見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

東博常設展・奈良大和四寺のみほとけ他

2019-07-06 23:48:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・東洋館(アジアギャラリー)

 先週は週の半ばに少し大きな仕事があって、その準備で生活リズムが崩れた影響を引きずって、全くブログが書けなかった。今週末は、久しぶりに何も宿題がなくて、のびのびしている。それで、2ヶ月ぶりで東京国立博物館に行ってみた。5月に「プレミアムパス」が切れてから更新していなかったのだ。以前の「パスポート」ほどお得感がないので購入をためらい、結果、常設展への足が遠のいてしまう。これって私だけだろうか。

 まず東洋館へ。最近は5階の「朝鮮時代の美術」で朝鮮の書画をチェックすることにしている。すると、美麗な仏画が5点出ていた。展示順とは逆に、最初に目に入ったのは『集神図軸』(朝鮮・17世紀)。横長の大きな画幅に、30人(?)くらいの神仏が密集している。円光背を背負った二仏を中心に、武神、文神、女神など。人間でなく龍(?)の顔をした神も混じっている。よく使われている彩色は緑と赤で、華やかで親しみやすい画風。その隣りに小さな『阿弥陀三尊図軸』(朝鮮・16~17世紀)。右手を前方へ差し伸べているのが朝鮮仏画らしい。「小倉コレクション保存会寄贈」と注記があって、知らなかったが、朝鮮で活動した実業家・小倉武之助(1870-1964)の旧蔵らしい。

 その隣り『水月観音図軸』(高麗・14世紀)は「個人蔵」とあった。背景は大きく劣化・欠損しているが、幸い水月観音の姿はよく残っていた。足元で手を合わせる小さな童子がかわいい。『阿弥陀三尊図軸』(高麗・13~14世紀)はやや横向きに並んだ三尊。長い右手を差し出し、視線を落とした阿弥陀仏の表情がやさしい。最後の『地蔵十王図軸』(高麗・14世紀)は山形・華厳院所蔵とのこと。どこだろう? 山寺(立石寺)に華厳院という塔頭(?)があるらしいのだがこれだろうか。ひときわ大きな被帽地蔵菩薩(高麗仏画らしい)。そのまわりを多数の天王、天女が囲む。解説に「道明和尚が描かれている」とあったが、よく分からなかった。画面の下のほうにはやや小さい姿の童子、判官など。基本の色彩は緑と赤だが、経年劣化のせいか全体にやわらかな色調になっている。なお、道明和尚については、以下の記事を見つけた。

参考:アジアの民間信仰と道教(二階堂善弘研究室)

 「地蔵菩薩の違い(日中仏教相違点2)」のページに直に飛んだのだが、あ、二階堂先生のホームページだとすぐに分かった。そうか、地蔵菩薩はもと新羅の王子さまなんだな。これら仏画は7/7までの展示だそうで、見ることができてラッキーだった。7/9からは文人好みの墨竹・山水図等に展示替え。

 それから中国の書画へ。絵画は『墨のきらめき―絖と金䇳に描かれた水墨画』(2019年6月25日~8月4日)。特に著名な画家の作品はないが、清代の墨画山水図をたくさん見ることができて嬉しかった。絖という材質は、いま描かれたばかりのように墨の美しさを引き立てると思った。書跡は『清時代前期の書』(2019年6月18日~7月28日)で、順治帝の「松竹」、康熙帝の「龍飛鳳舞」の楷書が初々しくてよい。康熙帝は米芾の臨書も出ていた。勉強家だなあ。朱耷(八大山人)の書もあり。熊大彭という人の王羲之の臨書は、原典にとらわれないところがよかった。最後にピンク色の華やかな料紙に書かれた乾隆帝の書。いろいろ困った皇帝だが、このひとがいなかったら清の歴史は面白くないものなあ。中国人の親子連れグループがいて、小学生くらいの男子たちが「カンシー」「チェンロン」と話しているのが聞こえた。

■本館11室 特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』(2019年6月18日~9月23日)

 どこでやっているのかと思ったら、いつもの仏像展示室(11室)がそのままこの会場になっていた。入口を入るとすぐ目に飛び込んでくる、一段高い奥の舞台(展示台)に室生寺の十一面観音菩薩立像と地蔵菩薩立像が並んでいて、ちょっと息を呑む。本企画は、奈良県北東部に所在する岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院の四寺(いずれも7〜8世紀に創建された古刹)に伝わる仏像・文物で構成されたもの。

 岡寺の釈迦涅槃像(寝釈迦)や義淵僧正坐像を見つけて、おや、あなたもおいででしたか、と懐かしく思う。短パンTシャツ姿の若い男性(韓国人?)がなぜか義淵僧正に向かって何度も手を合わせているのを見た。説明不要の老人の威厳を感じたのだろうか。長谷寺の赤精童子(雨宝童子)立像と難陀龍王立像には、大阪あべのハルカスの長谷寺名宝展でもお会いした。難陀龍王は、やんちゃな龍を頭に載せて、相変わらず困ったような顔をしていた。

 室生寺の釈迦如来坐像は私の大好きな仏像のひとつ。お会いできると思っていなかったので大変驚いた。横顔のりりしさを確認してひとり満足する。安倍文殊院は、仏像は来ていなくて、文殊菩薩像像内納入品(仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等)だけが展示されていた。実は安倍文殊院には拝観したことがないのである。文殊騎獅像の写真を見ながら、一度行ってみなくてはと思った。

 そして室生寺の十一面観音菩薩立像と地蔵菩薩立像。明るいところで見るせいか、板光背が記憶よりずっときれいだった。十一面観音の、若々しく可憐なのに堂々とした趣き。9月末まで、いつでもここ東博で会えるのかと思うと幸せである。足元に慶派の十二神将立像(巳神・酉神)も来ているのだが、十一面観音に見とれてしまって、しばらく気づかなかった。

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