■多田神社(兵庫県川西市)
何度でも書くけど、私は今年の大河ドラマ『平清盛』を面白く見ている。面白いので、いろいろ調べると、知らなかったことを学べる。清和源氏発祥の地に源満仲(多田満仲→坊っちゃんの先祖)が建立したというこの神社も、ドラマの縁で、最近発見したもの。神戸に行く機会があったので、仕事の翌日(土曜日)、寄っていくことにした。
能勢電鉄の多田駅下車。改札を出て、住宅街の中を道なりに歩く。駅から先は何も道標がないので、少し不安になり始めた頃、堅固な石組みに囲われた高台の森が右手に現れた。急傾斜の石段の正面には、朱塗りの欄干をもつコンクリート製の橋。豊富な水流が、岩床にぶつかって激しく渦巻いている。あとで地図を見て「猪名川」だと知った。歌枕じゃなかったかしら。
石段を上がり、三門、随神門を潜り、こけら葺き屋根の美しい拝殿に進む。すごく気持ちがいい。たまたまかも知れないが、境内が掃き清められた直後で、白砂の上に木の葉一枚落ちていなかったのだ。
授与所でご朱印をいただいたが、詰めていたのは巫女さんではなく、全員(3、4人)浅黄の袴の男性神職だった。なんだか清和源氏発祥の地に似つかわしい感じがした。
■壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)
翌日(日曜日)は、さらに行きたいところがあったので、大きな荷物をどこに預ければ効率的に動けるか、綿密に計画を練る。結局、朝、大阪(梅田)駅に荷物を預け、地下鉄→近鉄南大阪線を乗り継いで、上ノ太子駅下車。電車の本数はそれなりにあるが、下りてみると、見事に何もない駅だった。いや、家はあるのだが、ほとんど人が歩いていない。
それでも要所に「歴史街道」の道標があるのに助けられ、やがて目的地の壺井八幡宮が見えてきた(田んぼの先に石造りの鳥居、右手の森になった高台に石段あり)。多田満仲の四男・源頼信公が河内守に任ぜられ、この地に居住して、河内源氏の祖となった。高台は香呂峰と呼ばれ、清水八幡宮の神霊を遷し祭ったのが、壺井八幡宮である。
現在は、源頼信・源頼義・源義家を祀る壺井権現社が並んでいる。この日、権現社の社殿前には茅ノ輪くぐりのしつらえがされていたが、両社とも無人で、ご朱印はいただけなかった。
壺井八幡宮から南下すると、左側に通法寺(河内源氏の菩提寺)跡、源氏館跡の碑、源氏三代の墓所などがあるのだが、これは分かりにくい。私は、だいぶ行き過ぎてから戻ることになった。むしろ南から北上してくるほうが「歴史街道」の道標を見つけやすいのではないかと思う。↓頼義の墓は平地にあるが、
↓頼信・義家の墓は竹やぶを登らなければならないため、遥拝で勘弁してもらうことにする。仕事のあとの寄り道のため、足元がローヒールとはいえ、パンプスだったので自重。(すいません)
もと来た道を戻って、上ノ太子→大阪(梅田)で荷物をピックアップし、源平史跡めぐりは京都編に続く。向かうは「源氏三神社」の最後の一社、六孫王神社である。
何度でも書くけど、私は今年の大河ドラマ『平清盛』を面白く見ている。面白いので、いろいろ調べると、知らなかったことを学べる。清和源氏発祥の地に源満仲(多田満仲→坊っちゃんの先祖)が建立したというこの神社も、ドラマの縁で、最近発見したもの。神戸に行く機会があったので、仕事の翌日(土曜日)、寄っていくことにした。
能勢電鉄の多田駅下車。改札を出て、住宅街の中を道なりに歩く。駅から先は何も道標がないので、少し不安になり始めた頃、堅固な石組みに囲われた高台の森が右手に現れた。急傾斜の石段の正面には、朱塗りの欄干をもつコンクリート製の橋。豊富な水流が、岩床にぶつかって激しく渦巻いている。あとで地図を見て「猪名川」だと知った。歌枕じゃなかったかしら。
石段を上がり、三門、随神門を潜り、こけら葺き屋根の美しい拝殿に進む。すごく気持ちがいい。たまたまかも知れないが、境内が掃き清められた直後で、白砂の上に木の葉一枚落ちていなかったのだ。
授与所でご朱印をいただいたが、詰めていたのは巫女さんではなく、全員(3、4人)浅黄の袴の男性神職だった。なんだか清和源氏発祥の地に似つかわしい感じがした。
■壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)
翌日(日曜日)は、さらに行きたいところがあったので、大きな荷物をどこに預ければ効率的に動けるか、綿密に計画を練る。結局、朝、大阪(梅田)駅に荷物を預け、地下鉄→近鉄南大阪線を乗り継いで、上ノ太子駅下車。電車の本数はそれなりにあるが、下りてみると、見事に何もない駅だった。いや、家はあるのだが、ほとんど人が歩いていない。
それでも要所に「歴史街道」の道標があるのに助けられ、やがて目的地の壺井八幡宮が見えてきた(田んぼの先に石造りの鳥居、右手の森になった高台に石段あり)。多田満仲の四男・源頼信公が河内守に任ぜられ、この地に居住して、河内源氏の祖となった。高台は香呂峰と呼ばれ、清水八幡宮の神霊を遷し祭ったのが、壺井八幡宮である。
現在は、源頼信・源頼義・源義家を祀る壺井権現社が並んでいる。この日、権現社の社殿前には茅ノ輪くぐりのしつらえがされていたが、両社とも無人で、ご朱印はいただけなかった。
壺井八幡宮から南下すると、左側に通法寺(河内源氏の菩提寺)跡、源氏館跡の碑、源氏三代の墓所などがあるのだが、これは分かりにくい。私は、だいぶ行き過ぎてから戻ることになった。むしろ南から北上してくるほうが「歴史街道」の道標を見つけやすいのではないかと思う。↓頼義の墓は平地にあるが、
↓頼信・義家の墓は竹やぶを登らなければならないため、遥拝で勘弁してもらうことにする。仕事のあとの寄り道のため、足元がローヒールとはいえ、パンプスだったので自重。(すいません)
もと来た道を戻って、上ノ太子→大阪(梅田)で荷物をピックアップし、源平史跡めぐりは京都編に続く。向かうは「源氏三神社」の最後の一社、六孫王神社である。