見もの・読みもの日記

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父子の確執と和解/近藤重蔵と近藤富蔵(谷本晃久)

2014-06-10 22:46:01 | 読んだもの(書籍)
○谷本晃久『近藤重蔵と近藤富蔵:寛政改革の光と影』(日本史リブレット人058) 山川出版社 2014.4

 近藤重蔵(1771-1829)とその息子、近藤富蔵(1805-1887)について、要領よくまとまった1冊である。近藤重蔵(1771-1829)の名前は、はじめに北方探検家として覚えた。それから国立公文書館の展示で、紅葉山文庫の書物奉行をつとめた時期があることを知って、びっくりすると同時に妙な親近感を覚え、逢坂剛の小説『重蔵始末』を1巻だけだが、読んでみたりもした。

 しかし、その息子・富蔵の墓所が八丈島にあることは知らなかった。富蔵は重蔵の最初の妻(正確には側室、のちに離縁)梅の子として誕生するが、自分は歓迎されない出生だったという思いが、父子の確執の原因となる。たび重なる富蔵の出奔、勘当、一度は勘気を解き、富蔵を近藤家の若殿として迎え入れるが、鎗ヶ崎(いまの渋谷区)の抱屋敷で刃傷沙汰を引き起こす。その結果、父の重蔵は近江国高島郡に護送されて、獄舎で生涯を終えた。

 富蔵は八丈島に流罪となったが、配流先で『八丈実記』69巻という膨大な地誌書を著すことになる。本書の記述は、学術書らしく淡々としているが、あれほど嫌っていた父親の霊魂が、乗り移ったかのごとくで、非常に面白い。いろいろ小説的想像力を掻き立てられる。

 富蔵は、明治13年(1880)赦免を申しわたされて島を出たが、上京、そして父の墓参ののち、明治15年に再び八丈島に戻っていった。え、なんで?と思うのだが、現実の人間の行動というのは、小説的想像力を超えているように思う。そして、小さな観音堂の堂守となって、自著『八丈実記』の増補改訂を続けつつ、生涯を終える。

 本書の記すところによれば、父・近藤重蔵は、日露戦争による樺太領有を背景に「北進の先駆者」として政府に顕彰され、今日も「北方領土」領有の根拠として(エトロフ島探検)注目され続けている。一方、息子の富蔵は(一般にはあまり知られていないが)八丈島民有志による顕彰事業が繰り返されているという。死後の評価と顕彰、記憶のされかたも対照的な父と息子。ふたりは「和解」したのだろうか、「確執」は続いているのだろうかと、しばらく考えをめぐらせてみる。

 最後に、いつか行く旅のためのメモ。八丈島に行く機会は当分ないだろう。重蔵が蝦夷地第一次踏査の帰路に建立した義経神社(沙流郡平取町)はちょっと行ってみたいが、公共交通機関で行けるのかな…。結局、近江高島の近藤重蔵の墓所が、いちばん行きやすそうである。

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