、小学生くらいの男子たちが「カンシー」「チェンロン」と話しているのが聞こえた。

■本館11室 特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』(2019年6月18日~9月23日)

 どこでやっているのかと思ったら、いつもの仏像展示室(11室)がそのままこの会場になっていた。入口を入るとすぐ目に飛び込んでくる、一段高い奥の舞台(展示台)に室生寺の十一面観音菩薩立像と地蔵菩薩立像が並んでいて、ちょっと息を呑む。本企画は、奈良県北東部に所在する岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院の四寺(いずれも7〜8世紀に創建された古刹)に伝わる仏像・文物で構成されたもの。

 岡寺の釈迦涅槃像(寝釈迦)や義淵僧正坐像を見つけて、おや、あなたもおいででしたか、と懐かしく思う。短パンTシャツ姿の若い男性(韓国人?)がなぜか義淵僧正に向かって何度も手を合わせているのを見た。説明不要の老人の威厳を感じたのだろうか。長谷寺の赤精童子(雨宝童子)立像と難陀龍王立像には、大阪あべのハルカスの長谷寺名宝展でもお会いした。難陀龍王は、やんちゃな龍を頭に載せて、相変わらず困ったような顔をしていた。

 室生寺の釈迦如来坐像は私の大好きな仏像のひとつ。お会いできると思っていなかったので大変驚いた。横顔のりりしさを確認してひとり満足する。安倍文殊院は、仏像は来ていなくて、文殊菩薩像像内納入品(仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等)だけが展示されていた。実は安倍文殊院には拝観したことがないのである。文殊騎獅像の写真を見ながら、一度行ってみなくてはと思った。

 そして室生寺の十一面観音菩薩立像と地蔵菩薩立像。明るいところで見るせいか、板光背が記憶よりずっときれいだった。十一面観音の、若々しく可憐なのに堂々とした趣き。9月末まで、いつでもここ東博で会えるのかと思うと幸せである。足元に慶派の十二神将立像(巳神・酉神)も来ているのだが、十一面観音に見とれてしまって、しばらく気づかなかった。

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