見もの・読みもの日記

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プロデューサー新井白石/音楽公演・朝鮮通信使(紀尾井ホール)

2012-07-21 23:25:06 | 行ったもの2(講演・公演)
紀尾井ホール(小ホール)『紀尾井 江戸 邦楽の風景(六)朝鮮通信使』(PDF)(7月19日、18:30~)

 たまたま、本公演の関係者からチラシをいただいて、こういうシリーズ公演が行われていることを初めて知った。「江戸 邦楽の風景」は2010年春から始まった企画で、絵画、風俗、演劇などと、ジャンル横断的な音楽の楽しみ方を提唱するものらしい。今回は、正徳元年(1711)徳川家宣が第6代将軍になったお祝いに訪れた朝鮮通信使を取り上げる。

 使節一行は1711年5月12日に漢城(ソウル)を出発し、釜山で船に乗り込み、対馬や牛窓など、多くの地域に立ち寄りつつ、大阪に到着。大阪から日本の川船に乗り換え、京都へ。京都から陸路で、江戸に到着。10月18日には宿舎の浅草東本願寺に入り、11月1日に国書を将軍に手渡し、11月3日、使節をもてなす儀礼がおこなわれた。使節の人数は約500人、うち51人が音楽隊だったという。朝鮮は儒学の礼楽思想を尊んだので、国王の出御にはもちろん、国王の使節団にも奏楽が伴わなければならないと考えていた。朝鮮通信使の音楽は、当時の日本人を魅了し、その痕跡は各地の祭礼などに残っている。

 一方、日本側で、このときの通信使の接待を担当したのは新井白石(1657-1725)で、白石は使節をもてなす音楽を能楽から雅楽に改めた。へえ~初耳。いま、私は、当日の解説で聞いた話を、もう一度、20ページほどの無料小冊子で確かめながら書いている。

 ちなみに、この日の第一部は、日韓の音楽学の専門家である徳丸吉彦氏と黄俊淵(ファン・ジュンヨン)氏が、舞台上で、スライドを映しながら、対談形式で、以上のような正徳元年・朝鮮通信使の背景について紹介。ただし「対談」といっても、話す内容については、かなり綿密な打合せができていて、アドリブは少ないように思った。通訳は、日本音楽の研究家である李知宣(イ・ジソン)氏(女性)がつとめた。

 第二部は、徳丸吉彦先生の解説で進行。韓国国立釜山国楽院のメンバーが演奏する最初の曲「大吹打」は、「吹鼓手」と呼ばれる楽隊が、行進の際に演奏するもの。楽隊はホール後方の扉から入ってきて、ゆっくり客席を通り過ぎ、舞台にあがった。短い籐の鞭(?)をもった指揮官は「音楽はじめ」を宣告することが仕事で、演奏には関わらない。打楽器の龍鼓(袖先に撥を蓋うカバーのようなものをつける)、ダブル・リードで旋律を奏でることのできる太平蕭、長い喇叭、螺角(法螺貝)が続く。視角的には喇叭が目立つが、大音量を出しているのは太平蕭で、喇叭はひとつの音高しか出せないというのが、ちょっと意外。さらにシンバルのような啫哱囉(ジャバラ)、鉦(チン、銅鑼、銅鼓)が続く。黄色い服と黄色い帽子、青い帯をしめて、帯の端は長く垂らす。帽子の頭頂の左右には孔雀の羽根飾り。

 続いて、静かな室内楽を担当する「細楽手」の登場。「本当は全く別組織なのですが、この公演では同じメンバーが衣装替えをして出てきます」と徳丸先生が説明。赤い服、黒い冠、胸に中国の官服でいう補子(ほし)を付けていて、さっきの「吹鼓手」より、ちょっと格上な感じがする。演奏の開始を告げるのはササラ。曲は「吹打」。横笛の大笒(テグム)・小笒(ソグム)、ダブル・リードのビリ、二弦の胡弓が旋律を担当。杖鼓、座鼓がリズム楽器。次も「細楽手」の演奏で、4人の女性の舞人が登場し、「剣舞」を舞った。これは美しいが、人でないような妖しい動きで、ちょっと怖かった。

 休憩を挟んで、舞台転換。伶楽舎の皆さんが登場して、日本の雅楽「陵王」を舞う。あ~私はこの曲(舞)、雅楽の中ではいちばん好きなのだ。この間、舞楽公演『蘇合香(そこう)』では不覚にも眠くなったが、これは面白くて目が覚める。仮面と衣装の美しさにも見とれた。これは、新井白石が通信使をもてなすために選んだ曲目のひとつで「北斉の音楽が遣唐使を通じて日本に伝えられた」みたいな伝承を、得々と筆談で通信使正史の趙泰億に語ったらしい(記録が残っている)。

 続いて「納曾利(なそり)」。わりと最近聴いたようなような気がする、と思ったら、今年の3月『蘇合香』公演の際に見たのか。今回は、釜山国楽院のメンバーが韓国古楽の楽器を用いて演奏し、伶楽舎の舞人が舞う、という変則バージョン。はじめ、やっぱり曲調に違和感があって、よくこれで舞えるなあ、と思ったが、だんだん聴いているうちに気にならなくなった。「納曾利」は、いわゆる高麗楽に属するので、白石は例によってそのことを筆談で伝え、楽人・狛(こま)氏についても説明したらしいが、嫌な顔されなかったのかなあ、ケモノへんの文字なんか持ち出して…。でも、こういう無意識の嫌なヤツって、面白くて気になる。

 連れの友人(日本史に詳しい)も言っていたけど、ゴーイング・マイウェイな新井白石と使節団の間に入って苦労したのが雨森芳州だった。のちに白石は雨森を「対馬にありつるなま学匠」と呼び、雨森も白石批判の評を残している。生々しい…。また冊子の徳丸先生の記述によれば、白石が変えた方針は、徳川吉宗の時期に来日した次の通信使への対応に際しては否定され、儀礼がそれ以前のものに戻されてしまったそうだ。うーむ。行き過ぎた改革の末路って、そんなものか。民主党みたいじゃないか、新井白石。

 公演終了時には、出演者一同が舞台上にって、西洋音楽式に一礼。これまで雅楽や舞楽公演で、こういう形式の挨拶(しかも舞人が仮面を取って一礼)を見たことがなかったので、ものすごく驚いた。海外公演などでは、実行しているんだろうな、きっと。

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