見もの・読みもの日記

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資料と証言から/関東大震災と中国人(田原洋)

2015-05-07 22:18:10 | 読んだもの(書籍)
○田原洋『関東大震災と中国人:王希天事件を追跡する』(岩波現代文庫) 岩波書店 2014.8

 1923年(大正12年)の関東大震災に際して、朝鮮人が放火、井戸に毒を入れるなどの凶悪犯罪を起こしているという「デマ」によって多数殺害されたというのは、確定した事実だと思っていたが、最近、それを否定する動きが出ている。ネットで検索すると、朝鮮人による凶悪犯罪(テロ行為)はデマではなかった、という考証が上位に出てきて恐れ入る。私は、寺田寅彦が「流言蜚語」という随筆で淡々と述べているとおり、科学的常識から考えて、地震の発生を予知して爆弾や毒薬を準備しておける可能性は著しく低いと思っている。

 さて、関東大震災において、朝鮮人だけでなく中国人の殺害もあったということを知ったのは、比較的近年である。うろ覚えだが、小松裕氏の『「いのち」と帝国日本』(小学館、2009)で読んだような気がする。

 本書によれば、中国人の虐殺が集中的に行われたのは南葛飾郡大島町(現・江東区大島)だった。このあたりは豊富な水路を利用した物資集散の中心地になっており、朝鮮人や中国人の労働者が集中していた。彼らは単純な重労働を、日本人とは比較にならない低賃金で引き受けていたので、日本人労働者の恨みを買うことが多かった。彼らは日本人に敵視されていると知って、自らを隔離・孤立し、ますます日本人に薄気味がられた。…なんか、21世紀の今と、基本的な構造は全く変わっていない気がする。

 こうした背景のもとで起きた中国人虐殺事件。そこに巻きまれた、王希天という留学生がいた。1917年(大正6年)一高予科に入学、1919年に八高(名古屋)に進学するが、学業を断念し、在東京中華メソジスト教会の代理牧師となる。社会主義思想に接近し、大島町に同胞のためのセツルメント「僑日共済会」を設立して、その世話にあたっていた王希天は、警察から「排日運動のリーダーの一人」と見られていた。震災発生後、中国人労働者が(朝鮮人と誤認されて?)殺されているという噂を聞き、救世軍の山室軍平の名刺を携えて、9月9日、江東地区に向かった王希天は、そのまま帰ってこなかった。

 身の危険を感じた中国人たちは、9月から10月にかけて続々と帰国の途についた。帰国者が到着する前の中国紙は日本の震災被害に同情的で、「10月2日には、東大図書館の漢籍が多数灰になったのを聞いて(略)『四庫全書』八五四八巻を寄贈することになったとの報道が行われたりした」。ほんとか、これ。最終的に実行されたのかどうかを知りたい。ところが、帰国者が戻るにつれて、同胞の虐殺が伝えられ、中国世論は180度旋回して、日本への反感・不信を強めていく。

 当時、朝鮮人の殺害は日本の「国内問題」だったが、中国人の殺害は「外交問題」に発展しかける。そこで、日本政府は徹底した隠蔽工作を行う。まあしかし、事件解決のため東京入りした中国側の調査団も、円借款交渉のほうが真の目的で、真相究明には力が入らなかったというから、どっちもどっちだ。国と国の政治の間で、個人が殺されていく。いまの拉致問題をめぐる日朝交渉がこんなふうでないことを祈る。

 最終的に日本政府からは、謝罪や関係者の処罰をしないかわりに金を払うという解決策(一人あたりの金額は、当時の日本人の事故賠償金額に比べて圧倒的に低い。ただし朝鮮人よりは高い)が示されたが、中国側の内戦激化等によって、うやむやのまま終わっている。

 以上は本書の記述に拠って述べたものだ。著者は、東京都公文書館、アメリカ議会図書館等で文書を調査し、さらに王希天殺害にかかわった二人の老人の証言を採録している。二人は、最終的に「実名で書く」という著者の希望を受け入れた。これらの「証拠」に興味があるときは(疑いがあれば)実際に本書を読んでみてほしいと思う。著者の努力と執念も素晴らしいが、それ以上に、真実を語る資料が失われずに永らえてきたことに感銘を受けた。たぶん今も各国の図書館や文書館の保管庫には、正確な読み解きを待っている歴史資料がたくさん眠っているのではないか。

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