見もの・読みもの日記

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生きるに値する世のために/笑う大英帝国(富山太佳夫)

2006-05-31 23:03:14 | 読んだもの(書籍)
○富山太佳夫『笑う大英帝国:文化としてのユーモア』(岩波新書) 岩波書店 2006.5

 20年以上も前、私は大学でパンキョウの英語を著者に習った。まだ富山センセイには、ほとんど著作もなかった頃だが、ときどき、妙に心に残る警句みたいなことをおっしゃる。失礼ながら、専門違いの学生にとっては、海のものとも山のものとも知れない教員だった。その後、『シャーロック・ホームズの世紀末』(青土社 1993)や『ダーウィンの世紀末』(青土社 1995)などの活躍ぶりを拝見し、今ではひそかな自慢に思っている。

 さて、本書は18世紀から現代までのイギリスの文学とカリカチュアに現れた「笑い」を論じたものである。ただし、正直者の著者は、引用の前で、たびたび途方に暮れ、苦笑いして撤退を宣言する。

 そのくらい、大英帝国の「笑い」はすさまじいのだ。王様も政治家も神様もおかまいなし。いや、強者だけではない。弱者に対しても、一切の遠慮会釈がない。女性、子ども、貧乏人、デブ、ヤセ、民族的・宗教的マイノリティなど。「これを笑ったら”差別”ではなかろうか?」とたじろぐような感性は、イギリス人とは無縁のものだ。フランス人の批評家が「別の国の人間にとっては、イギリスのユーモアは不愉快なもの、われわれの神経にとってはキツすぎる」と述べたというのもうなずける。

 しかし、本書に引用されたユーモア小説のいくつかを読んでいて、私は通勤電車の中で、涙が止まらなくなってしまった。ひとつは、スー・タウンゼントの『女王様と私』。選挙の結果、イギリスは共和制に移行し、エリザベス女王一家は町の公営旧宅に引っ越すことになる。しかし、年金の支給は始まらず、電話は止められるし、夫は精神病院に入ってしまうし、娘はカーペット職人といちゃいちゃし始める。皇太后は昇天してしまう。

 もうひとつは、『ドン・カミッロの小さな世界』。イタリアの小さな村に住む大男の神父が、教会の十字架上のキリストと、掛け合い万歳を繰り広げる。

 どちらも、途方もなく不謹慎かつ荒唐無稽な小説である。にもかかわらず、哄笑と同時に、不思議な涙が湧き上がってくる(敢えて詳しいことは書かない。本文を読まれたし)。これらの「すてきな場面」を教えてくれた著者の評言を聞こう、「センチメンタリズム?――それの何処が悪いというのだろうか。もともとセンティメントとは人間に内在するすぐれた精神的な資質のことであった」。

 イギリスのユーモア小説やカリカチュアでは、笑いの「毒」がセンチメンタリズムを堕落から救っている。まあ、塩味のきいたヨウカンみたいなものだ。そして、戦争の悲惨とか、不条理な差別とか、ほとんど生きるに値しないこの世を、もしかしたら、生きるに値するかもしれない、という錯覚を生み出してくれるものが、イギリスのユーモアにはあると思う。

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